昔語りの一夜
「おや、お主も眠れぬのか」
そこには高い椅子にちょこんと座って、お茶を飲んでいるイリシオスがいた。エイレーンは少しほっと息を吐き、厨房の中へと入って、彼女の隣へと腰掛ける。
「そういうあなたこそ」
「うむ。寝付けないのでな。お茶でも飲んで一息していたのじゃ。どうだ、一服せぬか?」
イリシオスは椀をもう一つ取り出して、そこにお茶を注いでいく。
「ありがとう、いただくわ」
エイレーンは目の前に出されたお茶を一口、口へと含む。香り高い葉が少しの渋みと一緒に口の中へと広がっていく。
「あなたのお茶って、何だか独特な味だけれど、とても深い味わいで美味しいわね」
「ふぉっふぉっふぉ。何せ、作ってきた年数が半端ないからのぅ。そりゃあ、上手くもなるさ」
まるで、長い年月を生きてきたかのような口ぶりだ。すると、彼女はふっと目を細めた。
「あぁ、あやつもこの茶を好いておったな……」
「え?」
「……お主もそろそろ気付いておるじゃろう? わしが普通の人間とは違う、と」
その言葉に思わず、どきり、と胸が高鳴り、エイレーンはイリシオスの顔を思わず見てしまう。彼女はにんまりと笑っていた。
「もちろん、お主が何者かも分かっておる。安心せい。ミリシャには言ってはおらん。まぁ、ロアは言わずとも気付いているだろうが」
「そう……やっぱり分かっていたのね」
イリシオスやロアに正体が知られてしまうのは構わないが、ミリシャにだけは知られたくなかった。それは、彼女を裏切るような気がして、とても口には出せないのだ。
「わしもこう見えて魔女の端くれじゃからのぅ。……クシフォスと言ったな、あの男。あやつは異端審問官じゃろう?」
「そこまで分かっていて、どうして黙っていてくれたの?」
彼女も魔女だというのであれば、自身に危険が及ぶと思わなかったのだろうか。
「何か事情があると思っての。それに、あやつはどうも普通の異端審問官とは違う」
「えぇ。彼は魔法が全く効かない上に、魔女と普通の人を見極めることも出来るんですって」
少々呆れ気味にエイレーンが肩を落とすと、イリシオスは楽しそうに破顔する。
「ほぅ! 珍しいのぅ。昔、そのような人間の噂をちらっと耳にしたが、本当にいるとは……」
「……あの人は私が犯していない罪の無実を証明するために、追いかけてきたの。おかしな異端審問官もいるのね」
だが、彼は一言も、あの村で起こった事がエイレーンのせいだとは言っていない。彼はただ、自分の無実を証明するとだけしか言っていないのだ。
「そういえば、彼があなたを見た時、空っぽだって言っていたわ。何でも人の魂の炎が見えるらしいの。他の人や魔女だったら黄色や青色の炎が見えるのにイリシオスだけ空っぽだって」
そう告げると、そこでイリシオスは初めて困ったような、泣きそうな顔をする。
「……それは、わしが魔女でありながら魔力を全て失っているからじゃ」
「え? 魔力を? ……でも、どうして?」
イリシオスは一口、お茶を口へと含め、息を深く吐いてから椅子に背中をもたれ掛ける。
「随分と昔の話じゃ。気が遠くなるほどの遠い、遠い昔の話……」
少しずつだが、イリシオスは口を開いた。
「わしはかつて、とある国の魔女の一族の子として生まれた。その一族は大いなる魔力を持ちながらも、その国の繁栄のために尽力しておった」
魔女が国に認められているなんて、まるでおとぎ話のような話だ。
「その中でわしは一族全ての英知と魔力を結集させたような子どもでな、つまりは天才だった」
幼い姿の彼女の見た目は十二歳いくか、いかないくらいの年頃だ。
「その国はとても繁栄しておったよ。富も、名誉も、豊かさも、地位も国土も全てが揃っておった。だが、その国の王は全てを手に入れて、次は何を考えたと思う?」
意地の悪そうな顔で、イリシオスがにんまりと口の端を上げる。そこで、エイレーンははっとして、顔を上げた。
「まさか……不老不死?」
その答えに、彼女は大きく頷いた。
「本当に……本当に愚かだったよ」
その瞳は天井を見ているのではなく、遠い虚空を見つめていた。
「わしは一族を代表して、王の不老不死の儀式を取り仕切る主祭者としてその魔法を行うことになった」
「って、不老不死の魔法は実在していたってこと?」
この世で魔法でも変えられないものはある。それは時間、命といった複雑なものだ。魔法による命令式を組み立てるのは、難しいことではない。例えば植物などであれば時間を止めることは可能だ。
だが、今流れている時間自体を止めたり、戻したりする事は難しい。それは一つの時間に自分だけではなく他者も関係しているため、今を生きる全ての人に関わる時間を一度に戻すなど出来ないのだ。命も時間と同じで複雑な命令式を与えなければならないため、実現させるのは難しいだろう。
「あれは……不老不死の魔法というよりも呪いに近いものだった。それを見極めることが出来なかったのじゃ」
