天使の依頼
——夢を見た。
俺——ええと、そう。鈴音順は水中を漂うように、何もない空間に居た。
何もないと言っても、真っ暗闇ではなく、逆の真っ白の空間だったから、光だけはあるのだろうと、徐々に明晰になってきた意識は特に意味のないことを考えていた。
「目が覚めましたか?」
脳髄に響くような、振動としか思えない声が響き渡った。
上下左右前後ろ、見渡してもそれらしき姿は見えない。
「人に見せる姿は持ち合わせておりません。みすぼらしい真似はやめなさい」
声の主は、何とも居丈高だった。
「我が名はエルファイル。我が名を冠する街の守護天使であり、お前に加護を与えた者です」
加護。果て何のことだろう——等ととぼける必要もあるまい。
俺を幾度となく救った勇者候補の力だ。
あれは守護天使が与えるものらしいし、そう考えると、この空間にも加護に似た力を感じる。
「まずはお前に称賛を。
見事四天王の一角を打ち破り、勇者へと一歩近づきました。これに驕ることなく修練に励み、魔を打ち払い続けなさい」
「はあ、ありがとうございます」
我ながら気の抜けた返事だと思う。
声の主——エルファイルは必要な事務処理は終えたと言わんばかりに次の話題へと移った。これからが夢の本題か。
「先日とある勇者候補が暴走し、街1つ飲み込みました。
これの対処は本来ならば人間の務めではありますが、手に余ると判断されたため。特例で天使の補助の基勇者候補に解決させることとなりました。
他の者に遅れを取る事は許しません。覚醒次第エイミへと向かいなさい。
詳細は到着次第連絡します」
と、声の主が言い終えた途端体が急速に浮上していく。
俺は待ったをかけるように底へと潜った。
「何か」
エルファイルは明らかに気分を害したようだった。
「いや、いやいやいや。俺は今ちょっと人助けの気分じゃないんだ。悪いが今回はパス
させてくれください」
以前ならいざ知らず、この世界にナイーブになっている今、戦いへの活力が失われてしまっていた。
俺の知っていた世界は滅び、人間だと思っていた者がそうでないかもしれない。普段は自らを騙せても、極限状態ではどうなるか……。
「そうですか。ではお前はこれより勇者候補ではなく、命1つの軟弱な人間となります」
「……まあ、それはしょうがないかな」
表情は見えないが、四方八方をエルファイルという天使に囲まれている感覚なので、相手の感情がダイレクトに伝わる様である。目を閉じていても圧が凄い。
加護を放棄しようとした俺の発言が気にくわなかったようだ。
「お前は何度私に救われましたか?」
「ええと、10回くらいかな」
「46回です。
お前は私に恩を返す必要がある。違いますか?」
「はい……すみません」
圧が凄いのでつい謝ってしまったが、心は萎えたままだった。
エルファイルはため息をついた(本当に息を吐く音が聞こえた)。
「お前が人間性を失っていることは理解しました。
そういうことでしたら、獣相手に相応しく、餌を用意しましょう」
「……人間性はあると思うけど、やる気を補充してくれると助かります」
我ながら情けない物言いだ。
でも相手は天使。多くのことを知っているだろうし、この機会を逃したくなかったのだ。
俺の想いを知ってか知らずか、この天使は平坦な調子で言った。
「お前が死んでいた千年の間に、何があったのかを教えましょう」
「——————」
それは、まさに俺の望むものだった。
「それは、本当の本当に、真実、ですか、?」
「無論です。天使が約束を違えることはありません。また、私は全てを観測してきました」
呂律が回らなくなった舌を何とか動かして返答する。
エルファイルは幾分か穏やかな調子になった。
犬の躾が上手くいったら、このような雰囲気になるのではないか。
「良い返事です。ではお前が”独力”で解決すれば、教えると約束しましょう」
「え」
条件増やすのはずるくない?
