選択と後悔を繰り返して
後ろさえ振り向かずに、どんどん先を進むエイレーンをクシフォスは必死で追いかける。
「おい、エイレーン! ……エイレーン!」
何とか追いつき、クシフォスはエイレーンの肩を握り、歩みを無理に止めた。
「何よ」
「どうして、デジルとあんな約束をしたんだ。奴のことだ。きっと約束を破るぞ」
両肩に手を置いてくるクシフォスの顔をエイレーンは見ることが出来なかった。
「仕方ないわ。こうでもしないと……皆を助けられないもの」
「君はそれでいいのか」
肩に力を入れるように強く握られる。どうして彼はここまで心配してくれるのだろうか。
「いいわ。皆を助けたい、それが私の願いだもの」
精一杯の笑顔を作ってエイレーンは答えるが、彼は納得しきれないのか首を横に振った。
「君が……いくら、人のために願ったところで、結局、結果は同じだと分かっているだろう? 逃げるなら、今しかないんだ。恐らくこの後、君を待っているのは尋問だけでは済まない。おぞましい拷問が待っているんだぞ」
「逃げないわ」
両肩に置かれた手を退かし、真っ直ぐとクシフォスを見る。
「私はミリシャ達のために、薬を取ってくる。そして、皆を元気にする。……それだけで、私は自己満足出来るの」
人が望む悪い魔女ではなく、良い人として自分の中で昇華出来る。
「さぁ、行きましょう。時間が勿体無いわ」
彼に背を向けて、静かに歩き出す。もう、日も沈む。その前に寝床となる場所を確保した方がいいだろう。一歩一歩、強く踏みしめて歩くエイレーンの後姿をクシフォスは何か言いたげな表情で見ていた。
この森はよく来ていたが、ここまで奥に来るのは初めてだった。
運よく小さな湖を見つけた二人はそこで一晩、野宿することにした。ここならば、辿って来た川沿いにも近いし、毒素を含んでいない水で水分補給も出来る。
エイレーンは意識を集中させて、ここら一帯に身を守るための結界を張る。これならば、自分達を害そうとしている者は決して入る事が出来ない。
「薪、拾ってきたがこれくらいでいいか?」
「えぇ、ありがとう」
エイレーンは石で囲われた木々に魔法をかける。ふっと、一瞬で火が点き、やがて大きな炎へと変わっていく。その上に平らな石を置いて、指を一度鳴らす。石だったものは鍋のような形へと姿を変えていった。
石鍋の中に湖で汲んできた水と持ってきていた魚の干物、その辺りで採取した野草を入れて、煮込み始める。その光景をクシフォスは驚きもせずに見ていた。
「……あなた、あまり魔法を使っても驚かないのね」
普段の自分なら、自分で出来る作業には一切魔法は使わない習慣が身に付いていた。ここまで連続して魔法を使うのは久しぶりだ。
「職業柄な。……だが、本当に魔法が使える人はそれほど多くはいなかった」
クシフォスの声が低くなる。
「異端審問官というものは、大体二つに分かれている。神を心底、崇拝している奴とデジルみたいに金のために動いているやつだ」
「じゃあ、あなたはそのどちらでもないって事ね」
鍋の中身を魔法で作った木の匙で味見しながら、答えるとクシフォスは苦笑した。
「まぁ、デジルとは違うがある意味、欲にまみれて行動しているよ、俺は」
「その方が人間らしいんじゃない?」
「そうか? ……まぁ、人はそれぞれ、欲で動くからな。そうでない者は人間ではないのかもしれないな」
「それ、何かの言葉? 随分と難しい言葉を使うのね」
手持ちは少ないが持ってきていた調味料でスープの味を調えていく。ちゃんとした食事が出来るのもあと何度あるだろうか。
別に、ただ素直に拷問を受けて良いとは思っていない。その時になって考えるのは遅いかもしれないが、今は目の前の事を見据えていたかった。
「いや、思っただけだ。……トリエ村から証人として男が来ていただろう?」
「え? ……あぁ、彼ね」
「君が助けた村人の一人だったな。……この町に来る前に村で色々と調べて来た。村人達は君のせいにしていたが、一人ひとりにちゃんと聴取すると、君に助けられたと答えてくれる者は多くいた」
クシフォスの言葉にエイレーンは鍋から顔を上げる。炎に照らされる表情は何が言いたいのかはっきりとは分からない。
