咄嗟の判断
腐葉土の積もった地面は足を降ろせばたやすく沈み、時には木の根に転びかけた。
しかも昼間だというのに薄暗く、見通しの悪さが行進速度を更に下げていた。
人の手の入っていない山というのは、何という強敵なのだろうか。
しかし幸いと言うべきか、魔物に始まる危険生物は回避できていた。
「きゅ、休憩。休憩にしましょう」
息も絶え絶えにオリーブが言った。
振りかえると、思った以上に後ろに居た。緑色のローブが汗を吸い、濃緑へと変色している。
魔法使いらしく、大きな杖でも持っていれば少しは楽だっただろうに。彼女のプライドは登山用の杖すら許さない。
「そう、だな。少し休もう」
夜になるまでに越えたかったが、このペースではどちらにせよ無理だ。
「セシリア、休憩にしよう」
「聞こえてたよ」
よっこいしょと、隆起した木の根に腰かけ言った。
セシリアは汗1つかいていない。体格、魔力量は最も劣るのに、身体能力は一番上だ。魔力強化はクラスや武器によって倍率が変わるというが、かなりえぐい数値なのではないだろうか。
「はああ。あとどんくらいなのよ」
幹に背を預け、手をうちわ替わりにしたオリーブが嘆いた。
地図を広げる。距離は測っていたし、コンパスと睨めっこしながら歩いていたので、間違えてはいない、はず。
「このペースだと、明日の昼かなあ」
「はあ!? 嘘でしょ!?」
こんなこともあろうかと、寝泊り用の道具は持ってきてある。見張りについての話し合いは、彼女も参加していた筈だが。
「でもあれだな。結構斜面が急だし、早めに寝れそうなとこ探さなきゃいけないか」
「はぁぁあ。こんなことなら来なきゃよかった」
「そんなこと言うなよな」
他愛もない話で休憩時間を終え、再び立ち上がった。
「んじゃ、そろそろ行くか」
「はあ。しんど」
「近くに魔物の気配はないよ」
「そっか、ありがとうセシリア。それなら直進できそうだな」
改めて息を整える。
多くの魔物は知能も低く、こちらを五感でしか捉えられない。
『多く』という以上は例外があり、魔力を探知する魔物も居る。
だから魔力を抑える必要があるのだが、これが難しい。呼吸を浅くし、命のともし火を握り潰すようなイメージ。当然その間も歩き続けなければならない。
「……」
2人はそれをこなしながら、逆に探知までしている。魔力を消すと、一切の魔力を感じられなくなる。よって魔法は使えない。一体全体どういう事だろう。
(無意識で発動できれば……?)
一応オートで発動しているらしい魔力強化は問題ないのだから、その辺りに秘訣があるのだろうか。
「あ、雨降るかも」
オリーブが呟いた。
「え、まじで? セシリア?」
「えっと、分かんないよ」
「セシリアでも無理か……」
「お前あたしのこと信用してないな?」
空を見る。葉の隙間から覗く空には、確かに灰色の雲が掛かっていた。
「こりゃあやべえな」
「お・ま・えはぁ……!」
「なんだオリーブその手はやへぇろ」
伸びた頬にポツリと水滴が落ちた。
「これ、まずいかもね。魔力雨だ」
セシリアが呟いた。
焦りを含んだその言葉は、雨以上に俺の肝を冷やした。
*********
――魔力雨。魔力を多量に含んだ雨。
それが何を意味しているかというと、魔力探知が機能しなくなると言う事だ。あっつい蒸気の中では、赤外線センサでは人体を識別できないのと同じだ。
しかも、魔力濃度の高い環境において魔物は活性化する。
「完全に想定外だけど、『魔力雨』はどう対処するのがベストなんだ?」
マントを頭からかぶり雨を避ける。日光を遮っていた木々は、ある程度なら雨も防いでくれる。びしょ濡れだけは避けられそうではあった。
