勇者の戦い
目覚めた俺は挨拶も早々に街へと繰り出した。
エリーも驚いていたが————
「草木一本生えていない、どころじゃないな。乾燥している訳でもないのに、ミイラになってる」
結界を境界とし、大地は荒野と化していた。
街には当然人など居ないが、野生化したであろう動物どころか、虫の一匹も居ない惨状である。
民家で死んでいた者はミイラとなっていたから、腐敗を進める微生物すら死滅しているのだろう。
予想を遥かに上回る殺傷力だ。死に顔に苦しみがないのが、せめてもの救いだろうか。
「……流石に、これは何とかしなくちゃな」
重圧な静寂の中、独り言をつぶやきながら歩く。
魔力探知は魔力を含む毒に阻まれ使えないが、天使の補助により、目的地が光って見えている。
「他の勇者候補がいるって話だけど、どこにいるんだ?」
「ここにいるぞ!」
「ひ”ぇ————―!!!!!」
大きく一歩進み、右足を軸に振り返った。
逆立った髪が特徴の男が、腹を抱えて笑っていたのだ。
順は耳まで真っ赤にし、男へと詰み寄った。
「おい!」
「ご、ごめん! あんなに驚くとは思わなくて、あはは————」
ひとしきり笑い終わった後、男は改めて謝罪して言った。
「俺はイライアス・ヒートリー。此処に居るということは君も勇者候補なんだろ?」
「そうだけど。ということはあんたも夢を見たんだな?」
「夢?」
イライアスは天使から頼まれたのだといった。
夢と云う形ではなく、直接頼まれたのだそうだ。
「そこは適当なのかな。——あ、そうだ自己紹介忘れてた」
順は何気なく名乗った。
だがその名を聞いた途端、イライアスがびくりと跳ねる。
「ど、どうかした?」
「あ、ああ。うちの天使が大声出して……」
順には聞こえなかったが、ペアにしか聞こえないのだろう。
しかし何故騒いだのか。
「なんで?」
「うーん、理由は教えてくれないみたいだ。これだけは絶対に言えないとさ」
でも口が軽いから、そのうち聞き出せると思うとイライアスは小声で続けた。
「何か情報持ってたりしないか? 俺はレスリーって男が原因で、今はどこに居るかしか知らないよ」
「こっちも似たようなものかな。レスリーさんの噂は聞いていたけど、直接会ったことはないし」
天使から与えられた情報に差異はないようだ。
やはり直接赴くしかないか。
(独力でって話だったけど……)
出し抜くのは難しいだろう。
そも1人で達成できるかも怪しいので——
「……行こうか」
「ええ、行きましょ。道すがらジュンの武勇伝でも聞きながら!」
「刺激的な話はないけどなあ」
*********
貧弱な我が身が恨めしかった。
両親は代わりに明晰な頭脳を神様は与えてくれたのだと慰めてくれたが、本当は皆と街中を走り回りたかった。
でもそれは叶わない願いだったから、代わりに本を読み続けた。
好きだったのは英雄譚、怪物を打ち倒す勇者のお話。
剣を持って戦うことは叶わないけれど、代わりと言っては何だが魔法の才は宿っていた。
だから魔法学園に通い、十分な成績を収める裏で戦闘訓練を続けた。
他の者のような楽しい思い出とは無縁だったけれど、夢へと着実に近づいていく充実感が胸に満ちていた。
そして遂に、彼のもとに天使が舞い降りたのだ!
順風満帆だと思われた。なのに、この体は、またも我が夢に立ち塞がったのだ。
「僕は、絶対に諦めない。勇者になるんだ……!」
かすれた喉を震わせ、勇気を奮い立たせる。
『頑張って』
リノリウムの床に蹲る彼を、異形の天使が抱きしめる。
死に瀕した街で、この場所だけが熱を持っていた。
*********
「……そっかあ」
「レスリーさん、話に聞く限り勇者というより聖人何だけどね」
レスリーについて2人は妄想を膨らませていた。
好意的な話しか出てこない男だが、何故こうなったのだろう?
