一話 クソゲー
城下町の広場は、朝から人で埋まっていた。
処刑がある。それだけで、この国の民は集まる。パンを売る屋台まで出ていて、子供を肩車した男がいて、見晴らしのいい場所を取り合って小競り合いが起きていた。
その中心に組まれた絞首台へ、両腕を掴まれた少女が引きずり上げられていく。
金の髪、金の瞳。この国随一の権力を持つ家に生まれた少女──公爵令嬢セルシア・オリエンテ。
「いやッ! やめてッ! 私はなにもしていない!」
セシリアを引きずる衛兵はなにも答えない。まるで声が聞こえていないかのように、ただ前を向いて階段を上っていく。
台の上に立たされたセルシアの隣で、美しい青年が一歩前に出た。この国の第一王子である、ロメリオ・アルバッハ。
「今ここに、聖女ミリア・ペネシスに執拗な嫌がらせを働いた咎により、セルシア・オリエンテを絞首刑に処すッ!」
わあ、と歓声が上がった。
処刑への歓声だった。誰かが口笛を吹き、誰かが野菜を投げ、それが台の手すりに当たって潰れた。
「なんで……? 私はなにもしていないッ! ただ生意気な平民に、この国の礼儀作法を教えてあげただけじゃない!」
叫ぶセシリアに、ロメリオが汚物を見るような目を向けた。
「礼儀作法だと? ミリアに熱湯をかけたり、階段から突き落とすことがか?」
「ええ! どうせ聖女といったって、運の良かったただの小娘でしょ!? 公爵令嬢の私が何をしたって――」
言い終える前に、胸に剣が沈んだ。
「――えっ?」
深い、と思った。壊れた蛇口から水が出るように血が溢れて、ドレスの胸が赤く広がっていく。その広がり方が自分でも信じられないほど速くて、痛みより先に、生地が濡れて肌に貼りつく感触のほうが来た。
「不愉快だ。一刻も早く死んでくれ」
かつて愛した男の声だった。
薄れていく視界の中で、セルシアは思う。
どうして。どうして私が、こんな目に。
絶望に呑まれかけたその瞬間、頭の中にとある記憶が流れ込んできた。
ああ、これが走馬灯か。走馬灯って本当にあるんだ。すごい。人生の最期に、今までの記憶が順番に――
ん?
なにかが違う。この記憶──私のじゃない。
流れ込んでくるのは、石畳もドレスも一切出てこない記憶だった。四角い箱の並ぶ部屋。手のひらに収まる、光る板。学校、コンビニ、電車。
それは、日本という国で生きた、ひとりの少女の記憶だった。名前は神田恵理子、十七歳。特にやりたいこともなく、友達も多くなく、休日はだいたい布団の中で溶けていた。唯一の趣味が乙女ゲームで、その中でも一番やり込んだのが――
『断罪の先へ』。
ふうん。
ふうん?
……あ、ここそのゲームの世界だ。で、私は悪役令嬢のセルシア。
一瞬にして、全てを理解する。
なるほどねー。なるほどなるほど。前世の記憶を思い出して、破滅を回避するために奔走するやつね。知ってる知ってる。
恵理子はそのような本を山ほど読んだ。
あの手の話、読者からの人気がすごいんだよね。
いや。
もう断罪されてるじゃん。
おかしくない? 普通もっと前に思い出すやつでしょ。婚約破棄の三年前とかに思い出して、領地経営したり、紅茶飲んだり、なんか変な魔道具作ったりするやつでしょ。なんで刺さってから来るの。処刑台の上で思い出して、私に何をしろって言うの。
回避ルートも何もない。詰みから始まるどころではなく、終わってから始まっている。
体から力が抜けていく。広場の歓声も、見下ろしてくる王子の顔も、輪郭のほうから溶けるように遠ざかっていった。
最後に、セルシアは呟いた。
「く、クソゲー……」
そうして、彼女はその生涯を終えた。
――はずだった。
◇
「――ハッ!」
目を覚ますと、見慣れた天井があった。
仰向けに、柔らかなベッドの上。天蓋から垂れた薄布が、開いた窓から入る風でゆっくり揺れている。
「む、胸がッ」
咄嗟に押さえた胸には剣もなければ、傷ひとつなかった。夜着の布の下に触れるのは、汗で少し湿った、なんの変哲もない皮膚である。
のろのろと身を起こして、自分の手を見た。やけに小さい。
「もしかして……」
セルシアはベッドから跳ね起きて、鏡の前まで走った。
そこに映っていたのは、幼い自分だった。
「いやっっっっったぁぁぁ!! 全部やり直しルートだぁぁぁぁ!」
憧れの異世界。憧れのゲーム。しかも記憶つきの最初から。前世の恵理子が布団の中で百回は願ったやつが、今まさに現物として目の前にある。
セルシアは両手を突き上げ、その場で地団駄を踏んだ。踏みすぎて絨毯がずれ、その端に足を取られて転びかけ、それでも踏み続けた。
扉が勢いよく開いた。
「お、お嬢様!? 大丈夫でございますか!?」
白髪に白い髭の老人。執事のセバスだった。
その老眼に、部屋の中央で八歳の令嬢が絨毯をずらしながら足踏みをしている光景が目に入る。
セバスの顔が呆気に取られた。
うわ。恥ずかし。ちょっとはしゃぎすぎた。
「……大丈夫よ、セバス。ちょっと、体をほぐしていただけ」
「体を、でございますか」
「ええ。ほぐしていたの。全身を」
「……全身を」
「朝は大事でしょう。血の巡りとか」
「は、はッ。左様でございますな。……失礼いたしました」
セバスはそそくさと扉を閉めた。
閉めてから、廊下で「血の巡り……?」と呟く声が、薄い扉越しに聞こえた。
セルシアはほっと息をついて、ベッドに腰を下ろす。
落ち着こう。まず落ち着こう。
そう思うのに、心臓の鼓動が収まらない。ついさっき貫かれたばかりの心臓が、なにごともなかったように動いている。
よし。これまでの人生はもういい。終わったものは仕方がない。
問題は、これからだ。
セルシアは指を折って数え始めた。今の自分は八歳。あと七年で王立魔法騎士学園に入学する。そこで彼女はゲームの主人公ミリア・ペネシスを虐め抜き、ミリアに心を寄せた王子に断罪される。
……うん、ありきたりな話ね。
というか、それだけ?
