第1話
目が覚めたとき、空が“ずれていた”。
青の上に、もう一枚。
赤紫の空が、重なりきらずに滲んでいる。
瞬きをしても、直らない。
焦点を合わせようとすると、余計に噛み合わなくなる。
――なんだ、これ。
体を起こす。背中に触れるのは、湿った土の感触だった。
硬いはずの地面がない。アスファルトの感触は、どこにも残っていない。
代わりにあるのは、柔らかく沈む土と、草の匂い。
記憶を辿る。
ヘッドライト。白い光。
……いや、違う。
あれは光じゃない。
誰かが、笑っていた。
「やっと起きた。死んでるかと思ったわよ」
声に振り向く。
少し離れた木の根元に、少女がいた。
銀色の髪。細身の剣を膝に置き、布で拭いている。こちらには目もくれない。
「ここ……どこだ」
「雑な質問ね」
剣を鞘に収めて、ようやく顔を上げる。
視線が合う。
一瞬だけ、空気が張り詰めた。
「第七層。あなたは、そこに落ちてきた」
言葉の意味は分からない。
けれど、“落ちてきた”という響きだけが、妙にしっくり来た。
「……落ちた、って」
「自覚ないの?」
少女は立ち上がる。距離を詰めながら、こちらを観察するように目を細めた。
「どうやって来たのか、覚えてる?」
「……轢かれた、はずだ」
口に出した瞬間、違和感が残る。
痛みがない。衝撃もない。
ただ、ここにいる。
少女はわずかに視線を落とし、何かを確かめるように息を吐いた。
「……そう」
それ以上は言わない。
ただ、見ている。
そのとき――
風が、途切れた。
ざわ、と草が揺れる。
次の瞬間、目の前の空間が歪んだ。
輪郭が合わない。
色が混ざる。
そこに“何か”がいるのに、形が定まらない。
地面が抉れた。
遅れて理解する。
攻撃だ。
反射的に体が動く。横に転がる。
さっきまでいた場所に、深い傷が走っていた。
「……は?」
意味が分からない。
だが、次が来る。
正面から。
見えているのに、距離が掴めない。
近いのか、遠いのか。
踏み込んだはずの足が、半歩届かない。
バランスを崩す。
転ぶ。
終わった、と思った。
その瞬間――
世界が、一拍遅れた。
叩きつけられるはずだった。
なのに、衝撃だけが来ない。
気づいたら、立っていた。
半歩分、世界がズレた場所に。
「……今の」
少女の声が揺れる。
振り向く余裕はない。
だが、見えた。
ほんの一瞬だけ、輪郭が合う。
そこに、踏み込む。
拳を振る。
手応えは薄い。
それでも、“何か”が弾かれた。
距離が開く。
荒い呼吸の中で、ようやく自分の体を見下ろす。
足の位置が、少しおかしい。
立っているはずなのに、重心が遅れてついてくる。
「……なんだよ、これ」
少女が近づいてくる。
さっきまでと違う目だった。
警戒と――確信。
「ねえ」
低い声。
「あなた、今……何をしたの?」
「知らない。俺も分からない」
即答だった。
本当に分からない。
少女は数秒、黙る。
その間も、“何か”は距離を取り、様子をうかがっている。
だが彼女は、それよりもこちらを見ていた。
じっと、観察するように。
やがて、小さく息を吐く。
一歩、踏み込む。
「それ――使い方を間違えたら」
言葉が、途中で切れた。
ほんの一瞬の間。
「あなた、“残らない”わよ」
冗談には聞こえなかった。
理由は分からない。
それでも、その言葉だけは、妙に現実味を持って落ちてくる。
体の奥に、さっきのズレが残っている。
立っている位置が、わずかに合っていない。
呼吸が、一拍遅れる。
少女はそれ以上何も言わず、剣を抜いた。
「下がって。今のあなたじゃ無理」
反論できなかった。
一歩、後ろに下がる。
その瞬間、足元の感覚が――消えかけた。
慌てて視線を落とす。
何も変わっていない。
それでも、さっきまであった“確かさ”が、少しだけ薄い。
「……」
言葉が出ない。
少女は前を向いたまま、淡々と言う。
「だから言ったでしょ」
剣先を構えたまま。
「普通じゃないのよ、それ」
その背中は頼もしい。
けれど同時に、距離があった。
守られているのに、安心できない。
見られている。
試されている。
そんな感覚が、離れない。
「ねえ」
戦闘の合間、少女が呟く。
「その力、誰に刻まれたの?」
答えられるはずがなかった。
分からない。
それでも――
なぜか、その問いだけが消えなかった。
まだ主人公等の名前が出ていませんが、次話から出てきますので安心してお読みください。
次話もお読みいただきたいです。