しかし、周囲は相変わらずネズミ一匹いない惨状だ。襲われる恐れもなく、奇妙な空間にも慣れてきて気が抜けてきていた。
「この建物か」
「大きな穴が空いてる。先客が居たのかな」
イライアスの言う通り、この建物だけが、何らかの破壊を受けていた。
他の建物もガラスが割れていたりと、混乱の跡が見えたもの、壁に大穴が空いているような建築物は他になかった。
「他の勇者候補が?」
「えー、と。……招かれた勇者候補が俺達含め3人で、一番早くに着いた人は連絡が絶えているらしい」
天使と昼間も話せるのはすごく便利だと思う。
こちらも負けじと交信を試みていた順だったが、うんともすんとも言わない非協力っぷりだ。
「やっぱり戦闘になるんだな」
「やられた勇者候補はジェフリー。純戦士型の人だったな。かなり強かった記憶だけど」
「レスリーは魔法使いだったよな。病気でも戦闘はまだ可能みたいだ」
「それでも弱体化はしている筈だけど……」
壁の穴は、おそらく高温で焼き切れたのだろうが——
(ん?)
一部、煤のない断面が目についた。
ひび割れもなく、研磨したかのような滑らかさだ。
一体どんな魔法ならこんな破壊跡になるだろうか。
罠を警戒し、風の魔法を探知代わりに使用する。
本当は上位魔法で建物ごと破壊するのがベストであろうが、使えないものは使えない。
風の魔法もオリーブほどの精度は望めないが、無策で突っ込むよりはましだ。
「まあ、相手は俺よりも高位の魔法使いだから、本当に気休めなんだけど」
「ないよりマシでしょ」
光の高さから3階に居ると思われるが、こちらが建物に侵入しても、動きはない。
待ち構えているのか、動くだけの体力もないのか。
とかく静けさが不気味だった。
階段に足を伸ばしたその時、風が振動を返してきた。
順が叫び、2人の勇者候補は大きく後退した。
巨大な石柱が天井を突き破り、階段を破壊する。
間一髪避けた2人だったが、地面に突き刺さった石が割れ、散弾となって襲い掛かる。
「プロテクション!」
イライアスが唱えた防御魔法により被弾を免れる。
「助かった!」
「お互い様ということで! 魔法使いに時間を与えたのは間違いだった! 走ろう!」
慎重が過ぎたのだ。
知らず知らずのうちに、2人とも静寂を破ることを恐れていた。
だがそれももう破られた。
今は最短最速でレスリーの元へと向かうのみ。
イライアスが提案した。
「二手に分かれよう! 俺は今ぶち抜いてくれた穴から行く!」
「了解! 俺は外から行く!」
順は一度外へ出て、糸の魔法を使いつつ3階へと侵入する。
大きな衝撃が響いた。イライアスが攻撃を受けたのだろうが、規模からいって中級魔法以上だ。
人影が視界に入る。目印と同位置。間髪入れず攻撃した。
放つは風の刃。毒が蔓延し魔力探知の効かない中、無詠唱で放たれた魔法は順が使える中で最強の不意打ち技だ。
当然のように防がれる。
順にも驚きはない。その程度の相手ならば、勇者候補が3人も出張る必要はないのだ。
「イライアス! 生きてるか!」
「なんとか! 不可視の攻撃は絶対に避けるんだ!」
イライアスは既に血を流していた。
左腕、上腕を負傷したようだ。
彼の小型の盾が消滅したかのように円形に破損していた。
鉄では防げない攻撃。剣ごと殺されたくなければ彼の忠告を聞いたほうが良いだろう。
(とはいえ不可視の攻撃か。風の魔法かな?)
考える時間が欲しいし、言葉も交わしてみたかったが、時間を与えるのは悪手であろうから攻撃を仕掛けることとした。
レスリーの頬は削げ、瞼は垂れ下がり目を開くのも苦しそうだった。
だがその瞳はギラギラと輝いていて、心だけは全く萎えていないように思われた。
レスリーは順が振り下ろした剣に骨ばった手のひらを向ける。石柱が放たれ順の体勢が大きく崩れた。
「避けろ!」
イライアスが叫んだ。
順は理解が追いつかないまま、咄嗟に回避行動を取った。
……何が起きたのか分からなかった。
音もなく、脇腹が消滅したかのように抉られていたのだ。
「————え?」
バランスを崩しその場に倒れる。
確かに不可視の攻撃だ。風は感じなかった。攻撃が、何の軌跡もなく空間に発生したとした思えなかった。
「ぐ、うあ————!」
遅れて痛みと、血が噴き出す。
糸の魔法で服を巻き込むように止血する。
勇者候補なので気をしっかり持てばまだ戦える。
だから致命傷ではない。しかし2度目を避けられるとは思えなかった。
(予想以上過ぎるぞ——!)
