二話 甲冑の令息
――一年後。
オリエンテ公爵領の訓練場には、その日も朝から金属の打ち合う音が響いていた。
夏の盛りである。砂地が陽を照り返して、立っているだけで汗が出る。壁際には水桶が三つ並べられ、そのうち二つがすでに空になっていた。
「せいッ!」
「ぐはっ」
三十二人目の騎士が、砂の上に尻をついた。
その前に立っているのは、全身を甲冑で固めた小柄な人影である。剣を下ろし、兜の下から、まだ物足りなそうな声を出した。
「よし、これで三十二人。次! もっと根性のあるやつはいないの!?」
「……お、お待ちください、お嬢様。もう立てる者が」
「お坊ちゃまと呼べと言ったでしょう」
「お、お坊ちゃま。もう立てる者がおりません」
倒れている騎士たちは、誰も返事をしなかった。返事をする体力が残っていなかった。
順調、順調。
一年前、セルシアは屋敷中の騎士に稽古をつけさせた。
最初の一月は木剣を握ることすらままならなかった。指の皮が剥けて、握ると血が滲んで、それでも毎日振った。二月目で若手に一本取り、半年で副団長を抜き、今は筆頭騎士が三合と持たない。
おかしいとは思う。
いくら鍛えているとはいえ、九歳の体でこれは変だ。前世でも今世でも、才能という言葉でここまで説明のつかない上がり方は、聞いたことがない。
まあ、いいや。強くなるぶんには文句ないし。
セルシアはその違和感を、深く考えないことにした。考えても答えが出ないなら、剣を振っていたほうが早い。
「お嬢さ――お坊ちゃま。そろそろ休憩を」
おずおずと声をかけてきたセバスを、セルシアは兜の奥からじろりと睨んだ。老執事の背筋が、びしりと伸びる。
「こんな少女――少年に負けるような騎士に、休憩だと? そんなものはいらんッ! 立て、立って剣を握れ!」
「あの、お坊ちゃま」
「なんだ」
「その、声の作り方が、日に日に」
「日に日に?」
「……いえ。お似合いでございます」
「そうだろう」
セバスは何か言いたそうな顔をして、結局何も言わなかった。
ふらふらと、それでも騎士たちが立ち上がる。
セルシアは兜の中でにやりと笑い、慌てて口元を押さえた。
いけないいけない。甲冑でバレないとはいえ、ずっとニヤニヤしてると変な癖がつきそう。
公爵令嬢の肩書きは、長い髪と一緒に捨てた。正確にはどちらも捨てていないのだが、気持ちの上では捨てた。もうセルシアではない。今の彼女は、冒険者を目指す一介の美少――美少年、セルである。
ちなみに性別を変えるのは、できるだけ姿をくらませて断罪の可能性を少しでも減らすためだ。
「その意気だッ! さあ、まとめてかかってこい!」
あと六年。十五になったら、この家を出て冒険者になる。
絶対に、この世界で最強の冒険者になってやる。
◇
――七年後。
「セルシア。魔法騎士学園に入学しなさい」
執務机の向こうで、父がそう言った。
現オリエンテ公爵、バハムート・オリエンテ。大陸有数の武門を束ねる男である。机の上には書類が三山積まれていて、その一番上に、学園の紋章が入った封筒があった。
その額に、汗が浮いていた。
「なぜですかお父――父上! 私は十五になったら冒険者になると、そう申し上げたはずですッ!」
「言っていたな」
「では」
「お前がそんな男勝りになった理由も、いかなる時も甲冑を外さなくなった理由も、私にはわからん」
バハムートは封筒を指で弾いた。
「だが、これは貴族のしきたりだ。例外は認めん」
「嫌です!」
「ええい、うるさいッ! お前はもう男として試験に登録してある! さっさと行ってこい、このバカ娘!」
バハムートが叫ぶと、扉が開いて近衛の騎士が数名入ってきた。全員がセルの顔を――正確には兜を――見ないようにしている。慣れた手つきで両腕を掴み、そのまま屋敷の外へ引きずっていく。
「離せ! 離せッ!」
振り払うのは簡単だった。今のセルの膂力なら、この程度の人数は壁ごと吹き飛ばせる。
だが、相手は父の近衛である。手を出せば反逆罪になる。反逆罪になれば、また、あの台に立たされる。
あの台だけは、二度とごめんだ。
セルは抵抗を諦め、馬車に詰め込まれた。
窓から、屋敷が遠ざかっていく。執務室の窓に、人影が立っていた。
こちらを見ているのかどうかは、距離があってわからなかった。
◇
「うおおおおおおおッ!!」
試験会場に、悲鳴のような気合が響き渡っていた。
中央に据えられた大木が、一撃で両断される。切り株から新しい幹が音を立てて生え、それも斬られる。さらに太い幹が生え、それも斬られる。
「す、すごいですね、教頭……」
「あ、ああ。あれは学園長が魔力で強化した木だぞ。魔術師団の師団長でも一本斬るのに苦労する代物だ」
「今、十二本目です」
「凄まじいな……」
審査席の教師たちがざわめいているが、当の本人の耳には入っていなかった。
冒険者になるって言ったのにッ! いいよって言ってくれてたのにッ!