「家から出ない」
「家に居ない場合は?」
「急いで家に帰る」
「ホームレスに厳しい世界だな……」
セシリアの回答はシンプルで、現状では取れそうもない選択肢だった。
「対策はそれしかないってぐらいの現象だからね。あんた日頃の行いが良くないんじゃない?」
「勇者だぞ、良いに決まってる」
「候補だろうが」
それにしてもどうするか。
「オリーブ。音での探知は出来るのか?」
「やってる。でもあまり遠くは無理ね。魔法が飛ばしにくいったら」
「不意打ちは避けられそう、かな」
とはいえ、この場に留まり続けるのも嬉しくない。体を休める場所が欲しい。雨風を防げる横穴でもあれば良いが。
「魔物の住処はどうかな?」
セシリアが言った。何事かと思ったが、深く考える。
確かに、条件を満たす。横穴を自力で見つけるよりも、魔物を探すほうが楽かもしれない。
「……ちょっと、リスク高すぎない?」
「そう、だな。弱い魔物を見つけても、戦闘で強い奴まで呼んでしまうかもしれない」
「大丈夫だよ。わたし強いから」
「まあ」
この世界である程度暮らして、各々のレベルは把握できた。
冒険者ギルドでは強さをランクとして区分しており、Bランクの冒険者よりもセシリアは強かった。最高ランクの強さだと理解したし、オリーブは戦闘経験こそないに等しいが、上級魔法を気楽に乱発出来る。これってかなり凄いのだ。現に俺は中級魔法の発動すらできていない。
この世界での脅威は、彼女らにとっても脅威となるわけでもない。たとえ万が一があっても、勇者候補がカバー出来る。
「どっちにしろさ、動かなきゃ話になんないでしょ。見つけてから考えれば?」
「……確かに。計画通り、魔物を避けつつ進んで、泊まれそうなとこがあったら、またそこで考えよう」
雨が止んだらいいな、と思いつつ。最悪を予感しながら歩を進めた。
*********
雨は降り止むどころか、勢いをさらに増した。
バケツをひっくり返したような雨。木々の守りを容易く貫通する水は、俺の下着をぐっしょりさせるには十分な量だった。
「前から小型の魔物。後ろはさっき避けたのがまだうろついてる」
「右は崖で左は急斜面だったな。どれがマシだ?」
「前に行こうよ。小さいなら瞬殺できる」
「崖は小さいけど下の様子は分からない。急斜面もまずいね。雨が強すぎるって」
「ううむ。可能な限り崖に近づいて進もう」
「倒せるのに!」
雨が降ってから、セシリアは随分と好戦的になった。魔力濃度で変わるのは魔物だけではない。人間だって個人差はあるが影響を受けるのだそうだ。
セシリアはもろにそれ。彼女の戦士としての判断を仰げないのは正直かなり痛い。
今にも暴れだしそうなセシリアをなだめ、崖に近づく。
気を付けなければ、見落としてしまいそうな崖だ。
覗き込む。
「下はどう? 降りれそう?」
「……なんか沼になってるんだけど」
「ああん?」
何らかのガスをぼこぼこ吐き出す、泥が広がっていた。
オリーブもずいと顔をのぞかせた。
「明らかにやべえわ、あれ」
「やっぱり? ところで魔物は?」
「……あ、やべ」
オリーブが呟いたのと同時、いや言う前か。セシリアが水しぶきをあげ駆けだした。
犬のような遠吠えが山に響いた。
「これ、まずいかな」
「泥沼の予感がするわね」
足元のとはまた別に。
「とりあえずセシリア回収しよう。今のあいつは何時にも増して何するか分からん」
「回収、必要?」
「必要でしょ」
急いでセシリアの後を追う。
足元はぬかるんでいて、走るのも一苦労だった。
「あばあ!」
背後から悲鳴と、水が跳ねる音が響いた。