魔法と言っても、自然現象——現実的にあるものを再現する魔法ばかりだったので、対処方法は簡単に思いついた。
だが、あれは何だ。いくら知識に照らし合わせてみても、攻撃方法が推察すら叶わない。
(駄目だな、諦めよう。次の一撃で俺は倒される)
ならば、相手に攻撃を許さなければ良いのだ。
イライアスの剣戟に魔法を合わせる。
風の刃が断続的に襲い掛かる。
鉄と風が織り成す斬撃結界。
フルプレートの騎士ですら容易く細切れになるであろうその中で、しかし立ち上がることすら難儀であろう病人が、なおもぎらつく瞳を携え生き残っていた。
そして、レスリーはしわがれた唇を動かしこう唱えた。
「インフェルノ」
初めて聞いた男の声は、酷くかすれていた。
だがそれに気を取られるわけにはいかなかった。
例え無駄だとしても、足搔かなければならない。
「プロテクション!!!!!」
「ストーン!!!!!」
イライアスが盾の魔法を。順が石の魔法で階下に逃げる。
2人は防御、回避をそれぞれ選んだ。
どちらが正解かといえば、どちらも不正解だ。
そもそも、正解など選びようがないのだ。
上級魔法に準備なしで対応する術など存在しないのだから。
——爆炎が通り過ぎ、2人の生命は一瞬で燃え尽きた。
だがそれは終わりを意味しない。勇者候補に死は訪れない。
(とはいえ)
順は茹った脳みそでぼんやりと思考する。
上級魔法は、発動すれば勝敗が決するほどの威力だ。
当然気楽に使えるものではなく、一流と呼ばれる魔法使いでさえ、ワンセンテンスの詠唱を必要とする。
消費も膨大だ。不発でさえ大きく消耗する。
2人の波状攻撃の中で発動するなんて技術的にありえない。
いやあいつはやったのだから可能なのだろう。だが例え可能でも、真っ当な精神ならそんなリスクのある行動なんて取るわけがない。
(……そうだ。普通なら取らない。追い詰められていたんだ)
(あの不可視の魔法。効果範囲はそう広くない。発動タイミングさえ分かれば簡単に避けられるんじゃないか?)
(タイミングは……俺なら何時使うだろうか。
十分に隙を作った時か? いや、既に一度使ってるんだ。切り札としては使わない。とりあえず初撃で——)
「スト……リング」
思考をまとめ上げ、糸の魔法を筋肉替わりに立ち上がる。
黒魔法ではこんな方法でしか立ち上がれないが、騎士であるイライアスならば簡単な白魔法を使える。
彼もきっと立ち上がっている。急がないといけない。
(必死だな、俺。そんなにも過去が知りたいか)
自問自答する。何故過去を求めるのか。
(いや、実はそれはあまり大事じゃないんだ)
動機は確かにそれだ。しかし、頑張る理由はそれじゃないと思った。
(ここは、怖い街だよな。悲しいよな)
この胸に宿るのは、正義感だろう。
いつしかセシリアに言った言葉を思い出す。
(そうだ、勇者になるんだよ、俺は)
*********
吐き出した血だまりに膝をつく。
『大丈夫?』
「ああ、なんてことはないさ」
レスリーは強がってみせるが、天使——モークリーは彼の状態を彼以上に把握していた。
癌に犯された彼には最早無事な部分などなく、肺の機能がほとんど停止してしまった彼には、呼吸により酸素を取り入れることも出来ない。
勇者候補の力により死だけは免れているとはいえ、変異した肉体を強引に動かせば、想像を絶する苦痛がもたらされるのだ。
集中なんて出来るはずもなく、戦闘行為なんて以ての外である。
「片方は、騎士だ。また来る、からな」
『勇者候補は、肉体の損傷さえ治せるのなら、すぐに復帰してくる。”例の魔法”を当てる必要があるけど——』
レスリーには追いかけるどころか、魔法を唱えるだけの余力もないのだ——本来は。
(うん、本当は、下級魔法を使うだけの余力もなかったんだ。でもレスリーはやった。レスリーならどんな辛苦も乗り越えられる)
仲間からはレスリーとの契約を切るように言われているけれど、彼なら絶対に魔王を滅ぼし、その先の——
ずず、と。この死した世界で、意識の外に飛ばした何かが移動しているのを感知した。
『魔法使いの方がこっちに来てる……? なんで!? 動けるはずないのに!』
「移動するだけなら、手足はいらない。そうだな、応用が、できる相手みたい、だ」
ヒステリックに叫ぶモークリーに対し、レスリーは冷静だ。
