第2話
あれが消えたあとも、“削られた音”だけが残っていた。
地面を引き裂く音が、遅れて耳にこびりつく。
静かになったはずなのに、耳が静かじゃない。
「……終わり、か」
息を吐く。
肺に入る空気が、わずかに遅れる。
自分の呼吸じゃないみたいだった。
「一応はね」
少し前で、少女が剣を下ろす。
視線はまだ前を向いたまま。完全には気を抜いていない。
「追ってこないタイプみたい」
「タイプって……」
一歩、踏み出す。
踏んだはずの地面に、遅れて重さが落ちてくる。
「……っ」
思わず足を止める。
ズレている。
立っているはずなのに、立っている感覚が薄い。
ほんの少しだけ、地面を信じきれない。
「まだ残ってるのね」
少女が振り返る。
「……何が」
少女は少しだけ間を置く。
「少なくとも、“普通じゃない”」
それだけ言う。
それ以上は言わない。
「歩ける?」
「ああ……」
無理やり足を動かす。
やっぱり、遅れる。
バランスを崩しかける。
その瞬間――
少女の手が、手首を掴んだ。
冷たい感触。
同時に、
噛み合っていなかった感覚が、無理やり引き戻される。
「……っ?」
思わず息を呑む。
さっきまでズレていた足が、急に揃う。
――いや、違う。
“戻された”。
自分の位置が、一瞬だけ“固定された”気がした。
完全じゃない。
ほんの少しだけ、ズレは残っている。
それでも、さっきよりは明らかに楽だ。
「動かないで」
低い声。
少女が、じっとこちらを見ている。
観察するように。
確かめるように。
「……今の、何だ」
少女はすぐには答えなかった。
ほんの一瞬だけ、迷う。
やがて、口を開く。
「……気のせいよ」
即答だった。
少しだけ、早すぎるくらいに。
「気のせいで、こんなになるかよ」
「なることもあるわ」
視線を逸らす。
それ以上、触れさせないように。
少女は手を離す。
その瞬間、ほんの少しだけ、またズレる。
完全には戻っていない。
「……とりあえず、ここから離れるわよ」
背を向ける。
歩き出す。
「ここにいるのは危ない」
「ああ、」
後ろからついていく。
森の中を進む。
見慣れない景色。
知らない匂い。
それでも、さっきよりは足取りが安定している。
完全じゃない。
でも、進める。
「なあ」
少しして、声をかける。
「さっきの、あれ」
少女は振り向かない。
「界喰いよ」
短い答え。
「人じゃないのか」
「人だったものもいる」
淡々としている。
それ以上の説明はない。
「……なんだよ、それ」
少女は答えない。
代わりに、少しだけ歩く速度を上げた。
「――今は関係ないわ」
切り捨てるように言う。
「本来ならね」
小さく付け足す。
森を抜ける。
視界が開ける。
遠くに、石造りの建物が見えた。
人の気配もある。
そのときだった。
「アリア!」
遠くから声が飛ぶ。
少女は一瞬だけ視線を動かす。
それだけで、足は止めない。
むしろ、わずかに歩く速度が変わる。
「行くわよ」
短く言って、前に進む。
その音だけが、耳に残る。
その瞬間――
また、ズレた。
視界が、噛み合わなくなる。
ほんの一瞬だけ。
その中で――
見えた。
空の向こう側。
重なった空の、その奥。
そこから、
確かに、こっちを見ていた。
「……っ」
息が止まる。
瞬きをする。
もう、いない。
ただの空。
何もない。
それでも、
分かる。
さっきのは――
気のせいじゃない。
空の向こう側から、見られていた。




