四話 鉄の騎士
入学式は、恙なく進むはずだった。
王立魔法騎士学園の大講堂に新入生百三十名が並び、学園長が長い祝辞を述べ、代表の生徒が宣誓をする。セルは最後列の隅で、兜の中であくびを噛み殺していた。
並んでいる顔の半分は、見覚えがある。
当然だ。二周目のセルシア・オリエンテも、同じ年にこの講堂に立っていた。あの前列で背筋を伸ばしている赤毛の男子は確か伯爵家の次男で、二年の時に落馬して腕を折る。その二つ隣の令嬢は、夏に婚約が決まって話題になった。
顔と、名前と、噂話。それくらいは知っている。
二年間、同じ学年にいたのだから。
知っていて、私は誰とも親しくならなかった。ただ、このゲームをクリアできればいいと思っていたからだ。
……まあ、今回も同じだけどね。
私は冒険者になる。ここにいるのは通過点で、卒業まで誰とも関わらずに、静かに三年やり過ごす。それが最善だ。
その決意は、式が終わって十分と保たなかった。
◇
「おい、こっちを向けと言っているだろう」
張りのある声だった。
セルが振り向くと、金の刺繍が入った制服の男子生徒が、平民の女生徒の腕を掴んでいた。女生徒のほうは俯いたまま、腕を引こうとしている。
「平民が推薦枠で入ったそうじゃないか。誰に取り入った? 言ってみろ」
「……離してください」
「チッ、貴族に対する口の利き方を教えてやろうか」
男子生徒がもう片方の手を振り上げた。
その手首を、セルが掴んだ。
「え」
次の瞬間、男子生徒は三メートルほど吹き飛んで、廊下の壁に叩きつけられていた。
セルは自分の手を見た。それから、壁板を割ってめり込んでいる男子生徒を見た。
あ。やば。手加減してなかった。
周囲の生徒が完全に静まり返っている。掴まれていた女生徒までが、口を開けたままセルを見上げていた。
まずい。初日からやらかした。
「……無礼な振る舞いであった。詫びよう」
セルはとりあえず、倒れている男子生徒に向かって重々しくそう言った。それから、謝る相手が違うことに気づいた。
「あ、あのっ」
女生徒が、慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます。あの、私、アンナといいます。アンナ・ロウです」
「……セルだ」
「はい。存じてます。試験で出てきた木を全部斬った方ですよね。みんな言ってました」
もう広まってるのか、あれ。
アンナ・ロウは、小柄な子だった。髪を後ろで一つにまとめていて、制服の袖が明らかに寸足らずである。既製品を買ったのだろう。仕立てる金がない生徒は、皆そういう買い方になる。
「その、私、お礼を」
「いらん」
「でも」
「……気にするな。手が勝手に動いただけだ」
それは本当だった。
考えて助けたわけではない。振り上げられた手を見た瞬間に、体が動いた。
なんでだろう、と思いながら、セルは廊下を歩き出した。
アンナ・ロウは、それでも頭を下げた。深く、時間をかけて、どこかで教わった通りの角度で。
セルが角を曲がるまで、その頭は上がらなかった。
結果として、その日の午後は学園中が大騒ぎになり、翌日から二日、臨時休校になった。
殴り飛ばされた男子生徒は伯爵家の三男で、殴った側はオリエンテ公爵家の養子である。家格の差、および被害者側の素行が調べられた結果、セルへの処罰は見送られた。
もっとも、父バハムートからは烈火のごとき叱責の手紙が届いたが。
◇
休校明け、授業の再開した学園の廊下を、セルは歩いていた。
陽の差し込む絢爛な回廊である。歩くたびに、両側から囁き声が聞こえてくる。
「ねえ、あの方って」
「ええ、セル様よ。入学式で、平民の子に乱暴しようとした貴族を殴り飛ばしたっていう」
「なんて男らしいのかしら。あんな方と結婚したいわ」
「でも、鎧の下は傷だらけって噂よ」
「いいじゃない。きっと、誰かを庇ってできた傷なのよ」
勝手に話が膨らんでいく。
セルはこの状況に、とても満足――しているわけがなかった。
「あっ、セル先輩!」
背後から、やたらと元気な声がした。
「先輩じゃないな。同学年か。じゃあセルさん。いや、セル殿?」
振り返ると、そばかすの浮いた男子生徒が立っていた。背はセルより頭一つ低く、制服の襟が曲がっている。
「……誰だ」
「ダン・ケリーです! 同じ一年! あの、ちょっと聞いてもいいっすか」
「内容による」
「中身、入ってます?」
「は?」
いきなりなんだこいつ。
「いや、鎧の話っすよ。俺、賭けてるんです。中身が入ってるかどうかで。今んとこ俺が一人で入ってない側に賭けてて、掛け金が銅貨十四枚まで積み上がってて」
「入っている」
「えっ」
「入っている。今喋っているのは中身だ」
「……いや、それ、呪われた鎧が喋ってるって説明でも成り立つんですよね」
こいつ、面倒くさいな。
セルは無視して歩き出した。ダンはついてきた。
「なあ待ってくださいよセルさん。俺の銅貨十四枚が」
「私の知ったことか」
「じゃあ一回だけ兜取ってもらえません? 一瞬でいいんで」
「無理だ」
「なんでっすか」
