誘い、尋ねる言の葉は
次の日、エイレーンは朝から森へと来ていた。
今日はミリシャとロアが一緒に二つ隣の町まで食料を買いに出ている。昨日の魚を少しだけ売って、得たお金で別の食材を買ってくるらしい。イリシオスはのんびりと畑仕事でもして待っていると言っていた。
手持ちの籠の中には布で包んだお昼ご飯が二人分入っている。
「小屋ってどこなのかしら……。ミリシャに聞いておけば良かったわ……」
森は北と南に分かれており、北に位置するこの森は普段、町の人間は立ち入らないという。それは森に住んでいる獣が人を襲うので、ミリシャでさえ森の奥までは入らないと言っていた。
獣というのは恐らく魔物のことだろう。人間が森へ入ってこないことをいいことに、数を増やしているに違いない。
放っておけば、町の方まで魔物が下りてくる可能性もある。やはり、結界を張っておいた方がいいだろうか。
「小屋っていうからには、川の近くのような気がするんだけれど……」
そう思い、小川に沿って歩いてみる。今日は会う約束などはしていないので、もしかするとクシフォスに会えない可能性もあるが、何となく今度は自分が彼を探してみたかった。
小川の水は太陽の光に反射して、きらきらと輝いている。水面下には小さな魚達が群れで泳いでいるのが見えた。川沿いの道は、以前は誰かが使っていたのか、まだそれほど草は伸びきっていないため、歩きやすかった。
「ここ辺りにも、人が訪れやすくなればいいのに」
南だけでなく、北の森にも人が食料を採りに来ることが出来れば、この町の食料不足が少しは解決するかもしれない。やはり、見回って魔物を定期的に討伐していった方が良いだろう。
川のせせらぎと森のざわめきに耳を澄ませているとどこかで水を叩くような音が聞こえ、顔を上へと上げた。少し先の小川の淵に立っている人影が見えた。
「……あ」
「…………」
目が合った。どうやら彼は自分の服をこの小川で洗濯していたらしく、手には濡れた外套が水面を泳いでいた。上半身の服はすでに洗っているのか、何も着ていない。
「あら、ごめんなさいね。まさか洗濯中だなんて、思っていなかったから」
何事もなかったように装いながら、クシフォスに近づいていく。
このくらいで動揺などはしないが、彼は何でここにいるんだと言わんばかりに口をぽっかり開けている。それを見て、エイレーンは小さく笑った。
その場所は拓けており、彼が言っていた通り少し古びた小屋があった。近くにある木々の間に紐を通して、そこに洗濯物をかけているらしい。
「本当にここに住んでいるのね」
興味深く小屋の中を覗き、周囲をぐるぐると散策する。
ここは以前、木こりの仕事をしていた人達が、休憩場所として利用していた小屋なのかもしれない。そのため、小屋の中には、普段の生活に使える鍋や水桶、布団の無いベッドなどがあった。
その時ふと、彼が首に下げている青い石に目を奪われ、思わず凝視してしまう。
「……何か用か? 昨日会ったばかりだぞ」
その声にはっとして、その石から視線をはがした。外套を洗い終わったのか、クシフォスはその姿のままで洗濯物を干しに行く。
水しぶきが顔にかかったのか、それを手の甲で軽く拭い、エイレーンの方へと振り向く。異端審問官の服装をしていなければ、どこにでもいそうな青年だ。
「えぇ、あなたに用があって来たの」
エイレーンは小屋の入口付近にある階段の上に腰掛けて、クシフォスに手招きする。
一瞬、訝しげな表情をしたが、クシフォスはそのままエイレーンの隣に座った。よく見ると髪も濡れており、これほど間近に来るとは思っていなかったので、目のやり場に困ってしまう。
「え、っと……昼食は食べた? 昨日これを作ったんだけれど、良かったら一緒に食べない?」
手持ちの籠から布の包みを二つ取り出して、クシフォスに手渡しする。クシフォスは首を傾げながらもそれを受け取り、その包みを開いていく。
「……魚?」
「そう。大きめの菜っ葉に魚を包んでいるの。ハーブと野草を細かく砕いて、ソースみたいに塗って焼いたものでね。味は少しだけ辛口で……」
説明をしていたエイレーンははっとして、クシフォスの方を見る。彼はただ、じっとその両手にある包みの中身をじっと見ていた。
「魚、嫌いだった?」
