濡れた瞳の灯火に気付かず
夜、それぞれの部屋に戻り就寝しようとしている時間に、エイレーンはクシフォスが泊まっている部屋の前へと来ていた。
「…………ふぅ」
深呼吸する。ただ、部屋に入って話をするだけだ。だが、なぜか緊張してしまう。何度も右手を扉に触れようとして、止めて、考えて。
この行為をもう何回やっただろうか。
よし、今度こそと右手を扉に伸ばした時だった。叩こうと思っていた扉が内側から開けられ、特に表情のないクシフォスが中から出てきた。
「あっ……」
「さっきから、何をしているんだ」
エイレーンはやり場を失った右手をさっと隠す。
「よ、よく分かったわね。私が扉の向こうにいるって」
「……魔力の気配を感じたからな」
クシフォスは目で部屋に入れと促す。エイレーンは小さくお邪魔しますと言いながら、扉を閉める音が廊下に響かないように静かに閉めた。
部屋には自分の部屋と同じく、ベッドと机と椅子しかない。クシフォスは椅子をベッドの前へと引きずって、そこにエイレーンを座らせて、自分はベッドの上へと腰掛ける。
「へぇ、さすがは異端審問官なのね」
「いや、俺だけだ。他の奴は魔力を感じることは出来ない普通の人間だ」
「そうなの……」
「それで、何か用があったのだろう?」
「えぇ。……あなたが今までに出会った魔女や魔法使いの中で『ローレンス』の名を持っている者はいなかったか聞きにきたの」
エイレーンがそう告げると、クシフォスはどこか驚いたように目を見開く。
「私は会ったことがないけれど、親族なの。だから、どうしても見つけたくて。あなたなら、沢山の魔女や魔法使いに会っているはずだし、その中に一人でもいたなら、教えて欲しいの」
挑むような瞳でエイレーンはクシフォスを真っ直ぐ見る。驚くように目を見開いていた彼はやがて静かに目を閉じて、一呼吸してから目を開ける。
「……俺が今まで出会った者達にも、今まで異端審問が行われた人間の記録にも『ローレンス』の名を持つ者はいなかった」
心のどこかで期待していたが、やはり駄目だったようだ。エイレーンは唇を噛み締めながら、椅子に背中をもたれるように座る。
「だが、もしかすると、捕まっていないのかもしれない」
「……え?」
「記録になかったということは、異端審問官に捕らえられていない可能性もあるということだ。……どこかで、君のように密かに生活しているのかもしれない」
落ち込む自分を励ますつもりなのか、それともただ単に事実を淡々と述べているだけなのか、どちらなのかは表情からは読み取る事はできない。
「……そう、ね。うん、きっと、そうだわ。ローレンス一族はとても魔法に長けた者達ばかりだったらしいもの。きっとどこかで、正体を隠して、静かに暮らしているわよね」
何度も頷くエイレーンにクシフォスも口元を少しだけ緩める。
「ありがとう、クシフォス。……もし、この先でローレンス一族の者に会ったなら、私はこの教会で元気に暮らしていると伝えておいてくれる?」
「分かった。いいだろう」
異端審問官だが、彼なら信用出来る。するとクシフォスはふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、あのイリシオスと言う者……」
「あぁ、イリシオスはね、ロアと一緒に行き倒れていたの。ミリシャを手伝いたいってことで今、一緒に暮らしているのよ。……彼女がどうかしたの?」
「彼女は魔女のようだ」
「え……」
突然の告白に、エイレーンは言葉を詰らせる。
「といっても、このような場合は初めてで、何といったらいいだろうか。……正確には魔女だった、と言うべきか」
「どうしてそんな事が分かるの?」
エイレーンは詰め寄るようにクシフォスに顔を近づける。
「……俺には二つの力みたいなものがある。魔法を一切受け付けない力と魂の炎が見える力だ」
「魂の炎?」
何だかよく分からない話にエイレーンが首を傾げるとクシフォスは複雑な表情で頷いた。
「例えば、魔力を持っている者は胸の真ん中辺りに青色の炎が見えるんだ。持っていない者は黄色の炎。罪を重ねた者は赤黒い炎。しかし、それに属さない者もいる」
今度はクシフォスがエイレーンを真っ直ぐに見つめてくる。
「それが君だ、エイレーン。君が宿すのは白い炎なんだ。その理由は分からない。だが、君の持つ炎はとても美しく、輝くように燃えている」
彼の瞳は自分を捉えているはずなのに、どこを見ているのか分からかった。何か、自分の中の奥にあるものを見つめているようだった。
「だが、イリシオスは違う。気配は間違いなく魔女なのだが、炎が見えない。普通の人間の黄色でもなければ青色でもない。……空っぽだった」
「どういうこと?」
「分からない」
それだけ呟き、クシフォスは黙ってしまう。
「もしかすると、君が魔女だということも知っているかもしれない」
「っ……」
魔女は他の魔力を感じとれるのだ。自分はイリシオスの魔力を感じ取ることは出来なかったが、彼女も魔女だというのであれば、とっくに自分が魔女だと気付いている可能性もある。
だが、気付いていたとして、何も言ってこないのはなぜだろうか。彼女自身に何か思う所があるということかどうかは分からない。
「……教えてくれて、ありがとう」
エイレーンは顔を上げて、クシフォスに困ったような表情でお礼を言う。
「機会があれば、彼女とも話してみるわ」
もしかすると「ローレンス一族」の事について何か知っているかもしれない。
エイレーンが立ち上がり、扉に手を触れると、後ろから独り言のように言葉をかけられる。
「……この町にも直に他の異端審問官が来る。彼らは俺のようなやり方で魔女狩りはしない。逃げるなら、早い方がいい」
まるで、この町から、この教会から遠くへ逃げろと言っているようだった。
「……異端審問官なのに、おかしな人ね。……でも、私はここに居たいの。逃げないわ」
真っ直ぐと見つめるクシフォスの瞳は雨で濡れたように真っ黒で、だが、今にも泣き出しそうに揺れていた。
「……分かった。気をつけろよ」
「えぇ。ご忠告、胸に刻んでおくわ」
頷いて、エイレーンは廊下へと出る。
再び音を立てないように気をつけながら扉を閉めて、自室へと戻ろうとしていたが、物音が聞こえたような気がして、階段の方へと足を進めてみる。
「…………誰か起きているのかしら」
階段の下では、明かりが漏れているのが見えた。たしか、階段下の廊下の向こう側は厨房だ。エイレーンは階段をそっと下りていき、厨房の扉を静かに開けた。




