EP 7
奇跡のポンコツ(物理)と、パッチ配布
「……178……179……180秒ッ! コーディング完了だ!!」
血だらけの指が、最後の一行を打ち終える。
玲王の体温はすでに危険域を突破し、視界は赤く明滅していた。だが、その特A級の脳髄は、市民の命を救う完璧な『アンチウイルス・パッチ』を創り上げたのだ。
「よく保たせてくれた、お前ら……! これで終わりだッ、パッチ適用!!」
玲王が血しぶきを飛ばしながら、エンターキーを強く叩き抜く。
東京中のネットワークを通じて、市民を解放する光のデータが放たれる――はずだった。
『……Error。通信プロトコル遮断。パケット送信に失敗しました』
「……なっ!?」
玲王の目が驚愕に見開かれる。
『ハァーッハッハッハ!!』
新宿の巨大モニター群に、再び魔人ギアンの顔が映し出された。
『無駄ですよ、特A級! 貴方がワクチンを組むことなど、人事部長である私の想定内です! すでに新宿の主要電波塔に「物理的なジャミング装置(電波妨害機)」を設置済み。貴方のパッチは、この結界の中で永遠にループし続ける!』
「チィッ……! ネットワークの物理層を直接塞いだってのか……!」
玲王が奥歯を噛み砕かんばかりに悔しがる。
ジャミング装置を破壊しなければパッチは送れない。だが、ガオンも四神も、玲王を守るために満身創痍で一歩も動けない状態だ。
『さあ、時間切れです。貴方の脳も、市民の脳も、我が社の社畜としてこんがり焼き上がり――』
ギアンが勝ち誇った宣言をしようとした、まさにその時だった。
――ブツンッ。
『……え?』
突然、ギアンの背後のモニターから『電波妨害完了』のサインが消え、エラー音が鳴り響いた。
***
時刻は数分前に遡る。
新宿の裏路地を、涙目になりながら爆走していた女神・ルチアナ。
「いやぁぁぁ! もうヤダぁ! こんなブラックな国、早く自分の神界に帰りたいぃぃぃ!!」
彼女は迫り来る死蟲機たちから逃れるため、手近な雑居ビルの非常階段を駆け上がり、屋上へと飛び出した。
だが、そこは行き止まり。
しかも屋上の中央には、何やら巨大なパラボラアンテナのような怪しい機械(ギアンのジャミング装置)が鎮座し、太いケーブルが這い回っていた。
「ひ、ひぃッ! 追い詰められたぁ!」
背後からは、酸のヨダレを垂らすサラリーマン(死蟲)たちが屋上のドアをぶち破って迫ってくる。
絶体絶命のピンチ。全知全能の女神は、あまりの恐怖に目をギュッと瞑り、後ずさりをした。
「だ、誰かぁぁぁ!!」
その時である。
ルチアナの履いていた『健康サンダル』の裏側が、屋上に這わされていた太さ10センチはある『ジャミング装置の主電源ケーブル』に、見事に引っかかった。
「あ、ふんぎゃッ!?」
カエルが潰れたような声を上げ、ルチアナは顔面からスッ転んだ。
同時に、女神の体重(+日々のホッピーのカロリー)と、逃走の勢いが乗った健康サンダルが、主電源のケーブルを根本からブチィィィンッ!! と強引に引き抜いてしまったのだ。
バチバチバチッ!! と火花が散り、ギアンが仕掛けた巨大なジャミング装置は、あっけなく沈黙した。
「い、いたた……。ちょっとぉ、誰よこんな所にコード這わせたのぉ……わたしのネイルが割れちゃったじゃないのぉぉ……」
物理的に転んだだけのポンコツ女神は、自分が今、日本中を救う大ファインプレーをしたことなど微塵も気づかず、ジャージの膝を擦って泣きべそをかいていた。
***
再び、新宿の防衛戦の現場。
『Connection Re-established(通信回復)』
玲王のホログラム・ウィンドウに、突如として緑色の光が灯った。
「……ジャミングが、消えた?」
理由は全く分からない。だが、特A級の社畜がこの『1ビットの隙』を見逃すはずがなかった。
「……どんな奇跡か知らないが、これで回線はクリアだ」
玲王は血に染まった口元に、獰猛な笑みを浮かべた。
「送信!!」
再びエンターキーが叩き抜かれた瞬間。
玲王の端末から、純白の光の波が新宿、いや東京全域に向かって爆発的に広がっていった。
『ギ、ギガァァァァァッ!? バ、バカな、私の完璧なジャミング装置が何故!?』
モニターの中でギアンが狼狽える。
光の波(特効パッチ)を浴びた瞬間、襲いかかっていたサラリーマンたちの動きがピタリと止まった。
彼らは苦しそうに咳き込んだかと思うと、口や背中からドス黒いヘドロのような『寄生蟲』をゲロゲロと吐き出し始めたのだ。
「う、うぅ……ここは……?」
「俺、確か残業してて……」
寄生を解除された市民たちは、脳を焼かれることもなく、次々とその場に安全に昏倒していく。
残されたのは、人間の盾を失い、グロテスクな正体を完全に晒した死蟲機たちだけ。
「やった……! 市民の分離に成功したぞ!!」
坂上と自衛隊員たちが歓喜の声を上げる。
「フゥ……」
玲王は荒い息を吐きながら、脳の接続を解除し、ドサリと地面に座り込んだ。限界を超えたタイピングにより、指先からは煙が上がっている。
「……よくやったぜ、玲王」
ガオンが、血だらけの顔でニヤリと笑った。
白虎、青龍、朱雀、玄武。泥まみれの神々たちが、守るべきものをなくし、ただの害虫と化した敵の群れへと冷酷な視線を向ける。
「さて」
玲王が、ハンカチで鼻血を乱暴に拭いながら立ち上がった。
「一般市民はログアウトした。……お前ら、もう手加減は必要ないな?」
『『『『『当然だ(ですわ)!!!!』』』』』
神々の反撃の咆哮が、新宿のビル群を震わせた。




