その優しさに後悔と決意を
一日は、いつもよりも長いようで、早く過ぎていった。寝ている人達の世話は二時間ずつ二人交代で、仮眠や食事を自分達もちゃんと摂れるようにした。
用意した食事を町の人達は、嬉しそうに食べてくれていた。食欲は運ばれてきた時よりも戻ってきているみたいだったが、熱はあまり下がっていなかった。
同じような症状で倒れた者は時間が経つにつれて、少しずつ増えていく。付き添いで付いてくれている家族の者が世話を手伝ってくれるので、なんとか分担出来ている。
それでも、焦りは消えない。皆、このままどうなるのだろうか。死んでしまうのだろうか。
そう考えた瞬間、自分の胸の奥に留めていた何かがざわり、と動く。
考えても仕方ない。今は出来ることを、やらなければ。
夜、エイレーンは眠っている皆が見渡せる位置に椅子を置き、座っていた。机の上に置いてある蝋燭の明かりだけが、その場を照らしてくれる。この時間の担当は自分とミリシャだ。
彼女は今、水桶の水を換えるついでに、簡単な食事を摂りに行っている。
やるならば、今だ。
そっと立ち上がり、エイレーンは寝ている人の額に手を置く。まだ熱い。薬を飲んでも安心できるほどの熱には下がらない。
「…………」
ふっと息を吐き、魔法を使った。熱を奪う。自分の体内へ流す。心の中で何度も呟く。
「ん……」
うなされていた女性の表情がゆっくりと和らいでいく。どうやら、成功したみたいだ。人に対して魔法を使うのは初めてだったが、上手くいって良かったとエイレーンはほっと息を吐く。
だが、これは一時的なものだ。暫くすればまた熱は戻ってくるだろう。それでも、寝苦しいよりはましかもしれない。まだ、苦しみながら、寝ている人は沢山いる。
エイレーンは一人一人、起こさないように静かに傍に座っては魔法を使い、熱を奪っていく。
そうして最後の患者の分の熱を奪い終えると気が抜けたのか、椅子に座ろうとした瞬間、体内で何か熱いものが駆け巡り、目眩がし始める。
…………どこかで、熱を発散させないと。
必死に足を踏ん張り、まだ換えられていない水桶に張られた水に手を突っ込む。手からは、まるで焼けた石を水の中に投げ入れたような音が響いていく。
「っ……」
大丈夫だ。このくらい、今、必死に病気と闘っている人達と比べれば小さなこと。自分が我慢すればいいだけの事だ。水桶から手を引っ込めて、前掛けで軽く手を拭いていると扉の方から物音がした。目をやると、ミリシャが水桶を運んできていた。
「エイレーン?」
自分自身、どのような表情をしているのかは分からない。ただ、表にだけは出さないように努めていた。それなのに、どうして彼女はいつも気付いてしまうのか。
「どうしたの? 具合が悪そうよ?」
駆け寄ってきて、水桶を置いてから、彼女はエイレーンの体に触れてくる。
だが、もう熱はこの傍らにある水桶に逃がしたため、何事もなかったように首を横に振った。
「そうかしら? 暗いから、そう見えるだけよ。私は何ともないわ。それより、ミリシャは大丈夫? しっかりと休憩とってきた?」
「え? あ、うん……」
流れるように、エイレーンは話を逸らす。出来るだけ、彼女には心配をかけたくはない。
「それじゃあ、私も水桶を換えるついでに、何か食べてくるわ。お腹空いちゃって」
熱を逃がして、お湯になったものが入っている水桶を抱えて、エイレーンは小さく笑う。
「すぐに戻ってくるから、何かあったら呼んでね?」
「分かったわ。休憩、ゆっくりしてきてね」
何か言いたげな顔をしつつも、ミリシャは頷く。それ以上は聞かれまいと、エイレーンはすぐに背を向けて歩き出した。
心の中で、何度も大丈夫だと繰り返しながらも、迫り来る不安の影に押しつぶされそうになるのを止めることは出来なかった。
翌朝、いつの間にかうたた寝をしていたのか、窓から差し込む朝日を眩しく感じたエイレーンは薄く目を開けて体を起こす。机の上に伏せって寝ていたらしく、体の節々が少々痛い。
「ん……あれ? 厨房……?」
そういえば、途中でロアとクシフォスに看病する人を交代した後、寝る前に朝の分の薬を作っていたのだ。そして、仮眠をとったことまでは覚えているが、そのまま朝を迎えたらしい。
「朝食作らなきゃ……」
あの人数分を揃えるとなると、やはりスープが一番手っ取り早いし、栄養も摂れて食べやすいだろう。 ミリシャとクシフォスが昨日、採ってきてくれた食材を使って、どのようなスープを作ろうかと悩んでいると、部屋の扉の所にミリシャが立っているのが目に入った。
「あ、ミリシャ。おはよう」
いつものように挨拶をする。だが、返事はない。
「ミリシャ?」
何となく、気配が違うように感じられたエイレーンは真っ直ぐと彼女に目を向ける。
瞳はどこを見ているのか分からない程に虚ろで、壁にもたれている身体は肩で呼吸している。そして、その表情は力なく、頬は赤かった。
「エ、イレ……」
