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持たぬ勇気を添えて


 元々、人が少なくなっていた町だったが、原因の分からぬ病が発症していることもあり、道を歩いている者はいなかった。恐らく、皆、家の中に閉じこもっているのだろう。

「……寂しい風景ね」

 古くなった木製の家々はどれも黒ずんでいて、傷が目立つものばかりだ。それが、一列に並ぶように建っている光景は、見ていてなんとも寂しくなるものだ。

「そうだわ、クシフォスにお願いがあるんだけれど」

「何だ」

「この辺りに住んでいる人達に川の水は飲まないで、と言ってきてほしいの。これ以上、倒れる人を増やすわけにはいかないわ」

「そうだな……」

 しかし、クシフォスはその場を動こうとはしない。

「……大丈夫よ」

 彼が考えていることは分かっている。自分が他の異端審問官に見つかるのではないか、と危惧しているのだ。

「他の異端審問官はあなたとは違って、魔法が効くのでしょう? いざとなったら、魔法で逃げて見せるわ」

 右手で拳を作り、ぐっと引き寄せる。

「だから、心配しないで。すぐそこの森へ行って、帰って来るだけよ」

 森の入口はもう見えている。川だってすぐそこだ。

「……分かった。だが、十分に気をつけろよ」

「えぇ、ありがとう」

 しばらく、彼はこっちを見ていたが、やがて自分に背を向けて歩き出す。


 ……頼んだわよ。


 これ以上、苦しむ人を出させたりするものか。エイレーンは早足で、森の中へと入り、二手に分かれている小川の分岐点を探す。

 何度も来た森だが、今は初めての世界のような気がしてしまう。そして、鳥も風も木々でさえも、何かを恐れて声を潜めるように静かだった。

「……妙ね。この森にも風が住んでいるはずなのに、いないわ」

 見渡しても風の気配がないのだ。暫く歩き続けて、川の分岐点に差し掛かり、エイレーンは迷うことなく南の森に流れている川の方向へと足を進める。見ているだけなら、心が穏やかになりそうな光景だ。緑の中に、静かに緩やかに流れる水はきらきらと光っている。

「…………」

 エイレーンは川の傍に腰を下ろし、右手で水を掬ってみる。触れて、見るだけなら、何の変哲もないただの水だ。

 深呼吸してから、エイレーンは掬った水を舌で舐めとるように味わう。

 水、のはずだった。

「……甘い……。そんな、だって、これは……」

 水は普通なら何の味もしないはずだ。今まで何度かこの川の水を飲んだが、甘かった事などなかった。それが今、この川の水は何か蜜を混ぜたかのように甘かったのだ。

 エイレーンは右手から水が零れ落ちるのも構わずに立ち上がる。そして走るように町へと戻り、町の人に説明していたクシフォスを連れて急いで教会へと戻る。


「――原因が、分かったわ」

 厨房にロアとイリシオスを呼んで、エイレーンは森の家を出る時に持ってきていた一冊の本を机の上へと置いて、ある植物が書かれている部分を皆に見えるように広げた。

 そこにはたくさんの根を生やした巨木が描かれていた。

「……食魔植物……?」

 ロアが知らないと言うように首を傾げるが、やはりイリシオスは知っていたのか眉を寄せる。

「名前の通り、魔物を食べる植物よ。といっても、この植物自体も魔物の一種なの」

「これが、この病の原因なのか?」

「えぇ、恐らく。……この魔物の特徴は水辺の上流に住み着いて、獲物を誘き寄せる際に甘い蜜を自分の枝から出して、水を伝って流すのよ。それを飲んだ魔物を朦朧とした状態にさせて自分のもとへと誘き寄せてから食べるの」

「……水を飲んだのか」

 クシフォスが鋭い視線でエイレーンを見てくる。

「仕方ないわ。原因を突き止めるためだもの。それに舐めただけで、帰ってからすぐに井戸の水で口をゆすいだから、大丈夫よ」

 彼は納得出来ないと言うように腕を組んで口を一線に結ぶ。機嫌を損ねてしまったみたいだが、それはあとだ。今はこっちの重大な話をしなければならない。

「でも、この蜜を人間が口に含んでしまうと、今起こっているように、高熱が出て眠れないくらいにずっとうなされる状態になってしまうの」

「解毒の作り方は分かるのか?」

「えぇ。昔、母と一緒に作った事があるわ。でも、そのためにはこの魔物の心臓が必要なの」

 随分と昔だが、この本の端の方に解毒の薬に必要な物も作り方も記入してある。

「わしは直接見たことはないが、この魔物の心臓はかなり柔らかいと聞いておる」

「そうなの。だから、間違えて心臓に攻撃しないようにしなきゃいけないのよ。傷が付いてそこから解毒に必要な体液が零れてしまう可能性があるからね」

 中々面倒な魔物だと思う。だが、この心臓がなければ解毒薬は作れないのだ。

「魔物の脳とも言われる核を攻撃すれば一発で倒れるけど、その前に心臓の在り処を見つけ出す方法が結構難しくてね。全ての根の部分を棒か何かで地面から動けないように突き刺しておけば、心臓が浮き出るように脈打つ部分が見えるらしいの」