どうせ子供の戯言だとでも思っていたんだろう。大人はみんな嘘つきだ。
あの汗は何なんだ。あんなに嫌そうな顔をしておいて、それでも行けと言うなら、最初から期待させないでほしかった。
怒りを剣に乗せて、セルは何度も何度も大木を断ち割った。
「しかし、あの甲冑はなんでしょうか。外せない理由があるとか、そう申告されていましたが」
「過去の戦で負った傷でも残っているのだろう。男にとって顔の傷は勲章とはいえ、限度というものがあるからな」
「まだ十五ですよ」
「十五で戦に出す家もある。特にオリエンテはその傾向が強いだろう」
「それは、まあ」
「私は特例として着用を認めた。才ある若者に、嫌がることを強いるなど許されん」
「彼もきっと、喜んでくれるでしょうな」
教師も、教頭も、試験官も、温かい目でセルを見ていた。
彼らはそれぞれに勘違いをしながら、セルという人物を理解していった。
やがて、剣を振り下ろしても新しい幹が生えてこなくなった。
「はあ、はあ、はあ」
ちょっとはしゃぎすぎたな。もう一本も出てこない。
我に返って周囲を見回すと、切り倒された大木が会場中に転がっていた。他の受験生たちが、遠巻きに、恐る恐るこちらを見ている。
ふんっ。今回こそは、絶対に生き抜いてやるんだから。
肩で息をしていると、その人垣の中から、ひとりの男が近づいてくる気配がした。
足音を殺している。忍び寄るような歩き方だ。
なんだこいつ。不意打ちでもするつもり?
この七年で鍛え上げたセルにとって、気配を消すという行為は無意味に等しい。
一刀両断にしてくれよう。
剣を振りかぶり、勢いよく振り返る。
「ちょっ、待って待ってッ!」
「なッ――!?」
剣の先にいたのは、この国の第一王子。セルシア・オリエンテの人生を二度終わらせた男、ロメリオ・アルバッハだった。
ロメリオは、突きつけられた刃をものともせず、兜をまじまじと覗き込んだ。そして、輝くような笑顔でこう言った。
「君、僕の相棒になってくれないかい?」
「――――は?」
なにを言ってるんだこいつ。
待って。一旦、頭を整理しよう。
こいつと私は初対面のはずだ。厳密に言えば私は初対面ではないが、こいつからすれば間違いなく初対面である。
そんな相手に、いきなり相棒。大丈夫かこいつ。
もともと頭の弱いムカつく男だとは思っていたが、ここまで来ると心配のほうが勝ってくる。
まあいい。今はそれどころじゃない。丁重にお断りしよう。
「無理」
「え?」
しまった。
会話をしたくなさすぎて、直球で拒否してしまった。セルは小さく咳払いをして、姿勢を正す。
落ち着け。今の私は厳格な騎士。そう、厳格な騎士……
「我はまだ未熟の身。王族たる貴殿の相棒になるなど、分不相応というものゆえ」
よし。声も充分低く出たし、言い回しも前世で見た歴史ドラマそのものだ。ちなみに前前世だったか前世だったかは、もう曖昧になっている。
「そんなことはないさ! 一目でわかった。君の力は特別だ。誰よりも強い」
あー、めんどくさい。どうやって諦めさせようかな。
「……もし貴殿の父上、陛下に謁見するともなれば、我はこの兜を外さねばならん。それはできぬ相談だ」
「僕から父上に話を通しておくよ! 外したくないなら、外さなければいいさ」
「陛下の御前で兜を被ったままなど、前例がなかろう」
「では前例を作ればいい」
「軽々しく作るな」
「僕は王子だぞ」
「王子だからだ」
断られてもなお、ロメリオの目は輝いている。
だああああ! そんなのどうだっていいんだよ! お前の相棒になりたくないって言ってんだよ!