「私の顔は大昔に焼け爛れている」
「うわ、マジっすか」
「マジだ」
「……ごめんなさい」
ダンは急にしおらしくなって、三歩ぶん距離を取った。
よし、これ以上絡まれることはないな。
しかし、ダンは再び詰め寄ってきた。
「でも、それって中身が入ってる証拠っすよね」
「どっちなんだお前は」
この男は、それから二日かけて「鎧の中身は呪われた鎧に取り憑かれた顔が焼け爛れた騎士」という説を学園中に広めることになる。
どこがどうなってそうなったのか、セルには最後までわからなかった。
◇
いま彼女の頭を占めているのは、噂でも評判でもダン・ケリーでもなかった。
「魔剣も、空中要塞も、聖なる護符も、女神の冠も。なにひとつ無い」
小さく、そう呟く。
休校の二日間、セルは学園の書庫に籠もっていた。
結果は最悪だった。
滝の奥に沈む魔剣。空を行く浮遊要塞。女神の冠。二周目のセルシアは、そのすべてを自分の足で回収していた。魔剣は今も、前の人生で隠した滝壺の岩棚にあるはずだった。
だが、書庫には何もなかった。
無くなっていた、のではない。そもそも、そんな伝説が存在していなかった。滝は地図の上でただの滝として描かれ、浮遊要塞の名はどの年代記にも出てこない。あれだけ探し回った場所が、記録の上では何でもない土地になっている。井戸の護符と同じだ。
まるで、この世界から剥ぎ取られたみたいに。
おかしい。絶対におかしい。
冒険者になるという計画は、あの隠しアイテムを前提に組んでいた。魔剣があれば駆け出しでも上位の魔物を狩れる。護符があれば魔法使い相手に押し切られない。それが全部消えているということは。
このままじゃ、このままじゃまずい。
「なにがまずいのかな?」
背後から、可愛らしい声がした。
心臓が飛び出したかと思った。
本当に驚いた、完全に上の空だった。
けれど背後を取られるなんて、失態もいいところだな。もう、次からは気をつけないと。
反省をしながらゆっくりと振り返ると──そこには薄桃色の髪の少女だった。小柄で、目が大きく、笑うと左の頬にだけえくぼができる。
自分の目が大きくなるのを感じられた。
それは、将来聖女となる女──ミリア・ペネシス。
ミリア……ッ。
裏切られた夜の記憶が、洪水のように押し寄せた。泣き崩れるミリア。それを抱きしめる王子。そして、二度目の絞首台。
恐怖が背骨を走り、それを飲み込むように、怒りが全身を満たしていく。
腰にある剣に、思わず手が伸びそうになる。
ここで、お前を――
「なにをしておる」
一瞬、死を錯覚するほどの「なにか」の気配がした。
「ッ!?」
「……ミリアに、セル。お主ら、ここでなにをしておるのだ」
しわがれた声の主は、学園長ロードリオだった。
ピリついた圧を感じたミリアが、不思議そうに首を傾げる。
「別に、セルくんとお友達になろうとしただけですけど。どうかしましたか?」
「……いいや。なんでもないわい。邪魔をしたのう」
ロードリオは白髭を撫でながら、心の中でひとりごちた。
(一瞬、セルから計り知れん殺気が出たと思ったのだが……気のせいか。いくら警戒しておったとはいえ、些か過剰すぎたわい)
ロードリオは、本来いないはずのセルを警戒していた。当初はそこまででもなかったのだが、出自を探ろうとした矢先に貴族を殴り飛ばすという問題行動を起こしたため、要注意人物に格上げしたのである。
またなにかやらかさぬよう、見張っていたのだ。
(まあ、わしが止めに入ったところで、殺されるだけかもしれんがのう)
「セルッ! また会えたな。どうだ、私の相棒になる件は考えてくれ――どうかしたのか?」
最悪の間合いで、王子が現れた。
チッ。今はお前の出番じゃないんだよ。一生引っ込んでろ。
セルは二度心臓を刺された経験から、ロメリオをそこらのゴキブリより嫌っていた。だが、それを表に出すことはしない。
馬鹿は置いておくとして。まずい、思わず殺気を出しちゃった。学園長は絶対に勘づいてる。
セルとて馬鹿ではない。相手の力量を測るくらいはできる。
……はずなのだが。
この学園長、強さがよくわからないんだよな。感覚としては私より弱いはずなのに、体が戦うのを拒否してる。
そもそも、ゲームにこんな人いたっけ。
「……ロメリオくん。入学したのでそう呼ばせてもらうが、学園という場での勧誘は、やはり感心せぬな」
「な、なんだって? だが、彼はぜひとも私の――」
往生際の悪い王子をジト目で睨んでいると、鎧をこんこん、と人差し指で叩かれた。
「こっち来て」
ミリアに手招きされ、セルは空き教室に連れ込まれた。
扉が閉まる。
その瞬間、セルの中にひとつの仮説が立ち上がった。
待てよ。私が記憶を持ってループしてるなら、こいつも記憶を持ってるはず。
だとしたら、隠しアイテムを奪ったのはミリアだ。
全ては、私の――セルシア・オリエンテの復讐を恐れて。
セルは背後に手を回し、鎧の内側に仕込んだ短剣の柄を握った。
ここでこいつを殺せば、全部終わる。
「あなた、転生者でしょう?」
「……?」
短剣を抜きかけた手が、止まった。




