自覚する穏やかな時間
夕方、クシフォスが来る直前にミリシャとロアも帰って来た。手には大きな荷物が抱えられている。恐らく、売ったお金で新しく食材を仕入れてきたのだろう。
「うーん、いい匂いだなー……。今日の晩飯は何だ?」
ロアが表情を和らげながら、厨房へと入ってくる。
「茸が生えていたから、スープとソテーを作ってみたの。あ、駄目よ。つまみ食いしたら、ロアの分はないからね」
「へいへい」
「こっちの皿のものは何? なんだか、お菓子みたいだけど」
ミリシャも荷物を置きながら、机に並べられた皿を眺める。
「それは胡桃を砕いて、木苺と混ぜて平たくしたものを型でとって、焼いてみたの」
「すごいわ……エイレーンってば、何でも作れちゃうのね」
感心した瞳でミリシャは笑っているが、そう素直に褒められると何だかこそばゆい。
「そんなことないわ。……全部、母が教えてくれたものばかりだもの」
出来れば、母の作った味に近づけたいが、未だにそれが叶うことはない。
「だが、これだけ出来れば上出来じゃのう。……それほど、今日の来客が楽しみだったのか?」
いつのまにかイリシオスまでが厨房に来ており、飲み物の準備を始めていた。彼女はこう見えて、茶葉を作るのが趣味で、森へ行く際は色んなハーブの葉を頼まれることがよくある。
「べ、別に……そういうわけじゃないわ。ただ、私が新しい場所で、どういう生活をしているのか、見てもらうためよ。……あとはミリシャが見て見たいって……」
「そうそう。この前はちらっとしか見ていないからね。エイレーンの知り合いだもの。ちゃんとお預かりしていますって、ご挨拶しなきゃ」
「ご挨拶って……」
そこに、どこか遠くで扉を叩く音が聞こえた。これは、教会の入口の大きな扉をノックする時の音だ。取っ手の部分だけ金属で出来ているため、扉の内側の広い空間にはよく響くような作りになっているのだ。
「わ……私、行ってくるわ。あっ、スープ、人数分注いでおいて!」
苦笑している三人にそれだけ言い残し、エイレーンは早足でその場を去る。
教会の廊下を小走りで通り抜けて、急いで内側から大きな扉を開けると、そこには異端審問官の姿ではない、普通の青年の姿をしたクシフォスが立っていた。
「いらっしゃい」
「……魔女が教会に住んでいる、というのも中々聞かない話だな」
少しだけ不思議そうな顔をしながら、クシフォスは教会の中へと入る。
「そうね。神様も意外と心が広いんじゃないかしら」
くすくすと笑いながら、エイレーンはクシフォスにこっちの廊下だと、告げる。厨房へ入ると頼んでおいたスープと飲み物が席に一つずつ並べられていた。
「お、そいつがクシフォスってやつか。俺たちと同じくらいだな」
真っ先にロアが近づいてきて、クシフォスに右手を差し出す。
「俺はロア。あっちがイリシオスで、こっちがミリシャ。よろしくな!」
「……あ、あぁ。」
ロアの人懐っこさに戸惑っているのか、クシフォスは少しだけ驚いたような表情で頷く。
「ほう、中々の男前ではないか。エイレーン、良い奴を見つけたのう」
からかう口調でイリシオスが低く笑う。
「だから、違うってば!」
エイレーンはクシフォスを席の方へと誘導する。
「初めまして、クシフォス。この前、少しだけ会ったけれど、覚えているかしら」
「……森の中で、エイレーンと一緒にいた」
「そうそう。エイレーンがね、あなたと仲直りしたって言ったから、会ってみたくなったの。エイレーンと喧嘩するくらいだもの。どんな人か気になって」
どうやらミリシャは自分たちが喧嘩して、クシフォスが自分を追いかけてきたのだと勝手に勘違いしているらしい。それはそれで面倒な説明がいらないから良いのだが、イリシオス辺りは別の方向へと持っていきそうな気がする。
