EP 3
ダメ女神と清掃バイト
料亭の壮麗な和室で、国家の命運を賭けた「特A級契約」が結ばれていたちょうどその頃。
料亭の裏口付近では、それとは対照的に極めて世俗的かつ低レベルな言い争いが繰り広げられていた。
「……あ、あれ? あの後ろ姿、どっかで見覚えあるんだけど。マジ草」
スマホで自撮りをしていたギャル風の白虎が、料亭の搬入口付近で一心不乱に地面を掃いている人物を指差した。
ヨレヨレのエンジ色のジャージに、頭には手ぬぐい。手元には「清掃中」と書かれた黄色い看板。
そこには、およそ「神」という言葉から最も遠い場所にいるはずのオーラを纏った女がいた。
「おい、まさか……。ルチアナか!?」
大型犬の姿をしたガオンが、目を剥いて駆け寄る。
箒を動かしていた手がピタリと止まった。ジャージ姿の女は、逃げ場を探すようにキョロキョロと視線を泳がせた後、わざとらしくさらに激しく箒を動かし始めた。
「わー、忙しい忙しい! わたし、ただの清掃員だもんねー! 時給1,100円の重みを知ってる、ただの真面目な労働者なんだからー!」
「隠れる気ゼロじゃねえか! 振り向け、このダメ女神!!」
ガオンが咆哮(吠え声)を上げると、ルチアナは諦めたように「ヒェッ」と短い悲鳴を上げて振り返った。その顔は、昨晩のホッピーと焼き鳥のせいで少し浮腫んでいる。
「な、なによガオン! せっかく気配を消して、料亭の裏方として社会に貢献してたのに! あ、あのね、ここ、賄い(まかない)が美味しいって評判なのよ!」
「全部あんたのせいだろ、このコタツ部屋オバサン!!」
ガオンが路地裏に響き渡る声で怒鳴りつけた。
「あんたが神魔鬼大戦でサルバロスを中途半端に仕留め損なったせいで、あいつが魂を集めて復活しようとしてるんだぞ! おまけに日本中に魔将機が溢れて、えらいことになってんだ!」
「わ、わたし、知らないもんね〜!!」
ルチアナは箒を杖のように突き、涙目で叫んだ。
「だいたい、あの時はデュアダロスが途中で裏切るから計算が狂ったのよ! それに、今のわたしはただの清掃バイト! 最低賃金で、今夜の飲み代とソシャゲの課金代を稼ぐのに必死なの! 損害賠償なんて請求されたって、払えるわけないでしょぉぉ!!」
「開き直るな! あんたの管理不足でこっちは社畜にこき使われる羽目になってんだぞ!」(白虎)
「……ルチアナ様。貴方の怠慢が、私の定時退社を著しく妨げています」(青龍)
「おいオーナー、こいつを天魔窟に突き返さなくていいのか?」(朱雀)
「ああ……女神様がこんなにクズだなんて。でも、その落ちぶれた姿も、玲王様の愛で塗り潰してしまいたいわ……」(玄武)
「お前ら、自分の欲求を混ぜるな!」
ガオンのツッコミが炸裂する。
ルチアナは地面に這いつくばり、清掃カートを盾にするようにして震えていた。
「とにかく! わたしは関与しないからね! 損害賠償っていう文字を見ただけで、わたしの心根はシステムダウンしちゃうんだから! 玲王くんがなんとかしてくれてるなら、それでいいじゃない! わたしは静かに、ホッピーの海に溺れたいのよー!」
「この……マジで一回デバッグ(修正)してやろうか……」
ガオンが低い唸り声を上げ、ルチアナへの説教がさらにヒートアップしようとした、その時。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……!!!
本日何度目か分からない、不吉なサイレンが東京の空を切り裂いた。
しかし、今回のそれは、今までの魔将機襲来の時とは明らかに「音の質」が違っていた。
ガオン、四神、そして地面に伏せていたルチアナまでもが、弾かれたように空を見上げた。
「……なんだ? この嫌な予感。システムの根幹(OS)を直接触られてるような……」
ガオンが呟いた直後、料亭周辺の電光掲示板や、SPたちのワイヤレスイヤホンから一斉に凄まじいノイズが噴き出した。
新たな「バグ」の発生である。
それは、力でねじ伏せる魔将機とは異なる、最も狡猾で最も現代的な、労働者の精神を削り取る死神の足音だった。




