第二章 国家権力との契約と、襲来する「中間管理職」
特A級のモーニング・ルーティンと、黒塗りリムジンの迎え
「……完全な再起動だ」
港区の高級タワーマンション、最上階の角部屋。
特A級AIエンジニア・百夜玲王は、特注の超高級エルゴノミクス・メッシュチェアの上でゆっくりと目を開けた。
視界の隅にチラついていたエラー(マカロンの幻覚)は完全に消え去っている。
72時間のデスマーチと、神のシステムのフルスクラッチという常軌を逸したオーバーワーク。そのすべてを相殺するほどの、深く、完璧な睡眠だった。
「やはり、体圧分散率100%のチェアと室温22度、湿度50%の完全ホワイトな空調設定は素晴らしい。最高のパフォーマンスは、最高の休息から生まれる」
首をポキリと鳴らし、玲王は立ち上がった。
窓の外には、清々しい東京の朝焼けが広がっている。昨夜、新宿で巨大な魔将機が暴れ回っていたことなど嘘のような、静かな朝だ。
ガオンや四神たちは、玲王を部屋に運んだ後、「俺たちもシャバの空気を吸ってくるわ」「朝マック食べたい!」と言い残して、どこかへ出かけている。
「さて。まずは脳のアイドリング(朝食)からだな」
玲王が向かったのは、部屋の面積の三分の一を占める、異常なほど設備の整ったオープンキッチンだった。
彼にとっての朝のルーティン。それは、脳に最初のコード(カフェイン)を流し込むための、神聖な儀式である。
「今日の豆は……エチオピア産・イルガチェフェの浅煎り(ハイロースト)にしよう。徹夜明けの重い体には、華やかな酸味とフローラルな香りが最適だ」
ドリッパーにペーパーフィルターをセットし、特注のミルで豆を中細挽きにする。
立ち昇る、花や紅茶を思わせる極上のアロマ。
湯温は、豆のフルーティーさを最大限に引き出すため、厳密に『88度』に設定。
ツツツツ……。
一寸のブレもない、完璧なハンドドリップ。
特A級の演算能力が、粉の膨らみ(ブルーム)とガスの抜け具合をリアルタイムで解析し、最適なタイミングで湯を投下していく。琥珀色の液体がサーバーに落ちる心地よい音が、静かな部屋に響いた。
「……出力」
淹れたてのコーヒーをマグカップに注ぎ、一口。
口いっぱいに広がるジャスミンのような香りと、クリアで爽やかな酸味。脳細胞の隅々にまで、カフェインという名のパッチが適用されていく。
「……完璧だ。最高のコンパイル結果だな」
玲王が至福の吐息を漏らした、その時だった。
『ピンポーン』
タワーマンションの備え付けインターホンが、無機質な電子音を鳴らした。
玲王はマグカップを持ったまま、モニターを確認する。
「……宅配便の予約はしていないはずだが」
画面に映っていたのは、黒のスーツに身を包み、耳にワイヤレスイヤホンをつけた屈強な男たちだった。
その立ち振る舞い、鋭い眼光。どう見ても普通の営業マンや勧誘ではない。要人を警護するプロのSPだ。
さらに、モニターの端(マンションの車寄せ)には、黒光りする防弾仕様の『超大型リムジン』が横付けされているのが見えた。
普通の25歳なら、ここで「ヤクザか!? 警察か!?」とパニックになるだろう。
しかし、玲王は特A級の冷徹な瞳でモニターを見つめ、一切の動揺を見せなかった。
(……なるほど。身なりからして、国家レベルの政府機関か、あるいは超メガバンク級の重役クラスだな)
玲王の脳内で、瞬時に状況が論理的に解析されていく。
(昨夜の新宿でのデバッグ作業(魔将機討伐)……あれだけ派手にシステムを書き換えれば、どこかの監視網に引っかかるのは計算済みだ。俺のスキルを見込んで、強引に接触を図ってきたというわけか。……直請けの大型案件だな)
国家の最高権力からの呼び出しを、完全に**『新規のフリーランス案件の打ち合わせ』**として処理する特A級社畜。
彼にとって、相手が総理大臣だろうとヤクザだろうと関係ない。「報酬(福利厚生)が見合うかどうか」がすべてなのだ。
「……まあいい。話くらいは聞いてやるか」
玲王は全く慌てることなく、残りのコーヒーを保温性抜群のマイボトル(チタン製)に移し替えた。打ち合わせにマイボトルを持参するのは、有能なエンジニアの基本である。
パーカーの上に軽くジャケットを羽織り、PCメガネを指で押し上げると、玲王は悠然とエレベーターで1階へと降りた。
***
マンションのエントランス。
自動ドアが開いた瞬間、待ち構えていた数名のSPたちが一斉に緊張を走らせた。
昨夜、絶望的な強さを誇ったバケモノをたった一撃で消し飛ばした、未知の巨神のパイロット。
どんな恐ろしい男が現れるのかと身構えていた彼らの前に現れたのは、ボサボサ頭にメガネ、片手にマイボトルを持った、どこにでもいそうな気怠げな青年だった。
「……百夜玲王、様ですね?」
リーダー格のSPが、警戒を解かずに声をかける。
「あぁ。そっちのクライアントの社名(所属)は?」
「……お答えできません。しかし、我々の『ボス』が、どうしても貴方と直接お会いしたいと。……同行願えますか?」
SPが、威圧感たっぷりにリムジンのドアを開ける。
「断る」と言えば、実力行使に出る構えだ。
だが、玲王はふっと鼻で笑った。
「秘密保持契約(NDA)を締結する前の打ち合わせか。いいだろう、乗るぞ」
「……え?」
拍子抜けするほどあっさりと、玲王はリムジンの後部座席に乗り込んだ。
脅しにも誘惑にも動じない、その不気味なほどの落ち着きっぷりに、プロのSPたちの方が冷や汗を流す。
(な、なんだこの青年は……! 我々の放つプレッシャー(威圧)が、全く効いていない……!?)
「おい、早く出せ」
後部座席に深く腰掛けた玲王が、マイボトルからコーヒーを啜りながら運転席に声をかけた。
「休日の朝なんだ。移動時間に無駄なリソースを割きたくない。……俺の貴重な休日の時間を奪う以上、それなりの『見返り』は用意してあるんだろうな?」
特A級社畜エンジニアを乗せた黒塗りリムジンは、エンジンを静かに唸らせ、東京の中心地へと向かって走り出した。
向かう先は、日本の最高権力が集う場所――老舗の超高級料亭。
そこで玲王を待ち受けるのは、防衛省のトップたちによる『究極の圧迫面接』である。




