沁みゆくその名前は
次の日、エイレーンは森の中へと来ていた。ロアは川魚を釣りに途中まで一緒だったが、エイレーンの目当ての薬草や山菜は他の場所にあるため、別行動していた。
ミリシャとイリシオスは教会で昨日のあと片付けと掃除をしている。食事を作るのは当番制に決めたため、今日の夕食は自分が作ることになった。そのための食材探しでもある。
「んー……茸とか、生えていると良いんだけれど」
自分が住んでいた森ならば、どこに何が生えているのか、熟知していたが、この森に来るのはまだ二度目なので、まずは場所と道順から覚えなければならない。
「これは食べられるやつね。うん、まだ色も良いし大丈夫そう」
茸や山菜を摘んでは、食べられるか一つひとつ確認して、蔦で編んだ籠の中へ入れていく。
ふと、柔らかな風が吹き、エイレーンはいつものように顔を上げて、そこで気付いた。
……そうだわ。ここはあの森じゃなかったわね。
あの森の風は大丈夫だろうか。消えたりはしていないだろうか。永遠に存在することができるとはいえ、力が小さくなることはあるだろう。
「……私は生きているわ」
それだけでも伝えられたら良かったのに。だが、いつまでも落ち込んではいられない。唇を結び、拳に力を入れて、真っ直ぐと前を見る。
さぁ、続きをやろう。きっと、ロアもたくさんの魚を釣り上げて、ミリシャを喜ばせようとするはずだ。それなら、自分も負けられない。
続きをしようと、木の根元へと覗き込むように座ろうとした時だ。草木を掻き分ける音が聞こえ、咄嗟に立ち上がる。なんとなく、予想はしていたが、やはり思っていた通りだった。
「……また、あなたなの」
草むらから姿を見せたのは、自分を追っている異端審問官の男だった。
よく見ると、服の所々が以前より汚れているように見える。まさか、この森中を歩き回って、自分を探していたのか。
「……本当に、村に戻る気はないんだな?」
淡々とした透き通る声で男は告げる。
「ないわ。戻ったら、自分がどうなるか分かっているもの」
エイレーンが強めの声で返事を返すと男は小さく溜息を吐く。
「先延ばしにする程、事態は変えられなくなる。君があの森へ戻りたいならば、今しか時間がないんだ」
「絶対に行かないわ!」
何度言われても、あの村には帰らない。何を言っても伝わらないのだ、彼らには。再び冷たい眼差しと言葉を矢のように投げかけられると分かっていて、帰って何が変わると言うのだ。
それでも、村人達が大切な人を失って、泣き叫ぶ声と表情が頭の中から拭えなかった。
「……何度言っても、私の意志は変わらないわ」
睨むように男の瞳を見るが、瞳の奥は真っ黒なだけで、何を考えているのか読めない。
「……そうか」
やがて、男は静かに告げる。
「だが、気が変わったら、教えてくれ。いつでも、村へと付き添おう」
なんだか、異端審問官らしからぬ言葉にエイレーンは眉を顰める。
「……ねぇ。あなた、ずっとこの森で私を待っていたの?」
この前、森で会った時から、自分を探すためにずっと野宿しているというのか。
「……君は森が好きだろう。ここで待っていればきっと、来ると思っていた」
遠くを見ながら男は答える。彼の言う通り、確かに森は好きだ。
「だからって、野宿しているの? ……呆れるというか、感心するというか……」
「……使われていない小屋があるから、そこで寝泊りをしているだけだ」
横を向き、男はぶっきらぼうに呟く。
そこまでして、自分を見つけて説得しようとしていたらしい。それが、なんだかおかしく思えたエイレーンはつい噴き出してしまった。
「……?」
何がおかしいんだと言わんばかりに男は首を傾げる。エイレーンは笑いを必死に堪えながら、男の方に向きを変えた。
「ごめんなさい。話に聞いていた異端審問官の像と正反対過ぎて……」
異端審問官と言えば、「魔女」と特定したならば強引に尋問し、拷問すると聞いていたため、彼のように熱心に説得する人間がいるとは思っておらず、拍子抜けしてしまったのである。
想像していたのは、強引で暴力的に断罪する男の姿。それは母の故郷にやってきた男の話だ。
「……私、普通に暮らしたいだけなの。だから、魔法を誰かに悪用するなんて、絶対にしないわ。それだけは分かってほしい」
だから、もう二度と人前で魔法なんて使わない。傷付けるだけならば、自分は魔女ではなく、一人の人間として生きていきたい。
「……分かった。だが、しばらくは見張らせてもらう」
「いいわ。いつでも見張りに来て頂戴。私の普通の人としての暮らしぶりを見てもらうわ」
エイレーンの答えに男は少し驚いているようだが、納得したのか頭を縦に振った。
「そうだ。聞くのを忘れていたけれど、あなたの名前は?」
顔を覗き込みながら男に尋ねると、彼は少しそっぽを向いてから答えてくれた。
「…………クシフォス」
低く静かな声は心臓の奥へと穏やかに響く。なぜその声と名前が染み渡るのかは分からない。
「……そう、クシフォス。私はエイレーンよ」
お互いの視線がゆっくりと重なり合う。
「……一つだけ忠告しておく」
エイレーンに背を向けながら、クシフォスはよく通る声で告げる。
「君を探しているのは自分だけではない。他の異端審問官達もやがてこの町へとやってくるだろう。十分に気をつけた方がいい」
クシフォスはそれだけ伝えると、来た道を辿るように戻っていく。
「……そういえば、どうして私が、森が好きだと思ったのかしら……」
きっと、偶然だろう。魔女の大半は森に住んでいると聞いている。彼もそう推測したに違いない。それでも、なぜか腑に落ちなかった。
クシフォスが歩いていく後ろ姿をエイレーンはぼんやりとしながら見つめていた。




