落ちることも身に知らず
次の日、クシフォスは森へ帰ろうとする際、ミリシャは案の定、ここで暮らしてもいいと言っていたが、彼はまだやることがあるからと断っていた。
恐らく、自分の件がまだ片付いていないのだろう。
「あ、そうだわ。明日ここで炊き出しをするの。良かったらあなたも来ない? もちろん、食べに来てもいいし、お手伝いなら喜んで待っているわ」
有無を言わせぬその笑顔にクシフォスもたじろいでいるように見えた。
「……時間があったなら、手伝いにいこう」
一度、頭を軽く下げてから踵を返そうとする直前にちらり、とエイレーンの方を一瞥してから背を向ける。その時、口元が小さく動いたのが見えた。「また来る」と。
なぜ、彼がそう口にしたのかは分からない。だが、胸の奥で何か自分の知らないものがざわついたことは感じられた。
「……さて、私たちも明日に向けて準備しましょうか」
「そうね。昨日、買い物したからある程度の食料は買い込めたけれど、出来るなら種類も増やしたいわ。いつもスープばかりだったから」
とりあえず、教会の中で何を作るか相談しようと四人は扉の内側へと入りはじめる。
しかし、何か視線を感じたように思えて、エイレーンは後ろを振り返った。
「…………?」
気のせいなのだろうか。誰かに見られている気がしたのだ。
「エイレーン? どうしたの?」
「あ、何でもないわ」
今までの生活が染み込んで、疑心暗鬼になりすぎているのかもしれない。ここに、自分の敵はいない。 だから、大丈夫だ。エイレーンは頭を振って、扉の中へと入った。
自分がこの教会に来て、二回目の炊き出しの日が来た。この炊き出しは誰かに指示されて行っているわけではなく、ミリシャ自身がやりたいと思って行っている。そのため、炊き出しする日が前後するが、大体は一週間に一度の頻度で行われていた。
炊き出しの前日に、町の人々に明日、炊き出しを行うと宣伝していたおかげだろう。いつもより倍の人数が来ているとミリシャは嬉しそうに話していた。
だが、人が多いという事は、それだけ手が必要だということだ。前回は二人で何とか回せたが、今回は四人でも少し大変なくらいの人数が来ているのだ。これほど多くの人がこの町に住んでいるとは知らなかったエイレーンは見たことのない人の多さに少々驚いていた。
今回、作ったのは茸と野菜のスープに、ミリシャ達から大好評だった魚にソースを塗って焼いたもの、森で摘んだ木苺である。いつもより多い品数に町の人も喜んでいるようだ。
そして、小麦粉が手に入ったため、小さなパンを作ってみたのだが、こちらもかなりの好評らしい。
「いつもありがとねぇ、ミリシャちゃん……」
「わしは、この日を楽しみに生きておってのぅ……」
「この魚料理、美味しいわねぇ。どうやって作っているの?」
「苺、すっごく甘くて美味しい!」
町の人々は子どもから年寄りまで、古着のような服を着ているが、その表情は明るいものばかりだ。やはり、それほどこの炊き出しの日を楽しみに待っていたのだろう。
その中心で、スープを次々と注いでは配っているミリシャも楽しそうだ。
「この町って、こんなにも人がいたんだなー」
少しだけ呆気にとられながらも、ロアは一人一つずつパンを配っていく。その隣でイリシオスは自らが作ったハーブティーを振舞っていた。
「思っていたよりも活気があるのぅ。あまり、人込みには行かぬゆえ、ここまで多くの人間を見たのは久しぶりじゃ」
「そうね……」
だが、この町をもう一度発展させるには、この人数では足りないのだ。
「おーい、ミリシャちゃん」
先日、ロアとイリシオスを運んできた男が、何か道具箱を片手に教会へと入ってくる。その後ろには体格の良い男が数人付いて来ている。
「あ、こんにちは。おじさんも、いっぱい食べてね」
「おうよ。それでな、いつもお前さんにご馳走になってばかりじゃ悪いと思ってな。男衆に声かけたんだが……。良ければ、教会の傷んでいるところとか、修繕させてくれねぇかな」
