第5話
朝の空気は、昨日よりも軽かった。
それなのに、足元だけがわずかに重い。
踏み出すたびに、遅れてくる感触。
消えていない。
むしろ、残っている。
「来るわよ」
隣を歩くアリアが、短く言う。
視線は前。
足は止めない。
「何がだ」
「昨日の続き」
それだけで十分だった。
街の外縁。
壁の影。
人の気配が薄くなる場所。
そこで――
空気が裂けた。
音はない。
ただ、景色だけが一瞬歪む。
次の瞬間、影が落ちる。
三つ。
いや、四つ。
人型。
でも、人じゃない。
「……小隊ね」
アリアが剣を抜く。
その動きは迷いがない。
「下がって」
「言われなくても――」
言い終わる前に、来た。
速い。
直線じゃない。
途中が飛んでいる。
“繋がっていない動き”。
一体が、横から入る。
もう一体が、正面。
同時だった。
身体が遅れる。
判断が追いつかない。
――その瞬間。
腕を引かれた。
強い力。
視界が横に流れる。
風が切れる。
一拍遅れて、元いた場所が抉れる。
「……っ!」
息が詰まる。
「ぼさっとしないで」
すぐ近くで声。
アリアが前に出る。
さっきよりも近い位置。
距離が詰まっている。
「囲まれてる」
「見れば分かる」
軽口は短い。
それでも、声は揺れていない。
一体が来る。
正面。
今度は見える。
“来る前”のズレ。
位置が、半歩だけずれている。
そこに合わせる。
踏み込む。
遅れる世界。
その一拍の中で、腕を振る。
――当たる。
鈍い衝撃。
一体が崩れる。
消えきらないまま、形を保っている。
「いいわ、そのまま」
アリアの声。
次の瞬間、横から刃が走る。
一閃。
さっきの個体が、完全に崩れる。
「……っ」
息を吐く暇はない。
背後。
気配。
振り返るより早く、来る。
間に合わない。
そう思った瞬間――
前に影が入った。
金属音。
火花。
アリアの剣が、界喰いの腕を弾く。
距離が近すぎる。
本来なら、間に合わない位置。
それでも、入っている。
「下がれ!」
短く叫ぶ。
反射的に一歩引く。
足が遅れる。
それでも、間に合う。
アリアが押し返す。
そのまま踏み込む。
連続の斬撃。
速い。
迷いがない。
だが――
一体が、抜ける。
背後へ。
“繋がっていない移動”。
「……っ!」
振り返る。
もう目の前。
距離が消えている。
間に合わない。
――そのとき。
また、世界が遅れた。
今度は、はっきりと。
“そこに来る前”が見える。
踏み込む。
腕を出す。
狙わない。
合わせる。
衝撃。
今度は逃げない。
界喰いの動きが止まる。
ほんの一瞬。
その隙に、刃が入る。
アリアの一撃。
確実に、切り裂く。
残り、二体。
一体が離れる。
もう一体が、正面。
「分かってきたでしょ」
アリアが低く言う。
「……少しだけな」
答えながら、視線を外さない。
正面の個体。
来る。
ズレる前。
その位置に踏み込む。
遅れる世界。
拳を出す。
当たる。
崩れる。
残り、一体。
最後は、アリアが終わらせた。
一閃。
音もなく、消える。
静寂。
遅れて、周囲の音が戻る。
遠くで、人のざわめき。
風の音。
自分の呼吸。
「……終わりね」
剣を下ろす。
アリアが短く言う。
そのまま、こちらを見る。
ほんの一瞬だけ。
「……なんで庇った」
言葉が先に出た。
考えていない。
そのままの疑問。
アリアは視線を外す。
「うるさい」
それだけ。
間がない。
即答。
そのくせ、少しだけ呼吸が荒い。
剣を納める動きが、ほんのわずかに遅れる。
「……別に、助けてほしいなんて言ってねえけど」
「言ってないわね」
即答。
「でも死なれたら困るの」
それだけ言う。
それ以上はない。
背を向ける。
「戻るわよ」
歩き出す。
その背中を追う。
足元のズレは、まだ消えていない。
むしろ――
さっきより、使えた。
嫌な感覚だった。
それでも、否定はできない。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
分かってきている。
その事実だけが、妙に残った。




