願い、祈る囁きは
翌朝、朝食は昨晩の残りものに干し茸を入れて、硬くなったパンをスープに浸して食べた。
元々、クシフォスは寡黙な性格なのか必要以上の言葉を話すことはないが、長い沈黙を一緒に過ごす事が嫌だとは感じなかった。逆に、何故か懐かしい気分にさえなってしまう。
かなりの時間、川沿いに歩いているため、今、自分が正しい道を歩いているのかは把握出来ない。それでも、魔物へ辿り着くには川沿いに歩き続けるしかないのだ。
木で作った水筒に、出発前に湖で継ぎ足しておいた水が入っているが、どれ程の時間、もってくれるだろうか。食料はまだあるが、そう頻繁に湖や池、泉などがあるわけではないため、考えながら飲んだ方が良いだろう。
思わず、溜息が出そうになるが挫ける暇はない。
「……大丈夫か?」
後ろを歩いているクシフォスが声をかけてくる。
「えぇ。大丈夫よ。それにしも長い道のりね。ここまで森の奥に入ってきたのは初めてだわ」
獣の気配はあるが、人の気配は全くない。こういう場所で魔物達も静かに暮らしているのだろう。
森の匂いというものは結構好きだ。緑と風の爽やかな匂いと一緒に太陽から降り注ぐ暖かな光の匂いが混ざり、落ち着く空気を作ってくれる。
気分が落ち込んだ時などは、よく森の中で散歩をしていた。何気なく、いつものように匂いを嗅ぐと、爽やかな匂いとそして何故か甘い蜜のような匂いが風に混じって鼻をかすめた。
「っ?」
周りを素早く見渡すが、果実が実っている木は見当たらない。
「ねぇ、何か甘い匂いがしない?」
クシフォスも首を傾げて、鼻に意識を集中させている。
「……確かに何か、甘いような」
「でも、何もないのよね……」
木と草、そして川しかない。何も、甘いものなどないのだ。
「……ちょっと、待って」
エイレーンはすぐさまその場に座り込む。そして、川へと顔を近づけた。水の匂いは殆ど無臭のはずだ。だが、鼻を近づけるほどに甘い匂いは強くなる。
「やっぱり、間違いないわ」
立ち上がり、川の上流へと目を向ける。
「川に混じる魔物の蜜の匂いが強くなっているわ。多分、近いと思う」
自分で言っている言葉のはずなのに、何故か他人事のように思えてしまう。
もうすぐ、魔物との戦いだ。緊張しないわけではない。普通に倒せるなら、簡単だがそうはいかないのだ。順序を守らなければ、ミリシャ達を救う事はできない。
「もう一度、確認するわよ。まず、食魔植物の心臓を手に入れるには、心臓の位置が分からないと誤って攻撃して傷を付けてしまう可能性があるの。だから、その位置を示すために魔物の根の部分に杭でも、何でもいいから打ち付ければ心臓が浮き出るようになっているわ」
エイレーンの解説にクシフォスも頷く。
「それに根の部分にも毒素が含まれているから、間違っても傷口から入れないようにね。でなければ、高熱どころか呼吸困難を起こして、最後は……」
その先を言えずに口を閉じる。死ぬ、という言葉に重みがこれほどあるとは思わなかった。
「……とにかく、魔物の攻撃にも気を付けろという事だろ? 了解した」
言葉に詰まっているとクシフォスが納得したように頷く。気を遣ってくれたのだろう。エイレーンも頷いて、言葉を続けた。
「まず、地中に炎を出すわ。もちろん、燃やすわけではないけど。この食魔植物は温められると根を地上に出す習性があってね。近づけすぎないようにじわじわと、周りを囲うわ。全部の根が出たら、私が弓を使って魔法で一斉に根を地面に串刺しにする作戦よ」
「分かった。それなら、俺は君が集中出来るように攻撃から守ることにする」
「えぇ、頼むわ」
一度に十何本の矢を正確な方向へと飛ばす必要がある。やったことはないが、上手くいかなければならない。集中する手伝いをしてくれるならば助かるが、彼が攻撃される可能性だってあるのだ。
エイレーンにとっては、そのことの方が恐怖に思えてしまう。
彼に魔法は効かないが、それは彼自身に効かないのであって、周りのものには干渉することは出来る。先に歩き始めたクシフォスに向かい、エイレーンは小さく祈るように魔法をかける。
……どうか、彼に加護があらんことを。
ただ静かに見つめながら祈る。あらゆる攻撃から彼を守る盾となるように、彼が身を包む衣服に魔法をかけた。この魔法がちゃんと効くかどうかは分からないが、無いよりはましだろう。
ふと、クシフォスがこちらを振り返る。何か感じ取ってしまったのだろうか。
「ごめんなさい、少し考え事をしていたの」
すぐに小走りでクシフォスへと追いつく。クシフォスは少し、何か言いたげな顔をしたが口を閉じてエイレーンが追いついてから歩き始める。
「今日中に魔物を倒して、湖の所まで戻れるといいわね。そうすれば、明日の昼頃には町に戻れると思うわ」
「そうだな。だが……」
帰ったところでデジルが待っていると言いたいのだろう。
「とにかく、薬の材料を持って帰ることだけを考えましょう。次のことはあとで考えるわ」
出来るだけ明るくそう言っても彼はやはり、納得できないといった顔をする。
だが、エイレーンにはこの先のことが全く見えていなかった。薬を作り、皆が元気になったら、そのあとは……。そこで思考が停止してしまう。
頭を振り、邪念を消すように心を静めてから、力強く歩き始める。今は目の前の敵に集中だ。