言葉を繋ぐことなくミリシャはそのまま、前のめりに倒れる。
「ミリシャ!!」
素早く手を伸ばして、ミリシャの膝が床に着いてしまう前に何とかその身体を受け止める。布越しでも分かる程の身体の熱さにエイレーンははっとした。
「ミリシャ!?」
まさか、と思った。昨日まではあんなに元気で、いつものように笑っていたはずだ。
「どうしたんだ? ……え!?」
厨房に入ってきたロアもミリシャの姿を見て、驚きの声を上げる。
「熱があるみたいなの。すごく熱くて……」
「町の人達と同じ病か……!?」
ロアも膝を着いて、ミリシャの額に手を置き、表情を歪める。
「とりあえず、寝かせてあげよう。町の人達と同じ場所でいいかな? その方が一緒に看病出来るし」
「え? え、えぇ……」
すぐさまロアはミリシャを抱きかかえて、広間の方へと急ぎ足で向かう。一歩出遅れるようにエイレーンも付いて行った。
「イル! 寝床を用意してくれ! ミリシャが倒れたんだ」
広間で町の人達の様子を見ていたイリシオスは顔を顰める。一緒に看病を手伝っていたクシフォスの表情も、一気に険しいものになる。
「まさか、ミリシャまで倒れるとは……」
素早く布を引いて、そこの上にミリシャを寝かせる。額や首元から汗が噴き出ており、その苦しそうな表情が、町の人達と同じ病なのだと改めて実感する。
「とにかく、薬を飲ませてあげよう。まだ、朝の分は皆にも飲ませてないんだよな? ……エイレーン?」
ミリシャの傍らにいたロアが振り返ったが、エイレーンはただ、そこに立ち尽くしていた。
今、起きている現実が有り得ない、嘘だと言わんばかりに目を見開いて。昨日までとは違うミリシャの苦しそうな姿に目を離すことが出来ず、その状況を受け入れきれなかったのだ。
「エイレーン!」
幼いながらも、はっきりとしたイリシオスの声にエイレーンの意識は戻ってくる。
「しっかりせんか! ミリシャが倒れた。それならば、お主は何をせねばならぬ?」
子どもを叱るように、だが諭すようにイリシオスはゆっくりと言葉を吐く。
「ロアとわしはこのまま皆の看病を。クシフォスは簡単なもので構わんから、朝食を作ってくれ。エイレーン、お主は薬を作るのじゃ」
イリシオスに背中を軽く叩かれて、力の入っていた肩の重荷がふっと軽くなる。
「……大丈夫じゃ。命に別状がある状態ではない。お主は、お主に出来ることを」
自分の心の中を知っているような口ぶりに、エイレーンは込み上げてくるものを抑えてゆっくりと頷く。
「エイレーン」
厨房へと向かおうとしているクシフォスに呼ばれ、エイレーンは早足で付いて行った。
分かっている。分かっているのだ。
だが、何かが焦って、混ざり合って、どうしようもないのだ。自分の薬では助けられないと分かっているのに、それでも、自分にはそれしか出来ない歯がゆさが、一番悔しかったのだ。
夜は自ら看病の当番を買って出た。朝の高熱ほどまでではないが、少しだけミリシャの表情にも落ち着きが見られるようになり、エイレーンはほっとしていた。
未だに、ここで寝ている町の人達に病が治る兆しは見られない。この状況がずっと続けば、体力をかなり使うはずだ。そうなると、さらに身体の免疫が落ちて回復出来ないかもしれない。
「…………」
何か手があるはずだ。だが、あと一歩の所で届かないもどかしさに指の爪を掌に強く食い込ませる。
エイレーンはミリシャの傍らに座る。食事も少量ながら食べてくれるが、それでも明らかに食欲がないのは見て分かった。せめて、熱だけでも下がったらならば、寝やすいはずだとミリシャの方へと静かに手を伸ばす。
しかし、ミリシャの額に触れる直前に彼女の手によって、それは拒まれた。動くだけでも辛いはずなのに、力の入れられた右手は震えていた。
「……駄目、だよ……。それ、エイレーンが、辛くなる、でしょ……? 私、大丈夫……だから。お願い、それをしないで……」
その言葉の一つ一つが、頭と胸の奥へと深く染み込んでいく。目の奥が急激に痛み、鼓動が大きく脈打つ。
「知って……いたの?」
口からは掠れた言葉しか出てこなかった。ミリシャは、返事はしなかったが、小さく笑って、腕を下ろしてから目を閉じた。
そして、全てを理解してしまった。彼女は自分が魔女だと知っていたのだ。その上で、自分をここに置いてくれていた。
異端審問官から守ってくれた。全て、分かっていた上でそうしていたのだ。
知らずのうちに瞳から涙が溢れ出てくる。彼女の優しさに、自分の愚かさに。両手で顔を覆い、声を上げずに生温い涙を流し続けた。
自分の愚かさを悔やむ前にやることは何だ。そう、一つだけだ。この病の原因を突き止める。
そして、皆を治すために動くことだ。もう、異端審問官など恐れている場合ではない。自分がいつまでもここから出ずに時間が過ぎるのを待っていては手遅れになってしまう。
涙を拭い、エイレーンは真っ直ぐと顔を上げて決意する。今度こそ、救ってみせると。