男は照れているのか右頬を指で掻いている。男の言葉にミリシャもぱっと笑顔になった。
「いいの?」
「勿論だとも。こう見えて前は大工の仕事をやっていたからな。……まぁ、この町じゃ仕事もないから出稼ぎに行くしかないが……。大船に乗ったつもりで、任せてくれや」
「ありがとう、おじさんっ!」
ミリシャの笑顔に他の男達も照れたように笑っている。
――――そうだ、これが彼女の魅力なのだ。彼女が頑張っているのをちゃんと見ていて、それでいて彼女のために何か出来ないかと彼らも考えていたのだ。
「よしっ、お前ら! まずは聖堂の傷んだ椅子を修繕するぞ! そのあとは壁の補強だ!」
「おうっ!」
男達は早速、聖堂の方へと歩いていく。その後ろ姿をミリシャは嬉しそうに眺めていた。
「良かったわね、ミリシャ。さすがに私たちだけだと、この教会の修繕は専門外で手が回せなかったからね」
「えぇ。さて、おじさん達の分もちゃんと残しておいてあげてね」
「勿論よ」
すると、今度は入口の方から子どもの泣き声が聞こえてくる。入口には六歳くらいの男の子と傍に屈んで、その子をあやしている母親の姿があった。
「あら、どうしたのかしら……」
「私、見てくるわ。ここの持ち場、少しお願いね」
エイレーンはその場をミリシャに任せて、入口の前にいる親子のもとへと向かう。
「こんにちは。どうかされたのですか?」
優しい口調で話しかけると母親の方は幾分、表情がほっとしたように見えた。
「えぇ……。ここへ来る途中、歩いていたらこの子が転んで、膝に怪我をしてしまって……」
男の子の前に屈むように座り、その膝を見ると、小さな膝からは血が滲み出ていた。
「あらら……すごい出血ね。もう、水で傷口に付いた泥は流されました?」
「そこの井戸をお借りしまして……」
この教会には井戸が厨房の近くと入口の横に二つあり、入口の方は誰でも使えるようになっていた。
「大丈夫? 痛い?」
「うぐっ……いたいよぉ……」
男の子は手の甲で涙を拭いながら答える。
「とりあえず、椅子の上に座らせてあげて下さい。傷薬があるので、持ってきますから」
「まぁ……すみません、ありがとうございます」
母親は深く頭を下げて、男の子の背中を優しく撫でながら、椅子へ座るように勧める。
エイレーンは早足で厨房の方へと向かった。昨日、森へ行った際に、傷に効く薬草を摘んでおいたものを籠の中に入れてあるため、薬を作る事は簡単だ。
厨房へ入ると、そこではクシフォスが皿洗いの真っ最中だった。彼は結局、朝一番に手伝いに来てくれて、今はこうして裏方を回してくれている。
手馴れたように手を動かし、大きな桶に水を溜めて一気に皿を洗っているようだ。異端審問官が腕まくりして、皿を洗う姿を普通の人が見たら驚くに違いない。
「お疲れ様、クシフォス」
「……この教会、皿が多くないか」
手を動かしながらも小さくぼやいているクシフォスにエイレーンは苦笑しながら、机の上に置いていた籠の中から薬草を数種類取り出して、ナイフで細かく刻んでいく。
「……薬か?」
「えぇ。子どもが転んで膝に傷を作っちゃったらしいの。ちょうど傷に効く薬草を摘んでいたから作ろうと思って」
必要な薬草を全て刻み終えて、石の乳鉢に入れて乳棒で更に磨り潰していく。その作業をクシフォスはじっと見てくる。
「え、っと……なに?」
「何が?」
「いや、そんなに見られるとやりづらいから……」
もう皿洗いは終わったのだろうか。彼の手はさっきから止まったままだ。
「薬を作る事に詳しいように見えたから、気になって見ていただけだ」
「そう? ……母さんに色々と仕込まれたからね。あとは独学だけれど」
母が生きていた時には、色々な種類の薬の作り方を教わった。薬というものは人に対して良いものもあれば、悪いものもあるため、両方知っておくことで、どのような状況にも対応できるようになると母は言っていた。