喉まで出かかった叫びを飲み込んだところで、横合いから声が飛んできた。
「王太子殿下。このような場で学生を勧誘するなど、感心いたしませぬな」
声の主は、齢百は超えていようかという老人だった。豊かな白髭を撫でながら、ゆっくりと歩いてくる。学園長だ。
が、学園長……!
セルは心の中で拝んだ。
「す、すまない学園長。だが、名を尋ねるくらいはいいだろう? えーと、君の名前は」
ここはやはり偽名を……
「……我が名はギガント――」
「彼の名はセルじゃよ。勧誘は後になさい」
が、学園長……!
今度は落胆だった。
「そうだな。また後で会おう、セル」
会わねえよ。さっさと行っちまえ。
心の中で思いつく限りの悪態をつきながら、セルは学園長に向き直った。
「感謝する」
「ほっほっほ。よいよい。ただ、相手は腐ってもこの国の王子。粗相はほどほどにしておきなされ」
腐ってもって。学園長、あいつのこと嫌い? 私も嫌ーい。
ふっ。どうやらこの学園長とは、上手くやっていけそうだ。
セルは手を差し出し、老人の手を握った。
「これからも、よろしくお願い申す」
「ああ。わしからも、よろしくお願いするよ」
固い握手を交わすと、学園長は多忙なのか、そのままトコトコと歩き去っていった。
あの歳であれだけ動けるんだから、きっと忙しいんだろうな。今度ゆっくりお話し(王子の愚痴)でもしたいなあ。
セルは羨望の眼差しで、その背中を見送った。
そういえば、あんな学園長、ゲームにいたっけ。
まあ、いいや。覚えてないだけだろう。
◇
同じ頃。
試験会場の隅、人目につかない壁の裏で、学園長ロードリオ・ベギリウスは転がっていた。
「だあああ、手が、手があああああッ!!」
握手を交わした右手は真っ赤に腫れ上がり、通常の倍ほどの太さになっている。指が三本、明らかに曲がってはいけない方向へ曲がっていた。
「あの馬鹿力ぁぁ、一体なんなんだよぉ……あんな奴、絶対ゲームに出てこなかったって!!」
そう。学園長ロードリオもまた、転生者だった。
齢百十八。孫の孫の孫までいる。生まれた時から前世の記憶はあったが、単に異世界へ転生しただけだと思っていた。ここが乙女ゲームの世界だと気づいたのは、八十歳の時である。
若い頃は伝説の大魔術師と呼ばれ、数々の戦場で無双した。だが歳を重ねるにつれて欲も薄れ、やることもなくなり、友人である国王に勧められるまま学園長の椅子に座った。
赴任して一月。ふと思った。
あれ。ここ、乙女ゲームの世界じゃね? と。
学園の構造、庭園の意匠、渡り廊下の柱の数まで見覚えがある。偶然かと思って調べてみれば、滝の奥に沈む魔剣、空を行く浮遊要塞、ダンジョンの隠し通路。ゲームに出てきた要素が、次々と実在した。
もっとも、思い出せたのはその三つだけだった。他にも何かあった気はするのだが、八十年も経てば記憶などそんなものである。
「クソっ。気づくのに八十年かかったうえに、もうわしジジイだぞ!? こんな歳で乙女ゲームの世界なんか楽しめるかってんだ!!」
登場人物は、まだ誰も生まれていなかった。
だからロードリオは決めたのだ。自分は物語に介入しない。物語は物語のまま、終わらせよう、と。
そう決めて、三十年以上が過ぎた。
なのに、だ。
記憶などとうに薄れているロードリオだが、あの甲冑男だけは断言できる。見覚えがない。そもそも乙女ゲームの世界に甲冑ってなんだ。おかしいだろ。
しかも入学してくるはずの悪役令嬢セルシア・オリエンテは、名簿のどこにもいない。代わりに公爵令息とやらが現れて、王太子に口説かれている。
わけがわからない。
「それに、なんなんだよあの力……もうあいつひとりでラスボス倒せるだろッ!」
あの大木は、ロードリオが自ら魔力を込めて生やしたものだ。魔術師団の師団長でも断つのに苦労する硬度がある。それを何本も、何十本も斬り倒した。
おかげで魔力はすっからかんである。せめてもの意趣返しに、握手の手へ万力の魔力を込めてやったのだが、その倍の握力で握り返された。
「うっ、うっ……わしの百年は、一体……」
ロードリオのプライドは、完膚なきまでに砕けていた。
「なにが『これからもよろしく』だ。そんなもん願い下げだわ!」
だが、学園長である以上、責務は全うせねばならない。
「あぁ、一体どうしたら……」
なにも起きないでくれ。
老人は、心の底からそう願った。