相手は流石は勇者候補に選ばれるだけあり、魔法をただ放って満足する相手というわけではないらしい。
「問題は、ない」
かすれた声で天使を勇気づける。
問題はないのだ。対天使封印魔法を使う回数が、一度増えるだけである。
(勇者候補の不死性は、憑いた天使に寄るもの。ならば天使自体を封じてしまえば、対策は可能)
昨夜その効果は実証された。
だから、後は対象を待つのみだ。
煤けたコンクリートを、何者かが踏みぬいた。
レスリーは苦痛を隠し、対象へと体を向けた。
「来たのは、お前か」
「——ああ、イライアスはまだらしいな」
その男は、炭化し黒ずんだ全身を魔法の糸で覆っていた。
(ストリングスで四肢を操作しているのか。パペットのスキルから着想を得たか)
あれなら碌な治療もなしで来れたのにも納得だ。
だが、そうなると封印魔法の前にもう一段の無力化が必要だ。
魔法使いに肉体のハンデだけでは心もとない。
(だから、頭を潰す。ショックの魔法は避けられていなかったな)
ショックはレスリーが発明した中級攻撃魔法だ。
一定の空間を消滅させる魔法は、攻撃の軌跡はなく、自然現象を介さないため耐性も意味をなさない。
まさに攻撃魔法の歴史を変えた傑作魔法。
防御不可の攻撃が順を襲う。
ショックの破壊空間が、順の頭部——その上で炸裂する。
「!」
目を剥いたレスリーに順が得意げに笑いかける。
「狙いが分かれば避けられる。そして——」
順が剣を叩きつける。風の魔法がそれを阻んだ。
「余裕がなくなると予備動作が見えてくるな? 実はもう限界なんだろ?」
レスリーは内心で嘲笑った。
限界なんて当の昔に超えている。
魔法発動の際、妙な癖がついてしまうことがある。
レスリーにもあったが克服していたと思っていた。しかしこの男が言うには、どうにも復活してしまったらしい。
得難い学びだ。感謝しよう。
胴体を狙ったショックは避けられた。ならばと発動した範囲攻撃は風の魔法で逸らされた。こみあげてきた血を飲み込んだ。
(やはり、上級魔法で消し飛ばすしかないか)
騎士に対して余力を残しておきたかったが止むをえまい。
「メガ————」
「サイレンス!」
レスリーにも上級魔法になると呪文詠唱が必要だ。
突如として消えた声に——動作を完全に読まれていたことに——動揺し、レスリーの次の動作も空白になる。
「————!」
音の消えた世界で、順が叫ぶ。
レスリーは風の魔法により防御行動を取っている。
サイレンスは空気の流れを止め、音を掻き消す魔法だ。だがその副次効果として、風の魔法も弱体化させる。
振るった剣は、違わずレスリーの胸に突き刺さった。
『見事。その奮励を認め、我が力を示しましょう』
天使エルファイルの声が順の脳内に響き渡った。
彼女の声と共に、剣が白く輝き始める。
「させ、るか!」
サイレンスを破ったレスリーが叫ぶ。
目視が叶うほどの魔力を迸らせ、光を押し戻す。
だが——
『抵抗をするな』
エルファイルの静かな怒りによって、増幅した光が瞬く間にレスリーを包み込んだ。
『——————―!!!!!』
エルファイルのではない、何者かの叫びが脳内に響き渡る。
苦痛の中に、悲しみと、拒絶が混ざるその声に胸が締め付けられるようだ。
「ッ!」
耳を塞いでも、別離の嘆きは止まらない。
『————』
叫びは電源を落としたかのように突如として止まった。
自然と零れていた涙を拭った。
レスリーは痙攣している。まだ息があるようだ。
『我々は目的を達成しましたが、毒を止めるにはその人間を殺す必要がありますよ』
「……」
親切心のつもりだろうか。エルファイルはそれ以上何も言わなかった。
順もまた何も言わなかった。レスリーはもう動けない。病は元より胸に刺した剣の傷は致命傷。勇者候補の力を失った今、すぐに死んでしまうだろう。
「う、あ」
「……」
奇跡的だろう。レスリーは意識を取り戻した。
剣を持つ手に力が入る。
「あ、ああ……」
レスリーは、泣いていた。
消えた天使の嘆きに似たそれは、同じく別離への悲しみだろうか。
「う、ぐ、ああ!」
レスリーは立ち上がった。
もう天使の加護はないのに。
肉体は当の昔に死んでいて、魔力だって尽きているのに。
彼はその両足で——背筋をまっすぐに——揺らぐことなく凛として立ち上がったのだ。
