五話 転生者
空き教室に、埃の匂いが漂っていた。
使われていない机が壁際に積まれ、窓から差す光の中を細かな塵が舞っている。床には足跡がひとつも残っておらず、この部屋が長く使われていないことがわかった。
セルは短剣から手を離し、腕を下ろした。
「……なにを言っている」
「別にとぼけなくていいわ」
ミリアは腕を組み、真正面からセルを見上げた。先ほどまでの、ふわふわした声ではない。
「明らかにあなたは異質だもの。この世界の人間じゃないってことくらい、一目でわかる」
セルの中に、ひとつの疑念が生まれた。
……こいつ、何を言ってる?
「隠しアイテムを取ったのもあなたでしょう。それは別にいいの。使い方をわかってる人が持ってるなら、そのほうがいいから。私が言いたいのはね」
疑念が、形を持ち始める。
「セルシア・オリエンテをどこへやったの。もしも彼女を殺して、入れ替わっているのなら――」
ミリアの目に、はっきりとした敵意が灯った。
「私が絶対に許さない」
教室の空気が張り詰める。
だがセルは、その敵意をほとんど感じ取っていなかった。頭の中を、たったひとつの言葉が回っていた。
こいつ、記憶を引き継いでいないんじゃないの?
順序が違う。
ミリアが二度の人生を覚えているなら、セルシアが学園に来ないことも、甲冑の男が何者かも、とっくに知っているはずだ。なにより、自分が誰を処刑台に送ったのかを知っているはずだ。
それが、セルシアの行方を心配している。
セルは息を飲み、意識して声を低く落とした。
「我はセル。ただのセルだ。セルシアとやらのことは知らん」
「はぁ? 嘘つきなさいよ。どうせモブに転生した地球人でしょ。いいから、本当の正体を言って」
「なぜそう決めつける」
「決めつけてない。推測してるだけ」
「根拠は」
「全身鎧。剣術が異常。試験で木を全部斬った。それでいて公爵家の養子で、三年前より昔の記録がどこにもない」
ミリアは指を三本立てて、ひとつずつ折っていった。
「調べたわよ、そりゃ。私だってこの世界で生き残るのに必死だもん」
……この女、意外とちゃんと動くんだよな。
思えば二周目でもそうだった。ふわふわして見えるくせに、やると決めたことは妙に手際がいい。
「本当の正体、ね」
セルは一度、呼吸を整えた。
「……お前の言う通り、私は転生者だ。だがセルシアなどという娘のことは知らん。隠しアイテムとやらも知らん。私は剣の腕を買われて、この学園に来ることになっただけだ」
真実と、嘘をひとつずつ。
ミリアは眉を寄せた。答えを探している顔だった。
「学園のモブに転生して、そのままここに来た……じゃあセルシアは? いや、私やこいつが勝手に動いたせいで、本来の歴史が変わった。きっと、そういうことね」
どうやら正体はごまかせたらしい。
セルが内心で息をついたところで、ミリアが再びきっと顔を上げた。
「でも、あなたのことはやっぱり信用できない」
「構わん」
「構わないの?」
「信用されようがされまいが、私には関係ない」
「……そういうとこ」
ミリアは眉間を押さえてから、気を取り直したように言った。
「まあ、同じ転生者だから教えてあげる。ここは『断罪の先へ』っていう乙女ゲームの世界。よくある、悪役令嬢が断罪されるやつよ」
全部、知っている。
だがミリアはそんなことを知る由もなく、淡々と続けた。
「ただ、乙女ゲームっていっても、このゲームはいろんな要素があるの。内政に、国際情勢。それから――戦争」
全部、全部知っている。
「私たちがするべきことは、戦争を生き延びること。そのために鍛えて、強い武器を用意して。それから――」
その先の言葉すら、セルは知っていた。
「「アルレリオン大陸へ行く」」
二人の声が重なった。
しまった、と思った時にはもう遅い。
「……なに? あなた、ゲームを知ってたの?」
「い、いや、違う。アルレリオン大陸はこの大陸の外にある楽園だろう。誰も辿り着けぬ秘境だ。最後に行き着く先があるとすれば、そこしかあるまい」
「今の、だいぶ苦しくない?」
「苦しくない」
「苦しいよ。誰も辿り着けない秘境の名前を、なんで知ってるのって話だもん」
「……書物で読んだ」
「どの書物?」
「古い書物だ」
「そう」
ミリアはじっとりとした目でセルを見上げ続けていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「いいわ、別に。あなたが何を隠してようが、私は詮索しない。……ただ、その鎧はなんなの?」