「人とは恐ろしいものだ。集まると嘘でさえ真実のように仕立てあげることが出来るのだから」
それは異端審問官のことを言っているのか、村人のことを言っているのか、どちらなのかは判断つかない。それでも、彼がその事を良くは思っていないことは分かった。
「恐らく、先ほどの村人は報酬を手にしたまま無事に帰路には着けないだろうな」
「え? どうして?」
「金に関して貪欲なデジルが簡単に報奨金などやるものか。きっと、帰り道に襲撃されて、報酬を取り戻す気だ。……今までだって、そうやって同じ金を何度も使いまわしてきたのだから間違いない」
「そんなっ……」
「そして、襲撃されたことさえも、魔女……君のせいにするのだろうな」
森の静けさが、クシフォスの言葉をより、はっきりと聞こえさせてくれているようだった。
「本当に……人間という生き物は呆れた存在だよ」
「あなたも人間なのに?」
「自分だって、同じようなことをしている。確かに、客観的に見て悪い事を行う魔女もいた。それを異端審問官として裁いた。……デジルと同じことをやっているに過ぎないんだ、結局は」
「本当は異端審問官なんて、やりたくないの?」
太めの木から魔法で作った椀にスープを注いで、クシフォスへと渡す。
「そうだな。むしろ、俺の方が異端審問官に狩られる対象だったからな」
恐らく、クシフォスの「目」のことを言っているのだろう。あまり深くは触れない方がいいと思って、エイレーンは聞かないようにしていた。
「それなのに、どうしてやめないの? 嫌ならやめて、穏やかに暮らせばいいじゃない」
自分の分を椀に注いで、大きめの石に腰を下ろす。スープを食べやすい温度に吹き冷ましていると、クシフォスが焚き火越しにこちらを見ていた。
「……守りたいものがあったんだ。本当はこんなやり方はしたくはなかったが、無力だった自分にはこれしか答えがでなかった」
エイレーンを見ているようで、その遠くを見る黒い瞳に思わず胸が大きく脈打つ。
「それは……守れたの?」
静かに問うと、クシフォスは首を横に振った。
「まだ、分からない。そもそも、自分が行っていることが、正しいのかさえ、分からないんだ」
空いている手で、額に手を当てる。彼はずっとその「答え」を求めて悩んできたのだろう。そして、未だに答えは見つかっていないのだ。
「……何を守りたいのかは分からないけれど、そこまで、あなたが思いつめなくてもいいと思うわ」
「…………」
「私は私のやりたいように生きている。あなただって、そうでしょう? あなたがやりたいと思ったから、その選択を取った。結局はね、どの選択をしても後悔はするのよ。でも……きっと、そうやって生きていくしかないんだわ」
今、緊迫している時間が嘘のように、夜の空は星の瞬きで美しかった。
「……君は後悔しているのか」
探るような声ではなく、ただ何かを確かめたいようにその言葉は聞こえた。
「えぇ。もちろん、あるわ。でも、時間を戻す事はさすがの私でも出来ないから、最良の選択肢を探し続けるしかないのよ」
その結果が、現状だと思っている。でも、彼には納得はしなくてもいいから、ある程度は自身へ掛けている負荷を少なくして欲しかった。
「それに、やり戻せなくても、やり直しがきく事だってあると思うの。……だから、自分を追い詰めてまで、苦しまなくていいと思うわ」
長い時間、クシフォスと視線を交わしていた。夜の森は静かで、二人の声と火が跳ねる音以外は聞こえない。
だからなのか、なぜかこの雰囲気が居た堪れなくなって、エイレーンは先に視線を外す。
「さて、早いこと食事を済ませて、明日に備えて寝ましょう。明日のうちに魔物を倒さないと明後日までに、町へ戻れないわ」
エイレーンは戸惑いを隠すように、スープの入った椀に口を付ける。クシフォスの方をこっそり見ると彼も黙ったまま食事し始めた。
「…………ありがとう」
小さく、細い声だったが確かにそう聞こえた。こちらに視線は向けずにクシフォスは黙々と食事を続けている。
思わず聞き返したくなった衝動を抑えて、エイレーンは何も答えず、浮かんだ笑みを隠していた。




