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どれくらい歩いただろうか。
途中、細い横道があるところを通り越して少ししたところに、一風変わった店の看板が目に飛び込んできた。
「『忘れ物しぐれ堂』……?」
ふと立ち止まって店の風貌を眺める。外観は他の店と同じように千本格子が特徴的な町家風の店だった。おそらく、看板だけ最近新しく付け替えたのだろう。真新しい木彫りの看板だけが浮いて見えた。
千本格子の間から漏れている橙色の光を見るに、営業はしていそうだ。
私は、何かに誘われるようにして引き戸の取っ手に手をかける。そのまま、扉をガラガラと横に引いた。
「失礼します」
つい、就活の面接の時の癖で「こんにちは」ではなく「失礼します」が口から漏れる。
扉を少し開けると、途端にどこか懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。
おばあちゃん家の匂い……。
今は亡き祖父母の家の木の温もりにあふれたあの匂いを思い出して、胸がつんとした。
扉の向こうには、かなり雑多なものであふれた空間があった。入り口から少し入ったところから奥の空間に、古い棚や椅子、絵画、陶磁器、書画、茶道具などが所狭しと並べられている。入り口付近には、『保管棚』と『販売棚』という小さな札のついた棚が、二つ並んでいた。その棚の中には、ネックレスや時計、指輪、ノート、鞄、ベルトなどが丁寧に置かれている。
骨董品屋さん……だろうか。
でも看板には、『忘れ物しぐれ堂』と書いてあった。
もしかして、〝忘れ物〟を売っているお店?
私は、時折電車の駅なんかで見かける「忘れ物屋さん」を思い浮かべた。電車の中で乗客が忘れていたベルトや傘などを駅構内で販売しているところを見たことがある。
でも、陶磁器や椅子を忘れる人なんて聞いたことがない。
不思議に思いながらぐるりと視線を巡らしていると、お店の奥の一角——ちょうど座敷が敷いてある場所で、五十代ぐらいの一人の男性が一眼レフカメラを布で磨いているところを見かけた。あまりにも静かなので気がつかなかった。でも、よく考えればお店の人がいないはずがない。
男性はふと手を止めると、皺の刻まれた目元をきゅっと細めて、お店に入って来た私を物珍しそうに眺めた。
「これはこれは、お客さん。気づかなくてどうもすんません」
一眼レフカメラを座敷の上のテーブルに置くと、よっこらせ、と腰を浮かせてこちらに来てくれた。
「えっと、突然お訪ねしてすみません。この辺を散歩してたら、気になる看板を見かけたもので」
「店に入るのに謝る必要なんてない。お一人かい?」
「はい。たまたま気になったのですが、中を見せてもらってもいいでしょうか?」
「ああ、もちろん」
見かけは寡黙で話しかけづらそうな男性だが、話してみると、低く渋い声が優しく胸に染み入るようだった。
店員さんが見守る中、私はまず『保管棚』に並んでいる品々をじっと見つめた。新品のものには見えないから、やはり店名からして誰かの忘れ物だろうか。ネックレスも指輪も、失くした人は困るだろうな、と切ない気持ちにさせられる。私は失くし物をすると居ても立ってもいられなくなるタイプだから、元の持ち主が悲しんでいるところを想像してしまっていた。
「あの……この『保管棚』ってなんですか?」
傍でこちらを見ていた店員さんに思い切って尋ねる。
「ああ、これは、〝忘れ物〟を三ヶ月間保管しておくための棚だよ」
「三ヶ月間保管……? ここってやっぱり忘れ物を売っているお店なんですか?」
「そうだよ。金沢市内に落ちていたものや、飲食店なんかに忘れていたものを、拾った人がうちに届けてく
れるんだ。その〝忘れ物〟に値段をつけて売っている」
なるほど。やっぱりそういうことなんだ。
私が頷いて聞いていると、店員さんは続けた。
「もちろん始めに警察に届けて、引き取り手がないものに限るよ。最初の三ヶ月間は元の持ち主が〝忘れ
物〟を探しに来るかもしれないから、こうして『保管棚』で保管しておくんだ。元の持ち主が自分のものだ
と証明できたら、忘れ物はそのまま返すようにしているよ」
ただ忘れ物を販売するだけじゃなくて、保管して元の持ち主に返すこともあるのか。
聞いたことのないお店の話に、気がつけば釘付けになっていた。
「持ち主が現れずに、〝忘れ物〟が持ち込まれてから三ヶ月の期限が過ぎたら、そっちの『販売棚』に移動させる。『販売棚』に移動して初めて、〝忘れ物〟は売り物になる」
お店のシステムについて滔々と語り出す店員さんは、自分の店の〝忘れ物〟販売に誇りを持っていることが窺えた。
「変わったシステムですね」
「そうかな? まあ、もともとは骨董品屋で、そっちがメインだったんだ。〝忘れ物〟を売ろうと思ったのは俺の意思だし」
「俺の意思」というところに引っ掛かりを覚えた。骨董品屋は店員さんが始めたものじゃないんだろうか。
私が疑問に感じていることを察知してくれたのか、「もともとは親父の店だったんだ」と彼はぽつりと呟く。
「親父がここで、普通の骨董品屋を営んでいた。それを、俺が継いだんだ。五年前に親父が亡くなってね。せっかく自分の店になるのだし、新しいことをしようと思った。忘れ物には持ち主の想いが詰まっている。そんな持ち主の想いを無駄にしたくないと思ったんだ」
店員さんの視線が、棚の隅に置かれた小さな木箱へと一瞬だけ向いた。
その表情は、誰かを思い出すようにほんのわずかに翳った気がして、私は言葉をのみ込んだ。
店員さんが、何か胸のうちに並々ならぬ想いを抱えているように感じられた。でも、今この場で彼の胸中をすべて知ろうとは思わなかったし、彼だって見ず知らずの娘に、すべてを話すつもりはないだろう。