「君、名前は何という?」
しわがれた声は変わらない。
だがその威容。どんなに偉大な人だって、このような空気を感じさせないだろう。
順は彼にたっぷりと呑まれ、ようやく返事をした。
「順。鈴音順だ」
「スズネジュンか、変わった名前だな」
彼は愛想よく笑って、続けて言った。
「ジュン。君は魔法使いだろう? ここは一つ、魔法比べをしよう」
「魔法比べ?」
知らない単語に、順がオウム返しをする。
レスリーは子供のように笑った。彼の朗らかな態度に、順の緊張も解ける。
「なんだ知らないのか? 同じ魔法を同じタイミングで唱え、どちらがより優れているか試すんだ。穏やかな決闘みたいなものさ」
「……それを、今?」
「ああ、良いだろう? ジュンの得意な魔法はストリングで良かったな。それでやろう」
「……分かった」
彼はどうやら、正気を失ってしまったようだ。
だが得意な魔法は当たっていた。レスリーが格上の魔法使いだとは理解していたが、だからこそ、得意分野では勝ちたいという想いが強まった。
「よし、それじゃあ相手の体に先にストリングを当てたほうが勝ちだ。何度唱えても構わない」
「ああ、合図は?」
「この石が床に落ちたらだ」
レスリーは石を投げた。
放物線を描き、石が床に落ちる。
カツンと硬質な音が響いた。
同時、硬度も、太さも、色でさえ。何もかもが異なる糸が宙を裂く。
レスリーの糸は硬度が高く、真っすぐに伸びた。
順の糸は粘着質で、レスリーの糸に触れると形を失い、硬糸の動きを奪った。
硬糸が弾けた。中から極小の糸が飛び出す。
1つの糸ではなく、幾つもの糸を束ねたロープだったのだ。
順は糸をたわませた。
蜘蛛の巣のように獲物を捕えようとする。
「————!」
レスリーは意識を集中させ、細く見えずらい順の糸を器用に避けて進ませる。
順までおおよそ1mまで迫るその時——レスリーは風切り音を捉えた。
「————!」
レスリーは息を呑んだ。
粘着質な糸が開始の合図に使われた石と共に、彼の側面から迫っていた。
石は首の裏を掠め————糸が彼の顔にべちゃりと付着した。
糸をたわませたのは、注意を逸らすためだ。
あくまで守りに回ると見せかけて、速度を得るための石を回収するため。
糸の粘着性も、初めからそれを目論んでいたが故。
「ふ、ふふ……」
——魔法の工夫には自信があったが、それだけでは勇者にはなれない、か。
最早自分には勇者になる資格はない。
勇気の加護が消えた時でなく、自らの生存のためだけに街を滅ぼした時、その資格を失ったのだ。
でも諦めきれなかった。
それでは自分の人生が何だったのか分からないではないか。
ただ魔法が得意なだけの病人で終わりたくなかった。
生きた証が欲しかった。
だから道理を捻じ曲げてでも、立ち上がった。
それが邪悪だとは気付いていたけれど、目を逸らし続けた。
でも————
『ねえ、レスリー』
彼女の最期の言葉、その瞬間がフラッシュバックする。
『貴方と共に居られて、私は幸せでした』
こんな薄汚れた自分を愛し、庇って光に呑まれた彼女。
彼女が消えた今、逸らし続けていた罪に直面してしまった。
(ああ、僕は、勇者にはなれない)
ここが僕の人生の到達点なのだ。
彼女が消えたその時、彼女の後を追うように、意識が混濁していった。
自我が溶け、闇へと沈んでいく。
————闇の中、純白の羽が彼の指に触れた。
咄嗟に掴んだ羽は、石へと姿を変えていた。
レスリーは順に笑いかけ、純白の石を差し出す。
「楽しかったよ、ありがとう。これはお礼だ」
それは石英のような白い石で、美しくはなかった。
それはそうだろう。ヘドロのような自分の心を、彼女の優しさで覆い隠した、虚偽の純白なのだから。
「これは?」
「賢者の石。僕が最も得意な魔法を封じ込めてある。君の冒険に役立つよ」
本来ならば、賢者が生涯に一度しか生み出せないという、至高の宝石。
彼女がくれた、僕の生きた証。
魔法を上手く使う彼ならば、きっと役立ててくれる筈だ。
勇者の物語の一節、いや一文にでも僕の名前が載ってくれれば——
「少しは、報われる、かな」
「——あ」
床に背中を叩きつけた感覚すら、もう残されてはいなかった。
偉大なる魔法使い————いいや、賢者は——その生涯に幕を下ろした。




