EP 6
泥だらけのファイアウォール(四神の死闘)
「……チィッ!!」
新宿のど真ん中。宙に展開された数十枚のホログラム・ウィンドウを猛烈な速度で叩いていた玲王の指が、突如としてピタリと止まった。
『……警告(WARNING)。対象の偽装プロトコル解除時、宿主(一般市民)の脳神経回路に致死的な過負荷が発生します。脳死リスク:99.9%』
「どうした玲王! 手が止まってるぞ!」
迫り来る死蟲機を牽制していたガオンが、背後を振り返って叫ぶ。
「……敵の寄生プロトコルが、想定以上に市民の生体神経と深く癒着している。このままアンチウイルスを流し込めば、バグ(寄生蟲)ごと市民の脳が焼き切れる仕様だ」
「なっ……じゃあ、助けられないってことか!?」
坂上真一が絶望の声を漏らす。
『……ククク。お分かりいただけましたか、特A級』
玲王の端末に、ギアンの嘲笑う声が割り込んできた。
『我が社のシステムは、労働者と一心同体。彼らを解放したければ、殺すしかありません。さあ、どうします? あなたの愛する休日を台無しにした「市民」ごと、切り捨ててみては?』
「……黙れ、三流が」
玲王はPCメガネを外し、乱暴にポケットに突っ込んだ。
「市民を切り捨てる? 冗談じゃない。俺の組むコードに、そんな妥協は1ビットも存在しない。……負荷の逃げ道がないなら、俺自身にバイパスを通すまでだ」
玲王は、ホログラム・キーボードの配列を『生体リンクモード』へと切り替えた。
自らの脳神経を直接システムに接続し、数万人の市民の脳にかかる致死的な演算負荷を、己の特A級の脳髄一つで肩代わりするという、狂気のコマンドである。
「ッ……!!」
エンターキーを叩いた瞬間。
玲王の体が大きく痙攣し、その端正な鼻筋から、タラリと一筋の鮮血が流れ落ちた。
「れ、玲王様!?」
「おいバカ! 何やってんだお前!!」
青龍が悲鳴を上げ、ガオンが血相を変える。
玲王の顔は蒼白になり、異常な発汗と共に、その体から陽炎のような熱気(排熱)が立ち昇り始めた。
「……騒ぐな。ただの、熱暴走だ……」
玲王は鼻血を拭いもせず、血に染まった指で再びキーを叩き始める。
「俺の脳をプロキシ(中継サーバー)にして、負荷をすべて俺が吸収する。その間に安全に寄生蟲だけをデリートするパッチを流し込む。……タイピング完了まで、あと180秒だ」
ポタ、ポタと、コンクリートの地面に玲王の血が滴る。
常に涼しい顔で、完璧なホワイト環境でのみ最高のパフォーマンスを発揮してきた男が、今、命を削って「誰かのため」に血を流している。
その光景は、ワガママでサボり癖のある神々の魂に、かつてない強烈な火を点けた。
「……聞いたか、お前ら」
ガオンが、低く、地鳴りのような唸り声を上げた。
「俺たちの最強のオーナー(テイマー)が、たかだか180秒の時間稼ぎを要求してんだ。……OSの恩恵がないからキツイなんて、どの口が言える?」
『……当然ッスよ。アタシら、最高の福利厚生もらってんだから』
白虎がルーズソックスを血と泥で汚しながら、拳を顔の前に構える。
『玲王様の流した血の一滴……。万死に値しますわ、蟲ケラども』
玄武の周囲のコンクリートが、怒りの重力によってメキメキとひび割れ、陥没していく。
『美しくない泥仕合ですが……今日だけは、特別です』
青龍がメガネを投げ捨て、両手に限界出力の紅蓮の魔力を収束させる。
『俺のプライドに懸けて……あの背中には、指一本触れさせねェ!!』
朱雀が全身から真紅の炎を噴き上げ、死蟲の群れへと突進した。
「ガァァァァァァッ!!」
ガオンと四神が、玲王の周囲を囲むように陣形を組む。
それは、いかなる最新のセキュリティソフトよりも強固で、そして何よりも泥臭い『物理的なファイアウォール(肉の壁)』だった。
「ギィィィッ!!」
「進捗ゥゥ……!!」
死蜘蛛の粘着糸が白虎の腕を裂き、死蜂の毒針が青龍の肩を貫く。死蟷螂の鎌が朱雀の炎を切り裂き、死百足の突進が玄武のシールドを少しずつ削っていく。
圧倒的な物量と、完全な人間形態による力の制限。
神々の身体に、次々と傷が刻まれていく。
「や、やめろ! 君たちまで死んでしまうぞ!」
坂上が叫ぶが、四神たちは誰一人として一歩も引かない。
『退かねぇよ!! アタシたちの帰る場所は、アタシたちが守る!!』
白虎が血だらけの拳で、死蟷螂の鎌を真っ向から殴り砕く。
背後では、玲王が鼻血を流し、意識を朦朧とさせながらも、決してタイピングの速度を落とさずにエンターキーを叩き続けていた。
特A級社畜と、泥まみれの神々。
彼らの絆が真の意味で結ばれた、地獄の180秒が過ぎ去ろうとしていた。




