それは地獄への迎え
どれ程の期間、森に居るのか分からないので保存が効く食料を数日分、用意した。他にも弓矢、短剣などを念のために装備して、大きな麻の鞄には食魔植物の心臓を保管しておくための瓶も詰めた。
準備は整った。心の準備も出来ている。エイレーンは胸に手を当てて深呼吸した。
「……よし」
魔法ではない。ただの深呼吸だ。それでも、心の奥は十分過ぎる程に落ち着いていた。身支度を整えてから、ミリシャが寝ている広間へと向かう。
ミリシャの傍らに腰を下ろし、顔色を窺った。寝ているようだが、熱はまだ下がっていない。苦しみながら息をしている姿をみると、こちらまで胸が締め付けられそうになる。
「……行ってくるわ。絶対にあなたを……皆を助けてみせるから。だから、待っていて」
この声はきっと届いていないだろうが、その方が良い。自分が森へ行くと言ったら止めようとするだろう、異端審問官から守るために。
立ち上がると傍にロアとイリシオスが来ていた。
「気をつけて行ってこいよ。俺達だけじゃない。ミリシャが待っているんだからな」
「えぇ、もちろんよ」
「クシフォスの奴はまだ帰って来ておらぬのか? もう、出発の時刻じゃというのに……」
そういえば、時間のはずだが、クシフォスはまだ帰ってきていない。もう少し待ってみようか、それとも先に行こうかと悩んでいた時だ。
突然、入り口の扉が開き、何とも荒々しい開け方に三人は顔を顰めながらその方を見る。
しかし、エイレーンはそこで固まった。異端審問官のデジルが数人の男を引き連れて入ってきたのだ。身なりはデジルよりは劣るが質のよさそうな外套を羽織っている。
デジルはエイレーンの姿を見つけると、口元を緩め、不気味に笑った。
「やはり、いるじゃないか」
まるで、獲物を見つけた獣のような瞳だった。隣のイリシオスが小さな声で「しつこい奴め」と言って舌打ちをする。
「お前がトリエ村を襲った魔女だろう?」
躊躇せずにデジルはそう言い放つ。
「違うわ!」
反射的にエイレーンは叫んだ。
「違うわ……。あれは……」
言っても信じてはくれないだろう。自分の言葉を信じてくれたのはクシフォスだけだった。
「ほう、魔女行為を認めないと? それなら拷問でもして、吐かせるだけだが、どうするかね?」
最早、選択のない脅しだった。エイレーンがどう言い返そうか言葉を選んでいるとロアが自分の前へと出て、立ち塞がってくれた。
「あんた等さぁ、仮にも異端審問官なんだろう? それって教会の人間って事だよな? そんな奴らが今のこの町の現状を見て、何も思わないのか? 彼女をどうこうする前に人として、すべき事があるんじゃないか?」
何とも真っ直ぐな言葉に異端審問官達は迷惑そうに顔を歪ませる。
「ふっ……。今、行っている魔女狩りこそ、人として行うべきことなのだよ、少年。良いかね? この町を襲っている疫病はそこにいる魔女が引き起こしたものだ」
「何を馬鹿なことを」
イリシオスもエイレーンの前に立ち、怒気を含ませた声色で大きく言い放った。
「この者は今、病人達のために動いておる。そのような事をして何の得があるというのじゃ」
「魔女には疫病を齎す力がある。人々を苦しませて、善人を装い、薬を自ら人へと与えることで、人に取り入ろうとしているのさ」
「そんな根拠、一体どこにあるんだよ!?」
ロアとイリシオスの声はエイレーンの胸の奥に届いていた。
だが、響かなかった。今、それよりも錆びた鐘が鳴るようにデジルの声だけが、エイレーンの心を大きく揺らしていたからだ。
「現にそこにいる魔女は、西の村を滅ぼしている」
ひゅっ、とエイレーンの息が止まりそうになった。喉に、何か鋭いものが突き刺さるような感覚に、上手く呼吸が出来ない。デジルが後ろに控える部下に何か言葉をかける。