言葉は形にならず、今度こそ意識は浮上していった。
*********
「——という訳で、俺はエイミに向かいまーす」
順は最後の報酬を抜かし、夢の内容を仲間たちへ伝えた。
彼らは戸惑いつつも、その内容を飲み込んだ。
一足先に咀嚼を終えたアルバータが手を上げる。
「天使様から試練の神託を頂いたのですね。
……寝ぼけていたわけではなく?」
「夢の中だから寝ぼけってレベルではないけどね。概ねそうだね」
「そうではなく。
私の言いたいこと分かってますよね? からかってますよね?」
頷くとアルバータが立ち上がった。
慌てて話題を逸らす。
「セシリアは! セシリアのとこには来なかった!?」
「わたしは知らない。それにギルドから指名依頼? が来てるからムリ」
「え?」
Aランク冒険者になると、名指しでの依頼が入ることがある。
それは確かに大事だが、優先順位がおかしいだろうとこの場の誰もが思った。
そして順は冷や汗をかいた。
「2人の勇者候補が揃っているのはこういう時便利だが、お陰で真偽が怪しくなってしまったな」
ライオネルが疑いの眼差しを向ける。お前寝ぼけていただけだろうと。
順自身も、あれが自分の願望を元にした夢ではないのかと自らを疑った。
「わ、私はジュンさんのこと信じてます!」
点数稼ぎに余念のないエリーだけが順の味方だった。
ちなみに無言を貫いているオリーブは、ライオネルの発言の後、鼻で笑っただけだ。
自分が信じられない順だが、それはそれとして意地になって言った。
「分かった。分かりましたぁ。信じないなら信じないで構いませ~ん。助けなんて頼んでないしぃ」
拗ね気味の順に対して、オリーブは憐憫の眼差しを向けた。
これはただの嫌がらせだが、居た堪れなくなった順が部屋を飛び出すには十分だった。
エリーが一瞬逡巡した後、順に続いていった。
アルバータは渋々といった調子で言った。
「私は信じたわけではないですが、天使様の名前が出た以上は真偽を確かめざるを得ませんね」
彼について行く、と言い残しアルバータも部屋を出て行った。
「……本当だとして、ついて行ってどうにかなるものかな?」
「ないでしょ。例の街は入るだけでアウトって噂だし、あいつ以外は蚊帳の外だわ」
彼らも、まるっきり順の話を信じなかったわけではない。
件の街の情報は彼らの耳に届いていたし、話とも矛盾はなかったからだ。もしかすると、と思わないでもない。
「つーかさ、しれっと言ったけど。あんた指名依頼受けたんだ」
「うん、ギルドから手紙が」
何もなければオリーブも同行したかもしれないが、セシリアの話に彼女の興味は移っていた。そしてライオネルにとっても興味深いことだった。
彼女がAランクに上がったのはつい先日のことだ。街によってはまだ情報が渡っていない筈である。
それに指名依頼とは信用から発生するものだ。実績を積んでいない彼女にはあまりにも早すぎる。
(どうにもきな臭いことばかりが起こるな、このパーティーは)
それとも、世界が変わり始めているのだろうか。
ならば危険にも——―
ライオネルは自らの進路を決めあぐねていた。
「ライオネルはどうするの?」
決して、心の内を読んだわけではないはずだ。
順は次の目的地を決め、エリーとアルバータは彼について行くと決めた。
そしてセシリアも決まっており、オリーブは彼女について行くのだ。
だからセシリアの言葉は至極普通の疑問だ。
だが彼の心は驚くほど動じてしまった。
だから精査途中だったのに、つい口に出してしまった。
「ついていって、いいか?」
「うん、もちろん」
彼女の朗らかな笑顔に、大きく驚いたのはオリーブだった。
「セッシー!? どうした一体! 色か! 色を知る年になってしまったの!?」
「なんで?」
騒がしいオリーブには悪いが、ライオネルからすれば、彼女は幼すぎるように思える。
背丈は立派だが、中身が伴っていないと感じるのだ。
(……セシリアはいくつなのだろうか?)
後で順に尋ねてみよう。まさかもう出発したわけではあるまい。
そして別れ際に会った彼は自分も知らないと言った。旅の途中、聞き出すようにと別れ際彼に任務を課せられた。
なのでライオネルもまた彼にアルバータの年齢を聞き出すように任務を課し、各々の目的地へと旅立った。
順は任務を失敗しそうなので、こちらも女性陣の年齢については忘れることにした。
*********
エイミという街がある。
突出したものがなく、商人や冒険者からすれば、中継点としか思われていない街だ。
今から一月ほど前、その街が一瞬だけ人々の話題に昇った。
勇者候補レスリー・エヴァン・ルートが療養地としてエイミを選んだ。
レスリーは世界一の魔導学園であるカムデン魔導学園を主席で卒業した偉大なる魔法使いだ。
彼は魔法に独自の理論を見出し、『ショック』に代表される有意性の高い魔法を多く生み出した。
将来を期待され、賢者に一番近い男だとも云われていた。
勇者候補となった後は、以前がそうであったように、最も期待された勇者候補となった。
だが彼は魔物とは関係のないところで、勇者から脱落することとなる。
不治の病へと犯されてしまったのだ。
エイミで休養中であった彼だが、不幸は重なるもので、そのエイミが猛毒により滅ぼされてしまった。
レスリーは避難が間に合わず、生死不明である。
「——これが私が把握しているエイミとレスリーの現状です」
アルバータがギルド(と教会)から取り寄せた資料に目を通しながら言った。
彼らは今エイミの守護結界の数歩手前で火を囲んでいた。
到着したのが夜だったし、天使からの続報がないのでキャンプをすることにしたのだ。
「うわあ、じゃあ結界に入ったら毒が充満しているんですね」
エリーは結界内をまんじりと見つめた。
暗闇の向こうには何が広がっているのだろう?