「森にいた頃は薬を作ることが私の生活を成り立たせる重要な仕事だったの。作った薬を店に買ってもらって、それで得たお金で他の食料を買って……。ずっとそうやって生きて来たの」
息をのむような呼吸が聞こえ、やがて、彼は「そうか」とだけ呟いた。
「よし、これで完成。あとは、包帯と……そうだわ。持って帰ってからも使えるように何か入れ物にいれてあげようかな……」
確か、壁に作られている棚に使われていない小瓶があったはずだ。それに入れて渡そう。
だが、棚は思っていたよりも高く、自分の身長どころか、クシフォスの身長ですら微妙に届かない位置にある。仕方なく椅子を引きずって、その椅子の上へと乗り、棚へと手を伸ばした。
一番手前にある小瓶を手にとり、椅子から降りようとした時だった。あとは降りるだけだと油断したのか、一歩だけ足がずれてしまい、椅子の上で体勢を崩してしまう。
「え、わっ……」
体勢を立て直すことは難しく、そのまま後ろへと体が傾いていく。
まずい、後ろにはクシフォスがいた。このままではぶつかってしまう。こんな時、咄嗟に魔法が使えればいいのだが、それどころではなく、身体が傾くままに身を任せるしかなかった。
そして、鈍い音と共に、椅子が派手に音を立てて倒れる音が重なった。
「――痛ぁ……」
思いっきり手と膝を石床についてしまい、かなり痛い。
だが、投げ出されたはずの身体は床の上にないのだとすぐさま気付く。思っていたよりも床の感触が柔らかいと思い、ゆっくりと目を開くとそこには見覚えのある服があった。
黒い瞳としっかりと目が合う。
「え…………」
「……平気か?」
瞳の奥に自分の姿がはっきりと見える程の距離。数を五つ程、ゆっくりと数えるくらいの時間だっただろうか。エイレーンははっと我に返った。
「えっ、って、えぇ!?」
彼の腕の中にしっかりと収まるように自分は受け止められている。手と膝だけが床の上に投げ出されただけで、身体はクシフォスに抱き留められていたのだ。
「怪我は」
「は? え、あ、ない、と思うけど……」
歯切れ悪く答えながらもどこに視線を向ければいいのか分からなくなり、俯いてしまう。
こんな状況に陥ったことがないため、どう反応すればいいのか困る。
今まで男性と話す事さえも稀なのだ。別に彼に対してやましい気持ちなど無いし、ましてやクシフォスは異端審問官だ。そんな彼が自分を助けてくれたなんて、何ともおかしい話だ。
「あ、あなたはどうなの……。重かったでしょ。怪我とかしていないの?」
さすがにずっとこの状態のまま話すのは気まずいため、エイレーンはそっとクシフォスの腕から解かれるように、ほんの少しだけ離れる。
「いや、怪我はない。……そろそろ退いてもらえないか」
「へっ? あっ、ごめんなさいっ……」
急いで立ち上がり、小瓶を持っていない方の手で服の裾を軽く払った。
「あー……。えっと、ありがとう、クシフォス」
「……あぁ」
とりあえず、お礼は言っておくべきだろう。だが、彼もなぜか自分と視線を合わせようとはしなかった。やはり、気まずかったのだろうか。
「それ、誰かに持って行くのだろう?」
クシフォスがエイレーンの右手に持っている小瓶を指差す。
「あ、そうだったわ……」
思い出したように、先ほど作ったばかりの塗り薬を小瓶に急いで詰めて、厨房を出る。すると、後ろからクシフォスまで付いてきていた。
「……手が丁度、空いたところだ。そちらを手伝おう」
その仏頂面はどう見ても、子どもが泣きそうなくらい無表情だ。彼は人と接する事が苦手のような気もするが、炊き出しの方は人手が足りていないので、その心遣いは感謝だ。
「ありがとう。でも、あなたも時間がある時に食事をとってね」
彼は無表情のまま頷く。
厨房から続く廊下は教会の入口の広間に直接繋がっているため、声が反響しやすい。エイレーンは人々の話し声を何となく聞きながら、広間へと向かっていた。