全身を金属に覆われたセルを、ミリアは頭を押さえながら見た。
「さすがにおかしいでしょ」
「先ほど詮索しないと言ったではないか」
「これは詮索じゃなくて、素朴な疑問」
「同じだろう」
「違うの。詮索は答えを求めるけど、疑問は独り言でもいいの」
「独り言なら私に向けるな」
ミリアは少しだけ笑った。
「それに、ここがゲームの世界だと言うのなら、プレイヤーが装備を整えるのは当然だろう。そう思わないか」
「……はあ。わかった」
ミリアは一度天井を仰いでから、また視線を戻した。
「でも、顔だけは見せて。私が忘れてるだけで、あなたも何か役割のあるキャラかもしれないから」
まあ、そう来るよね。
だが、その答えはとっくに用意してある。
「私は昔の戦で、顔面が焼け爛れているのでな。死んでも見せん」
「……そ、そう」
ミリアが気まずそうに目を逸らした。
教室が静かになる。窓の外で、誰かが走っていく足音がした。
ミリアは足元に目を落とし、それから小さな声で言った。
「い、今は無理だけど。私のレベルが上がったら、高位の治癒魔法が使えるようになるわ。だからその時になったら、あなたのその傷も治してあげる」
セルは、動かなかった。
「……それは、ずいぶんな親切だな」
「別に、親切とかじゃなくて。ほら、顔が見えないと、話しててもなんか落ち着かないし」
ミリアはそう言って、少しだけ笑った。左の頬にえくぼができた。
「じゃ、また。教室で」
手を振って、彼女は教室を出ていった。
扉が閉まる。
セルは、扉の前から動かなかった。
一見すれば、心優しい女の子である。誰かの傷を治してあげると言い、いなくなった公爵令嬢の身を案じる少女。
だが、その仮面の下は。
夜会で泣き崩れた顔が、瞼の裏に浮かぶ。証拠もなく積み上げられた告発。処刑台の下から見上げてきた、潤んだ目。
……今回は騙されない。絶対に。
鎧の下で、セルの表情が憎悪に歪んだ。
お前は二年後。私が処刑された、あの日に。
この手で殺してやる。
◇
寮の自室に戻る頃には、日が落ちていた。
まあ意気込んだところで、たぶん殺さないんだけどね。
セルは椅子に腰を下ろし、先ほどとは一転して、呆れたような笑みを漏らした。
一時は感情に任せて危うく手が出そうになったが、そもそもミリアは主人公だ。あれが死んだら、この世界がどうなるか見当もつかない。
この世界は、危ういほど細い均衡の上に立っている。四方を敵国に囲まれた王国。今は敵ではないが、圧倒的な国力を持ち、いずれ牙を剥くであろう連邦。そして、数十年おきに現れては街ごと人を焼き払う龍。
主人公という杭を抜けば、何が崩れるかわからない。
「ほんと、マーケティングとか考えてるのかね、このゲーム」
誰もいない部屋で、セルはそう声を漏らした。
「仮にも乙女ゲームを名乗るなら、こんな要素てんこ盛りにすることないでしょ。実際、よくわからなくて一章でやめちゃったし」
全三章のうち、恵理子がプレイしたのは一章までだった。政治だの戦争だのが出てきたあたりで、面倒になって投げたのだ。
「本当に、やっとけばよかった……」
あいつも二章までしかやってないって言ってたし。
一周目も二周目も、セルシアの人生は一章の最後で終わっている。処刑という結末で。
「今回は、二章に行く。そして、冒険者になる」
全ては、憧れの異世界を満喫するために。
そこまで言って、セルはふと口を閉じた。
――治してあげる。
あの声が、耳に残っていた。
あの女が処刑台の下でこちらを見上げていた時の目と、今日えくぼを作って笑った時の目は、同じ顔のはずだった。
同じ顔のはずなのに、うまく重ならない。
……演技よ。二年も騙されたんだから、上手いに決まってる。
セルは頭を振って、その考えを追い出した。
窓の下で、足音が止まった。
「セルさーん! いるっすかー!」
ダン・ケリーの声だった。
「賭けの件なんすけど、掛け金が銅貨二十六枚になりまして!」
「増えているではないか」
「増えました! なんで!」
セルは窓を開けずに、そのまま椅子に沈み込んだ。
うるさいのが増えた。
明日はようやく初日の授業だ。さっさと寝よう。
夜襲でもされたら大変だ。セルは甲冑を着たまま椅子に座り、腕を組む。
そして、深い眠りについた。