「……あの時は驚かせてしまってすまない。だが、もう、何ともない」
抑揚のない声でクシフォスははっきりと答える。
「それなら、良かった。さて、エイレーンがせっかく、はりきって作ってくれた夕食だもの。冷めないうちに食べましょう!」
楽しそうににこにこ笑いながら、ミリシャはエイレーンの隣へと座る。クシフォスも一度、エイレーンの方へと視線を向けて、頷いてから座った。四人だった食卓に、もう一人が加わる。
だが、昔から一緒に食卓を囲んでいたような気分になるのはなぜだろうか。
ミリシャは料理を美味しそうに食べつつ、今日の買い出しの事をイリシオスに話している。クシフォスとロアは歳が近いのか普通の青年のように会話をしていた。
……これほど穏やかで、温かい世界があったのね。
この何気ない温かな食卓にエイレーンは目を細めて、眺めていた。
「へぇ、じゃあ、今は森の小屋に一人暮らししているのか」
感心したようなロアの言葉にエイレーンは我に返る。
「勝手に小屋を借りているだけだ。……あの森にはあまり人が来ないみたいだな」
「そうなの。人を襲う獣が多くて、町の人は怖がって森には近づかないの。……その問題が解消出来たら、食糧不足も少しは改善出来ると思うのだけれど……」
確かにそう思う。
だが、森に住み着いているのは「獣」ではなく「魔物」だ。並みの人では簡単に倒すことは出来ない。それを専門に退治する仕事をしている者や自分のような魔の力が使えるものでなければ、かなりの危険が伴うだろう。
「お主、森で獣に会わなかったのか?」
「いや。だが、夜になると小屋の周りに何か集まってきているのか、気配がするのは分かる」
「まぁ……。ねぇ、それなら、今晩は泊まっていきなさいよ」
その瞬間、ロアとイリシオスが「やっぱり」という顔をして苦笑する。この二人に会った当日に一緒に暮らさないかと言っているミリシャだ。そうくると思っていたのだろう。
さすがに、その申し出にクシフォスも目を丸くして固まっている。
「だって、もう夜も近いし。今から帰るのは危ないわ。部屋ならいくつもあるから大丈夫よ。それに、泊まってくれた方がエイレーンも安心すると思うし」
「どうしてそこで私が出てくるのよっ! ……確かに、夜にあの薄暗い森を歩くのは危険だわ。ここはミリシャの言うとおりにしておくのが賢明ね。何せ、彼女、言い出したら引かないから」
「ふふっ。よく分かってるじゃない」
楽しそうにミリシャは口元を袖で隠しながら声を上げて笑う。二人のやり取りを見て、クシフォスからふっと息を漏らす音が聞こえた。
「……では、一晩だけ世話になろう」
そう言って、頭を下げる。やはり、彼は自分が聞かされていた異端審問官とは別物のようだ。
……もう、彼は自分にとっての敵だと思わなくていいわよね。
どちらかと言えば、思いたくはないと言った方が正しいかもしれない。本来ならば、異端審問官は魔女の敵で、自分たちはここ数日に会った仲だ。
だが、なぜかその関係がしっくり来ないのである。心の奥底でもやもやと霧が立ち込めていて、その先が見えないような感覚だ。だから、その奥が知りたかった。クシフォスと交流していれば、見えるかもしれないその霧の先が。
……でも、その前に聞かなければならないことがあったわ。
自分の願いでもあり、母の願いだ。今はまだ皆がいるため聞けない。
ふと、クシフォスがロアの話を聞いている途中に、エイレーンの方へと視線を向けてくる。目が合った。ほんの数秒だったが、はっきりとその瞳に自分が映っていた。
しかし、瞬きをした瞬間にその視線はロアへと戻る。ロアの方は話に夢中なのか、気付いていないようだ。その一瞬が何だかこそばゆく感じられ、イリシオスの淹れてくれたハーブティーを一気に飲み干した。




