EP 2
料亭の攻防。権力者からのテスト
黒塗りのリムジンが止まったのは、赤坂の喧騒から隔絶された、竹林に囲まれた老舗料亭だった。
「……随分とセキュリティコストをかけた待ち合わせ場所だな」
玲王はマイボトルを片手に、着物姿の仲居に案内されて廊下を歩く。
辿り着いた広大な和室。そこには、日本の屋台骨を支える二人の大人が座っていた。
「待たせたな、百夜玲王くん」
上座に座る、三白眼の鋭い老人——与党幹事長の若林幸隆。
その隣で、岩のようにどっしりと構える屈強な男——魔将機対策本部指揮官、坂上真一。
日本の政治と軍事のトップを前にしても、玲王の心拍数は1ビットも乱れない。彼は促されるまま座布団に腰を下ろし、目の前に並べられた豪華な懐石料理を一瞥した。
「まずは飯だ。ここの吸い物は絶品でね」
若林の言葉に従い、玲王は椀の蓋を開けた。立ち昇る出汁の香り。
一口、口に含んだ瞬間、玲王の眉がわずかにピクリと動いた。
「……88度だな」
「ん? 何のことだ?」
「出汁の抽出温度だ。カツオのイノシン酸を最も引き出すのは85度前後。だがこれは88度まで上がっている。タンパク質の熱変性による微かなエグみが、雑味として混入している。……老舗の割には、アルゴリズムが甘いな」
「……ははっ!」
若林が声を上げて笑った。坂上は呆気にとられたようにコーヒーキャンディを噛み砕くのを止めている。
「面白い。国家の危機を前にして、最初に出た言葉が料理のデバッグとはな。……では、本題に入ろう」
若林は鋭い目をさらに細め、玲王を射貫くように見つめた。
「君のような『規格外の力』を持つ人間には、三つの選択肢を用意するのが世の常だ。……金か、女か、あるいは地位か? 望むものを言いたまえ。この国を動かす私の権力をもってすれば、明日の朝には君の望みはすべて『仕様』として確定する」
権力者からの、甘い誘惑という名のジャブ。
だが玲王は、興味なさそうに自分のマイボトルのコーヒーを啜った。
「金も女も地位も、管理コストがかかるだけの不要なリソースだ。……俺が欲しいのは、他人に邪魔されない『週休3日』と『完全有給消化』。それと、最新鋭のAI搭載オーブン、あとは高純度のカカオ豆を安定供給できる回線だけだ。それ以外の余剰な資産は、システムのオーバーヘッドになる」
「……地位も名誉もいらんと言うのか?」
坂上が、低く威圧感のある声で割って入った。彼は鋭い眼光を玲王に向け、あえて不穏な空気を醸し出す。
「なら、別の角度から聞こう。……君が我々の協力要請を拒むなら、我々は君の情報を『敵(魔将機側)』に流すこともできる。そうなれば、君の平穏な社畜生活は完全にクラッシュするだろう。これは交渉の材料になると思うかね?」
国家による脅し。
並の人間なら震え上がる局面だが、玲王はPCメガネを指で押し上げ、冷淡に返した。
「どうぞ。情報の流出はシステムの脆弱性を示すだけだ。もし俺の情報が敵に渡ったとしても、その瞬間に敵のOSそのものを論理爆弾で焼き切る。……それより、この打ち合わせ(会談)はいつまで続く? 俺の貴重な休日が、1秒ごとに消費されているんだが。残業代は、国家予算で払ってくれるんだろうな?」
沈黙が流れた。
坂上と玲王の視線が火花を散らす。
やがて、若林が膝を叩いて大きく笑い出した。
「……合格だな。真一」
「ええ。誘惑にも、脅しにも、自らの論理を曲げない。……本物の傑物です」
若林と坂上の表情から、先ほどまでの鋭い威圧感が消え、そこには信頼に似た色が浮かんでいた。
「失礼した、玲王くん。君が『信頼に値するエンジニア』かどうか、テストさせてもらった。……君の言う通り、不毛な会談はやめにしよう。単刀直入に言う。……我々と『業務委託契約』を結んでくれないか?」
若林は、懐から一通の書類——ではなく、真っ黒な輝きを放つ一枚のカードを差し出した。
「日本政府特権階級専用の、決済上限なしのブラックカードだ。これを君の『福利厚生』の先払いとする。君には、魔将機という名の『最悪のバグ』を駆除してもらいたい」
玲王はそのブラックカードを手に取り、光にかざした。
「……いいだろう。クライアント(国家)の覚悟は受け取った。ただし、俺のコードに口出しはさせない。……それと、週明けの定時以降は、絶対に電話してくるなよ」
こうして、特A級社畜エンジニアと国家権力との間に、史上空前の『不平等な業務委託契約』が締結された。
だが、その契約が結ばれたまさにその時。
彼らの頭上——料亭の屋根の上では、また別の「バグ」が発生しようとしていた。
「わ、わたし、知らないもんね〜!!」
高い時給を求めて料亭の清掃バイトに潜り込んでいた女神ルチアナが、バケツをひっくり返して喚いていた。その目の前には、怒り狂ったガオンたちが立ちはだかっていたのである。