「あくまで滅びは魔物の仕業だって事になっているんだ?」
「はい。国際情勢は安定していますし、それが一番納得できますからね。一応両組織とも断定はしていませんが」
勇者候補が原因だとは思わなかったのだろう。
しかし猛毒だとは。なぜそのような事を。
(ま、夢に天使が来たらそれも分かるか)
「ところでやっぱり、ジュンさん以外は入れないんですよね?」
「解毒も防毒方法も分かりませんからね。結界に阻まれることしか分かっていませんから、入るべきではないでしょう」
それは勇者候補も例外ではないはずですが、とアルバータは順を見つけた。
勇者候補は不死身ではあるが、毒が効かないわけではない。
結界に足を踏み入れ、その場で倒れてしまう可能性すらある。その後結界外に出ても、毒が治らなければ……。
「その辺りは天使様に期待かな。守護結界で防げることは分かっているんだし」
「むう。天使様を疑いたくはないですが……」
「今夜本当に来てくれるんですかね?」
アルバータとエリーは猜疑的だった。順も信用していた訳ではないが、何、今日来なければ帰るだけだと気楽に構えることにした。
そして順が眠りに落ちた後、天使が約束通りに現れた。
景色は前回と同様の白紙で、順も変わらず漂っていた。
「エイミについての情報は仕入れたようですね」
エルファイルはどこで知ったのか、順が持つ情報について言い当てた。
「人間の持つ情報だけどね。大方間違いはなさそうかな」
「精度が良いとは言えません。原因が大きく異なります」
「勇者候補が生み出しているんだったか。どんな理由なんだろう?」
「作為的に生み出されたのは確かです。しかし理由ですか。悪意の有無は、今更どうでも良いでしょう?」
「そうかな……」
重要だとは思うが、この相手は知らないと言いたくないのだろう。プライド高そうだし。
話を続ける。
「毒対策はできていると思っても?」
「毒を弾く結界を用意します。1人用ですので、仲間を街に引き入れないように」
「分かった。それで俺は具体的にどうすれば良いんだ? いや、毒を何とかするというのは理解したけど」
天使はこともなげに回答した。
「あなたはレスリーに触れるだけでいい。後は私が憑いた天使を引き離します。
それと、毒についてはどちらでも構いません。術者を殺せば毒の生成が止まり浄化されますが」
「それは————」
天使は毒を止める必要はないと言った。
だから、毒を止めるかどうかは、レスリーを殺すかどうかは、俺が決めろと言うのだ。
言葉が出てこない。その事実に思った以上の衝撃を受けた。
人を直接殺したことはないが、殺す気で攻撃したことは一度や二度ではない。今更ではある。
しかしレスリーという男は、調べれば調べるほど善性しか見えてこないのだ。
それを殺すというのは、抵抗がある。
「我々は人の営みに過度には干渉致しません。故にこれから言う事は、あくまで一般論でしかありません」
天使はそう前置きして言った。
「あれは街1つ滅ぼしました。殺した人間は百を超え、生き残った者も家を奪われ、過酷な生を強いられています。
それだけで死罪となるには十分ですが、己が命のために天使を取込み、不義を働き続けています。
あれは最早人間とは言えないでしょう」
動機は分からない。
しかし、討伐には十分な行いだと天使は語る。
「……そうだな。街は解放しないといけない」
「我々の望みは"天使"をですが、その認識で問題ないでしょう」
体が浮上する。
これからは現実世界での戦いが始まるのだ。
「既に他の勇者候補が街に入っています。千年の真実を知りたいのなら、急ぐことですね」