そして、エイレーンの目の前へと差し出されるように出てきたのは、あの夜、あの村で、あの時、助けた男だった。
男はエイレーンの姿を確認すると、表情を引きつらせ、真っ直ぐ指差してこう言ったのだ。
「――こいつだ! こいつが魔女だ! 間違いない。あの夜、こいつのせいで村はめちゃくちゃになったんだ! 全部、全部この魔女のせいだ!」
教会全体に響くように男は絶叫した。寝ている人達も何事かと、話す声が耳に入ってくる。
男の言葉を聞いてエイレーンは立ったまま動けずにいた。これが結果だ。魔女である自分がいくら人のために何かしたところで、それは意味となって返ってくることなんて無いのだ。
あぁ、もう、駄目だ。
目の前の二人が悲痛そうな顔で自分の方を振り返る。エイレーンは何も応えることが出来なかった。彼らが信じてくれたところで、この現状は変わらないのだ。
デジルが部下に命令して、取り押さえようと近づいてくる。イリシオスもロアも動けないように男達に抑えられ、エイレーンは力無く男二人に両腕を抱えられるように捕まった。
「くそっ!」
ロアが何とか制止を振り切って、腰に差していた剣を抜こうと手にかける。
「ロア!」
しかし、それをすかさずエイレーンは止めた。その声に、ロアは何かを感じとったのか、悔しそうに顔を歪め、手を下ろした。
そうだ、それでいい。これ以上彼らを巻き込むわけにはいかない。もし、ロアが異端審問官に楯突けば、きっとただでは済まなくなる。
もしかすると自分のように存在しない罪を被せられて捕まることだってあるのだ。
どうして、こうなってしまったのだろう。何が間違っていたのか。助けなければ良かったのか。今も、その答えは出なかった。
その時、誰よりも響く声がその場を凛と静める。
「――行かないで」
優しくも儚い声に誰もが振り返る。そこには、ふらつきながらも何とか立っているミリシャの姿があった。熱も下がらず、身体だって辛いだろうに、彼女はこちらに向かって歩いてくる。
「お願い、連れて行かないで」
息をすることさえも、身体を苦しめているはずだ。それでも、彼女は自分へと手を伸ばす。
「行かないで」
「……ミリシャ」
彼女は自分が魔女だと分かっていて接してくれていた。
今だって、村を襲った魔女として異端審問官に扱われているにも関わらず、彼女だけは、自分を「エイレーン」として求めてくれている。それが、嬉しくもあり、苦しくもあった。
だが、エイレーンに近づこうとした手前で、デジルの部下に軽く手で払い除けられてしまう。
「ミリシャ!」
突き放された反動でミリシャが後ろへと倒れそうになるのをすかさずロアが腕を出して、支えてくれた。それを見て安堵していたのも束の間、デジルがエイレーンの耳元で囁いてきた。
「大人しくしていろ。……あの娘を魔女として捕らえることも出来るのだぞ」
悪魔の声だった。いいえ、と首を振ることさえも出来ないほどの、魔力のある声。
エイレーンは呼吸を忘れるほど、虚空を見つめていた。エイレーンに抵抗の意思がないことを確認したデジルは部下に「連れて行け」と指示を出す。
「いやっ……。行かないで……」
ロアの腕の中で、手を伸ばし、訴え続けるミリシャにエイレーンは精一杯の笑顔で「大丈夫だから」と微笑む。そして、ロアとイリシオスに視線を向けて、ミリシャと皆のことを頼むと目で強く訴えかけると、彼らは唇を噛み締めながら強く頷いてくれた。
引きずられるように腕を引っ張られながら、エイレーンは古びた馬車の荷台へと押し込まれるように乗せられる。
……あぁ、ごめんなさい、クシフォス。
あなたが何度も忠告してくれていたのに、自分は大丈夫だと言っていたのに。結局は全て彼の言う通りだった。遠くなる馴染んだ教会をエイレーンは暗い表情で眺めていた。