何事かと振りかえる。オリーブが地面にダイブしていた。
「ちょ、大丈夫!?」
「あたしは置いて先に行けぇ~」
「了解!」
こけたオリーブを置いて先へ進む。
「セシリア! ……いねえ」
茶色の体毛に鮮血を塗りたくった、狼の死体があるだけだった。
「ひぃ、ふぅ、……4体か」
死体は全部で4。それが道しるべのように続いていた。
(オリーブ待ってたら、見失うな)
気は進まないが、行くしかないだろう。
雨音に獣の悲鳴が混じる。湿った雨の匂いが、錆びた鉄のような血の匂いに変わり始めた。
1体や2体ではない。どれだけの魔物と戦っているのだろう。
山頂方面から何かが崩れ落ちてくる。
慌てて木を盾にする。大きく揺れ、水滴が一斉に落ちる。
丸太だ。どのような怪力か。引きちぎったようである。
「上か……!」
斜面を駆けのぼる。
木々は根元から吹き飛び、地面は大きく抉れ、その中には血が池のように溜まっていた。
登るにつれ、戦場跡が増え続ける。
3mはあろう巨人の死体(肩口から抉られたような斬撃を喰らっている)を越えると、遂に彼女が姿を現した。
「あははははは!」
セシリアは笑っていた。楽しそうに、腹の底から。オリーブの変顔を見た時、あんな風に表情を崩していたと思う。魔物がコントでもしているのだろうか。そんな訳ないか。
一体どこから湧いてくるのか、魔物は次々とセシリアに襲い掛かる。
その速度、その暴威、その数。なるほど俺では足止めにもならない。
「セシリア!」
近づくことは不可能。でも叫ぶのもアウトだと気づいた。いくらかの魔物がこちらを向いた。
「ウインド!」
咄嗟に風の魔法を放つ。しかし可能な限り威力を高めた風の大砲でさえ、一体吹き飛ばしただけだ。コウモリのような魔物が腕に噛みつき、サルのような魔物がコウモリごと腕を切り落とした。
「―――――っ!」
痛みに言葉が出ない。思考も一瞬止まる。
岩のような魔物が側面から突進する。
――メキ、と。肋骨にめり込む。
もはや成すが儘に地面に叩きつけられた。
「――――――」
声が出ない。魔法が唱えられない。腹を貫かれた時はこんなに痛くなかったのに。
岩のような魔物は表皮を灰から赤へと変えていき――打ち上げ花火のように上空で爆破した。
「大丈夫?」
いつの間にか目の前にいた白髪の少女、セシリアが言った。
彼女が吹き飛ばしたのだ。ビックリした。自ら打ち上る面白魔物ではなかったか。
体が持ち上げられた。
そのままセシリアに抱えられその場を後にする。自分で走るよりも遥かに早い。
「腕、止血したほうが良いよ」
切断された傷口からは冗談みたいに血が噴き出している。そうだ、こんな時こそ糸の魔法だ。
「ス、スト、……ゲェ、ガッ!」
「無理か。でも、右の肺潰れてるし、今更だね」
セシリアが振りかえる。背後から迫っていたらしい魔物を両断した。
「ふっ、はっ」
セシリアが息を吐き、肩を揺らした。
その意味を理解できなかった。いや一瞬無意識に理解を拒んだのだ。だから次の瞬間にはちゃんと考えられた。
(まさか、疲労しているのか。その額の水滴は、雨ではなく汗なのか?)
「セシ……俺……置ぃて……」
「もう少し待って」
この瞬間にも魔物が迫る。せめて、俺がいなければ。
走る速度は見るからに落ち、魔物も一撃で倒せなくなってきた。
これでは共倒れだ。口を開くと、血があふれ出した。頭がもう上がらない。俺に何が出来るだろう。
「じゃあ、またね」
「――――――え?」
気が付くと、空を飛んでいた。体が宙で回り、大地を向く。
地面は見えなかった。あったのは激流。
頭から落ちた俺は、水の冷たさを感じるより前に気絶した。