ちゃんと確認した上で、作れば良かっただろうか。だが、クシフォスは顔を素早く上げて、横に首を振った。
「いや、久しぶりだったから」
「久しぶり?」
「……ちゃんとした料理を食べるのは久しぶりだ、ということだ」
目を逸らし、クシフォスは小さく「いただきます」と呟いて、エイレーンの作った料理を食べ始める。 どうやら、嫌いというわけではないらしい。もぐもぐと無言で食べるクシフォスを横目で見ながら、エイレーンは小さく笑い、自らも食べはじめる。
昨日はこの料理がミリシャ達から大好評だった。どうやら、初めて食べた味らしく、大変気に入ったらしい。この料理名は知らない。随分昔に母が作ってくれていた料理だったが、恐らく創作料理だったのだろう。
森の中で食事を摂るのは久しぶりだった。あの頃は一人だったが、今はミリシャ達と一緒なので、寂しいと思う事が少なくなったような気がする。
「ねぇ、クシフォス」
「何だ」
食べかけのまま、エイレーンは手を止めて、クシフォスの方へと向き直る。
「良かったら、今日の夕方、教会に来ない?」
「……は?」
「あぁ、ごめんなさい。言い方が悪かったわ。今、私、教会でお世話になっているの」
エイレーンの言葉にクシフォスも食べていた手を止める。その顔は驚きそのものだった。
普通に考えて魔女は「神」の敵とされているにも関わらず、魔女が「神」に祈りを捧げる場所である教会の世話になっているというのだから、驚くのも無理はない。
「それでね、昨日あなたの話をお世話になっている子にしたら、是非連れて来てって。一緒に夕飯を食べないかって……。どうかしら?」
その言葉にも彼は固まったままだ。濡れ髪の雫だけが地面へと落ちていく。
「……俺は異端審問官だぞ?」
「そうね。でも、あなたの監視対象は私だけでしょ? それに私が普段、どのように生活して、人と接しているのか見ておいてもいいんじゃないかしら」
「それは……。だが、異端審問官と言うだけで、怖がられると思うが」
「確かに……まぁ、紹介する時は異端審問官だなんて言わないわ」
だが、追いかけられていたことをミリシャは知っているため、そこを誤魔化す嘘を考えなければならないだろう。
「それで? 来られるの? どうする?」
彼の顔を覗き込むと、一瞬だけ目が合ったが彼はすぐに逸らして溜息を小さく吐いた。
「……服が乾いたら、な」
「本当っ?」
「場所は、南東の方にある古い教会でいいんだろう?」
「えぇ、そうよ。よく知っているわね」
「……向かう土地のことを事前に調べておくことが、この仕事は必要だからな」
クシフォス自体は話で聞いていた異端審問官の像とはどこかずれているように思ってしまうが、きっとこれが彼なのだろう。エイレーンはふっと、表情を緩めて立ち上がる。
「さて、私は今日の夕飯の分と今度の炊き出しの食材を探しに行ってくるから、何か用があったら声をかけて。その辺に居ると思うから」
「分かった」
彼に背を向けようとして、エイレーンは立ち止まり、ふと振り返る。
「ねぇ、そういえば私があなたと最初に会った時、崖から落ちたんだけれど、その時に何か叫ばなかった?」
あの時は混乱していたこともあり、それどころではなかったがクシフォスが何か言葉を発していた気がするのだ。
彼は一度だけ瞳を閉じて、再び開く。
「……いや、何も。それよりもよくあの高さから落ちて無事だったな」
「えぇ、あの時、風が助けてくれたの」
「風?」
「あの森で生まれた風よ。といっても普通の人には見えないただの風なの。……私の母が亡くなって、一人ぼっちになった時に声をかけてくれてね。私に親身になってくれるの」
そういっても、他の人には姿も声も捉えることの出来ない存在だ。
「……私が逃げる時も、村の人が森に入られないように結界を張ったりして助けてくれたんだけれど……。今、大丈夫かしら……」
風自体が消滅することはないと思うが、叶うならば自分を二度も助けてくれたお礼を言いたかった。
「そうか……」
クシフォスは無言になる。自分があの森に帰らないことを分かっているからだろう。
「今日、絶対来てね。……私がちゃんと人間としてあの場所に居ることを分かってほしいから」
エイレーンはそれだけ告げて、森の獣道へと入っていく。その姿をクシフォスは目を細め、複雑な表情で見ていたことに気付きはしなかった。