「面倒な奴だな~」

 細かい作業は苦手なのかロアは露骨に嫌そうな顔をする。

「核はその心臓の上辺りにあるから、とても重要なことなのよ」

「ふむ……。それで、心臓はそう簡単に採れるものなのか?」

「傷を付けなければ、丸ごとすっぽり採れるって聞いたわ。まぁ、持ち帰る時は瓶に入れた方がいいかもしれないわね」

 昔、住んでいた森の奥に同じ魔物が巣を張った時は母がそうやって食魔植物を倒していたが、実際に見たわけではない。

「準備を整えてから、すぐにでも採りに行ってくるわ。三人は引き続きで悪いけれど、皆の看病をお願いね」 

 ロアとイリシオスは何か言いかけるように口を開いたが、すぐに閉じる。そして、決意したように頷いた。しかし、その時だった。

「……俺も行こう」

 クシフォスが低い声で、だがはっきりとそう告げる。

「職業柄、魔物に対峙したことは何度かある」

「でも……。あなたはただの人間だわ。私は魔力があるから、魔法で防御することが出来る」

 彼に魔法は効かないため、守ることは出来ない。だが、彼は納得出来ないといった顔をした。

「大丈夫よ。私には魔法があるもの。魔物にも人間にも負けたりしないわ」

 食魔植物は少々手を焼く魔物だ。人間が相手出来るようなものではない。

「あなたの気持ちは嬉しいけれど、ここは私に任せておいて。ね? お願い」

 子どもに言い聞かせるようにエイレーンは穏やかに笑う。それを見たクシフォスは、ほんの一瞬だが、悲しそうな顔をしたように見えた。

「……そうやって、いつも自分で背負い込むんだな」

「え?」

 ひどく早口に彼は何かを言ったのだ。

「何でもない。だが、森の入り口までは付いていく。……それくらいなら、いいだろう?」

 腕を組み、仕方ないというように溜息を吐く。

「……ありがとう、クシフォス」

 クシフォスの気遣いに思わず気が抜けたように、微笑むと彼は気まずそうに目を逸らした。

「……まだ、異端審問官がうろついているかもしれないからな。軽くその辺りを見てくる」

 背を向けてクシフォスは出口に向かって歩き出す。その背中をエイレーンは呼び止めた。

「支度して、三十分後に出るから、よろしくね」

 無言で軽く頷いて、彼は外へと出て行った。その姿を見ていたロアが小さく呟く。

「……案外、心配性なんだなぁ、クシフォスって」

「ふぉっふぉっふぉ。まだまだ見抜けぬとは、お主も子どもじゃの」

 余裕のある笑みでイリシオスが笑うと、ロアは眉を寄せて首を傾げる。

 エイレーンは本を閉じて、溜息を吐いた。

「…………」

 正直、自分にここで病に苦しむ人たちの命運がかかっていると思うと、足が震えそうになる。

「エイレーン」

 イリシオスが穏やかに声をかけてきた。

「大丈夫じゃ。お主はローレンスの名を継ぐ魔女じゃ。自分の力を信じていれば、魔物なんぞ敵ではない」

 自分の気持ちを知っているのか、イリシオスが少し背伸びするように肩に手を置いてくる。小さい手なのに、それはとても暖かく大きく感じられた。

「……えぇ」

 その手にエイレーンは自分の手を重ねる。少しだけでいいから、「勇気」が欲しかった。すると、ロアまで自分の手を添えてくる。

「ミリシャも町の人も俺達に任せて、エイレーンは病の元凶をぶっ飛ばしてきてくれ」

「ぶっ飛ばしたら、薬が作れぬじゃろ」

「あ、そうだった」

 気負う自分を励まそうとしてくれているのだ、二人とも。

「教会の入り口までは見送りさせてくれ。わしらもこう見えて心配性でな」

 まるで旅立ちを見送る母親のような表情でそう言うので、エイレーンは苦笑して頷いた。


   

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