要するに、私がミリアを虐めなければいいってことでしょ。
「楽勝じゃんッ!」
セルシアは再び拳を突き上げた。
「よーし、第二の……いや第三かな? の人生、めいっぱい楽しむぞー!」
絨毯が、また少しずれた。
◇
――八年後。
「いやッ! やめてッ! 私はなにもしていない!」
絞首台の上で、セルシアは再び叫んでいた。
「黙れッ! このクズがッ! 僕のミリアに、よくもあんなことを……!」
「殿下ぁ……こわいですぅ」
ミリアが、王子の腕に縋りつく。潤んだ目で、絞首台を見上げている。
こいつ……ッ! こいつこいつこいつッ!
ミリアは、セルシアと同じ転生者だった。
最初は本気で喜んだ。同じ場所から来た人がいる。ゲームの話が通じる。前世のお菓子の話で二時間盛り上がれる。この世界に来てから一番楽しい二年間だった。
裏切られたのは、夜会の夜だ。
聖女として認められたその瞬間、ミリアは王子の前で泣き崩れてみせた。セルシア様に、ずっと虐められておりました、と。
証拠は、いくらでも作れる。聖女の涙より重い証言など、この国には存在しない。
「ええいッ! さっさと縛り首にしろ! もはや顔も見たくない!」
「はあああ!? こっちだってあんたの顔なんか見たくないわよ! ろくな証拠もなしにこんなことしちゃってさ。あーあ知らない! どうせあんた、その女に一生振り回されるんだから! せいぜいその腹黒女と――」
仲良くやってれば、と言いかけたところで、胸に剣が沈んだ。
「えっ――?」
深い、と思った。壊れた蛇口から水が出るように、血が溢れてくる。
「不愉快だ。一刻も早く死んでくれ」
かつて愛してもいない男の声だった。
薄れていく視界の中で、セルシアは思う。
どうして。どうして私が、こんな目に。
一周目より頑張ったのに。ちゃんと優しくしたのに。すごく、頑張ったのに。
「く、クソゲー……」
そうして、彼女はその生涯を終えた。
――はずだった。
◇
「――ハッ!」
目を覚ますと、見慣れた天井があった。仰向けに、柔らかなベッドの上。天蓋の薄布が、朝の風で揺れている。
セルシアは、今度は跳ね起きなかった。
ゆっくりと体を起こして、両手を交互に眺めた。小さい。八歳の手である。指の先まで、爪の形まで、二度目の朝とまったく同じだった。
裸足のまま、鏡の前へ歩いた。床の冷たさが、足の裏から順に伝わってくる。
金の髪に、金の瞳。何度見ても見惚れてしまう顔。自惚れではなく、前世の記憶を持つ彼女の、客観的な評価である。
そして、二度死んだ顔でもあった。
窓の外で、鳥が三度鳴いた。それが止んでも、セルシアはまだ鏡の前にいた。
虐めなければいいと思った。実際、虐めなかった。優しくして、友達になって、前世の話で二時間笑い合って、実家のパン屋にまで連れて行ってもらった。
それで、刺された。
じゃあ、もういい。
学園に行かない。あの場所に近づかない。王子にも聖女にも、金輪際関わらない。
この世界には広い大陸がある。行ったことのないダンジョンがある。倒したことのない魔物がいる。前世の私が画面の向こうから指をくわえて見ていたもの全部が、この足で行ける場所にある。
そっちに行こう。
セルシアは息を吸い込んで、腹の底から叫んだ。
「セバスッ!!!」
扉が弾けるように開いた。
「ど、どうかなさいましたかお嬢様!? なにかお気に触るような──」
「違うわ」
セルシアは鏡から振り返り、にっこりと笑う。
「今すぐ、甲冑を用意しなさいッ!」
「え、えぇ!?」
「とにかく丈夫なやつ。あと剣もね」
「お、お待ちください。甲冑と申しますと、あの、金属の」
「そう、あの金属の」
「……お人形遊びの、ということでよろしいでしょうか」
「本物よ」
セバスは、静かに扉を閉めた。
三秒後、もう一度開いた。
「本物、でございますか?」
「本物」
「……旦那様には」
「言わなくていいわ」
「言わずに済む話ではないと存じますが」
「じゃあ、言ってからにして」
「順番の問題でございますか」
「そう。順番の問題」
セバスは、困惑した表情でもう一度扉を閉めた。
セルシアは一人になった後、思いっきり叫ぶ。
「今度こそ、このクソゲーを生き抜いてやるわ!」