イリシオスが主祭者としてその魔法を行った時、それは起きたのだという。
「……全てが一瞬にして真っ白になった。その光が消えた時、自分以外にその場に立っている者は一人としていなかった。王も、一族の者も、国民も誰もかもがその場に倒れていた。……後からもう一度、その魔法について研究しなおしてみると、多くの生贄を必要としたものだったと分かった。そして、不老不死になるのはその魔法を行った主祭者だったというわけじゃ」
どこか自嘲めいたように呟くその横顔にエイレーンは胸が強く締め付けられた。彼女は一瞬で、孤独の身となったのだ。
「なぜ、しっかりとその魔法について調べなかったのか。なぜ、王の不老不死に反対しなかったのか。それはな、全てのことが出来ると自分自身に傲慢で愚かな自信を抱いていたからじゃ」
唇を噛み締めるその表情はもう、その時には戻れないのだと悟っていた。
「なんと浅はかだったのだろうと、自分自身に絶望したよ。泣き叫んでも、もう誰もおらぬ。誰も戻って来ぬ。広い国で一人ぼっちになり、何日も泣き続けた。そして、気付いたのじゃ。魔力の全てを失っていることに」
エイレーンは思わず息を飲んだ。
「よいか、エイレーン。魔女というものは自分自身に絶望すると、魔力を失ってしまうのじゃ。魔力は魔女にとって、中心で心を映すもの。自分というものを信じなければ魔法は使えぬ」
「自分の心を映す……」
絶望することはあった。それでも魔力を失ってはいないということは、自分に絶望していなかったということか。
「簡単な魔法さえも使えず、わしはただ、生き続ける事しか出来ない体になっていたのじゃ」
イリシオスは自身の小さな両手を見つめる。その昔、彼女はその手でどれ程の魔法を使いこなしてきたのか、想像することは出来なかった。
「それから、長い時間をわしは一人で彷徨った。たまに同じ時を過ごしてくれる者もいたが、わしにとっては一瞬だった。それが当たり前のようで、辛くも悲しくもあった。あと、どれ程の別れを超えて生きて行けばいいのかさえも分からない。そう考えるほど、さらに絶望し、孤独を選んでいった。……そんな時、あやつと出会った」
そこでふっと、やっとイリシオスの表情が和らいだのが分かった。
「名をロザと言ってな。森を歩いていたわしの目の前に現れて、暇なら自分の友達になれと言ってきたのじゃ」
懐かしむような、呆れているような、そんな笑顔で彼女はくしゃりと笑った。
「特に行く場所もなく、時間は余る程あったからのぅ。暇潰しにと思って、ついて行ったが……それからずっと彼女の傍に居た。お茶を淹れて話をして、馬に乗っては遠くへ行って……。楽しかったよ、本当に。……だが、やはり同じ時間は過ごせなかった」
惜しむ、その声にいつものような覇気はなかった。
「彼女は年をとり、病床に就いた。わしは傍で昔の話をして気を紛らわせようとしていたのじゃ。だが、ロザは気付いておった。……このわしが、寂しさに堪えていることに。すると、彼女はこういった。自分の孫があなたの友達になってあげる。だから、寂しくはないのよ、とな」
その言葉に、エイレーンは何か引っ掛かるものを感じた。
「ねぇ、その孫ってまさか……」
エイレーンが気付いた事に、イリシオスも正解だと言わんばかりににやりと笑う。
「ロアじゃ。本当に気質も中身もそのまま、ロザにそっくりじゃ。ロアもロザが好きで懐いておったからのぅ。ロザが死んだ時は大泣きして、三日程泣き止まなかったくらいじゃ」
あの元気で、明るいロアが大泣きするほど、大好きな人だったのだろう。その気持ちは分からなくもない。自分だって、母が亡くなった時は悲しくて寂しくて仕方がなかった。
「だが、前に話したようにロアの兄はわしの事が嫌い……というよりも魔女が嫌いでな。父親が亡くなり、当主の座が兄に譲り渡された途端にわしの追い出しに掛かったのじゃ」
「……あなたは、魔女だとその家では皆に知られていたのに、異端審問官が捕まえに来たりしなかったの?」
「あぁ、もちろん来たぞ。だが、ロザが存命の時には、彼女が門の前に立って、剣を相手に振り回しながら追い返しておったわ! ふぉっふぉっふぉ」
さも愉快そうに笑っているが、ロアの祖母は余程、イリシオスを大事にしていたのだろう。
「……そういえば、ロアってあなたの事をイルって呼んでいるわよね? どうして?」
愛称のようなものだろうと思ったが、何となく気になっていた。
「それはじゃな、イリシオスという名前はわしの国の言葉で『愚者』という意味なんじゃよ。ロアはその呼び方が嫌いで、ロザと同様にイルと呼びたいらしい」
「愚者、ね……」
「間違いではないだろう。わしはこの名前、気に入っておるぞ」
「本当の名前もあるの?」
「あった。わしがただの子どもだった時にな。だが、こっちの方が似合っておる」
本当にその名前を気に入っているらしい。そこでふと、自分がイリシオスに聞こうと思っていたことを思い出す。
「ねぇ、イリシオス。あなた、『ローレンス』の名を持っている人に会ったことある?」
「ローレンス……。それは、魔力が高い一族だったって有名なやつかの?」
「そう! それ!」
イリシオスは考え込むように腕を組む。
「うむ……。わしもローレンス一族は噂程度にしか聞いたことがないからのぅ……。何せ、奴らは自分たちが魔力を持っている事を外に漏らさぬように生きている一族と聞いているからな」
長生きしているイリシオスでさえ、ローレンスの者には会ったことがないようだ。それほど、一族の者達は用心しながら生きていたということだろう。
「探しておるのか」
「えぇ。……私の母が若い頃に住んでいた村に異端審問官がやってきて、それから一族は散り散りになったらしいわ」
エイレーンが悔しそうに表情を歪めるとイリシオスは困ったような笑みを浮かべながら頷く。
「ふむ。もし、魔力が高ければ、わしが気付くからな。今後、そのような者がいたら、声をかけておこう」
「ありがとう。助かるわ」
「だが、お主はいいのか? このような場所に居ては目立つぞ?」
呆れというよりもただ、心配している口ぶりだ。彼女自身も異端審問官は敵だからだろう。
「私は……元々、森に住んでいたのだけれど、もう戻れないの」
「何じゃと?」
少しだけ、イリシオスの眉が真ん中へと寄せられる。
「さっきも言ったでしょ? クシフォスに追われていたって。……私が住んでいた森の近くの村に魔物が襲ってきたの」
エイレーンはぽつりぽつりと、自身に起きた事を話し始める。
そういえば、家を出てからここに来るまで、自分の話を誰かにちゃんとしたことはなかった。イリシオスは神妙な顔をしながら、話を最後まで聞いてくれていた。
「それで今日は、ここでちゃんと人に害をなさずに生活出来ているか、という事をクシフォスに見てもらうために来てもらったのよ」
「なるほど……そういう経緯じゃったか。いやー、突然、異端審問官が訪れてきたから内心驚いておったわ」
「驚かせてしまって、ごめんなさいね。でも、彼は私を捕まえたいというよりも、ただ無実を証明させたい、って感じだったから、無理に捕まるって事はないと思う、けど……」
そこで、エイレーンの口調が段々小さくなっていく。
「何じゃ、どうした?」
「クシフォスがね、この町にも他の異端審問官が来るから、逃げるなら早い方がいいって」
「逃げる、か。お主は悪くないのだろう?」
「えぇ。……でも、私がここに居れば皆に迷惑がかかるかもしれないわ」
「……お主はここに居たいのか?」
「居たいわ」
はっきりと、迷いなくそう告げる。
「私はここに居たい。もっと、ミリシャの支えになりたいの。ただ、恩返しがしたいだけではないわ。……ミリシャを見ているととても胸の奥が痛むの。一人で一生懸命にこの町の人達のために何か出来ないかって、考えて、それを実行出来るのは凄いと思うわ。でも、彼女が頑張れば頑張るほど、何だか押し潰されそうな気持ちになるのよ……」
実際、頑張っている彼女はとても楽しそうにも見える。だが、それは孤独な気持ちを自分自身に隠すために行っているのかもしれない。
「……そうだな。うむ。……だからこそ、皆、彼女に惹かれるのだろうな」
イリシオスもミリシャに対して、何か別の思いでも抱えているのだろうか。遠くを見るような瞳は穏やかだった。
その時、厨房の扉がゆっくりと開かれ、二人は同時に扉の方へと振り返った。そこには、蝋燭の光に目を眩しそうに凝らしながら部屋に入ってくるミリシャがいた。
しまった。先程の話が全て聞かれていたかもしれないと、エイレーンは反射的に構えたが、彼女の口からはのん気、というよりも少し眠たそうな声で欠伸しながら一言呟いただけだった。
「あれ? 二人とも、どうしたの?」
「起こしてしまったかの」
「ううん。寝付けなかったから、水でも飲もうかと思って。二人も?」
ミリシャは首を伸ばすようにテーブルの上にある二つの椀を見る。
「まぁな。ミリシャにも茶を淹れてやろうかの」
「いいの? ありがとう」
嬉しそうな顔で、彼女は何事もなく自分の隣へと座ってくる。もしかすると、話を聞かれたと思っていたのは危惧だったのだろうか。
「ん? どうしたの、エイレーン?」
イリシオスに淹れてもらった茶を吐息で冷ましながら、ミリシャがこちらを振り向く。
「あ、何でもないの。ちょっと、ぼーっとしていただけ、だから……」
「そう? ……んー。イリシオスのお茶も美味しいわねー」
「ふぉっふぉっふぉ。褒めても何も出ぬぞ」
もし、自分が魔女だとミリシャに告げたなら、彼女はどんな顔をするだろうか。
やはり、村人達のように嫌悪して、異端審問官に突き出すのか。もしくは一緒に居てもいいと、笑ってくれるだろうか。分からない。分からないこそ、その時が来たら怖いのだ。
エイレーンは椀に口をつける。淹れて貰ったお茶はいつの間にか冷めてしまっていた。




