2. 茨の道の入り口
アダムの林檎のアジトにて。
ユエルビアでおきたウイルス型発生に伴う混乱をモニターからイヴァンは眺めていた。
「うわ……すごいね。えげつない」
あっさりとした口調でイサミは話しているが、その表情がややひきつっている。
ゲートを防衛していた兵士が一瞬で白色化し、突如破裂するという光景は、生理的な恐怖でしかない。
「イヴァン、アジト内の研究員が出した統計によると、各地域で4割の人間がすでに感染していると試算がでたって。で、うちの組織内でも数人感染してる、と」
リジュが現れると報告した。それは、ウイルス型の影響はアダムの林檎の人間であっても回避できないということであった。
「そうか、多少対抗策はあるが、完全ではない。こういうことが起こりうるからでこそ、独断専行を禁じていたのだが」
イヴァンが鋭い視線を脱獄したばかりのヤムナハへと向けると、ヤムナハは肩をすくめた。
「その点については申し訳なく思っているさ。だが、これで世界が協調するという流れは絶つことができるだろう?」
悪びれた様子のないヤムナハの言葉に、確かに、とミトベがうなずく。
「このまま世界で広まれば、各国の予備力を削ぎ落せる。そして、安易に協力体制を呼び掛けようものなら、どこも予備力がないから、結局資源の奪い合いに発展する」
「そうなる前にエイジス主導で協力を呼び掛けたりしたら一定の協調はできるのでは?」
リジュが問いかけると、ミトベはいや、と首を振った。
「そもそもその協調すら難しいだろうな。ノトス・サザンはともかくシーナはまだエイジスに対してわだかまりがあるし、古参の政治家が戻ったなら新参者であるエイジスが主導を握るのは快く思わないだろう。そして、先日のラジオ放送で民衆の怒りを逸らせたのはエイジスに対してだけで、どこの国もフェアリスに対するわだかまりが残っている。ウイルス型に対抗するなら、フェアリスのロストからの復活機構は不可欠だが、それもどうかというところだ」
「つまり、じいさんの言ってることが本当なら協調する心配もなく、勝手に自滅するし、仲間割れしてくれるってことなんだね?」
ミトベが説明しているところへ、女性のつまらなさそうな声が割り込む。カレンからじいさん呼ばわりされてミトベが不機嫌そうに眉根をあげるが、うなずいた。
「仲間という認識するところまでいかないだろうが、まあ、そういうことだ」
「つまらないの。再戦できる機会ができるかと思ったのに」
「カレン、楽観視しているが、ウイルス型はプローム乗りにとっては天敵だ。もし、感染してロストするようなことになったら、この数カ月の積み重ねも水の泡と化すぞ」
イヴァンが釘をさすと、わかってますよ、とカレンは軽く舌を出した。
「さて、どう出るか、だな……」
イヴァンが呟くと、ヤムナハとミトベが誰のことを言っているかを察して、苦い表情を浮かべる。
モニターの地図上で移動し続ける列島、ケートスへと彼らは視線を向けた。
ケートスのブリッジでは、イツキがアナンに通信し、会談を行っていた。
「……以上のことから、ウイルス型を対策するために早めに各国で情報を共有した方がいいと思って、会議の開催を提案をしましたが、いかがでしょうか?」
「ああ、是非もない。衛星通信から呼びかけてくれたおかげで、私やクーリア帝も対処できたが、ユエルビアでの人的被害と混乱を無くすためにも、早急に行ったほうがいいだろう」
イツキから、国際会議を行うことの提案にアナンは一も二もなく応じた。
「ありがとうございます。シーナとの国交もできましたが、エイジスは新参者ですから。その辺の会の持ち方などについてはアナンさんに任せた方がいいと思いまして」
「何を謙遜しているやら。と言いたいが、シーナには手強い古参の政治家も戻ったからな。私が呼びかけた方が無難なのは確かだろう」
自分の役割を理解して話すアナンに後ろでゲンが渋い表情を浮かべた。事実は事実なのだが、そこを悪びれもなく言えるあたりがアナンの性格と言える。
「では、会場設営などなどの取り決めは私の主導で進めさせてもらおう。また詳細が決まり次第連絡を入れる」
「よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ。そちらで世話になっている娘ともども、引き続きよろしく頼む。失礼」
そう言うと、アナンとの通信を終えた。
ふう、とイツキがため息をつくと、眉間の皺を揉んだ。
そこへ、ヤナギが現れる。
「お疲れですな」
「ええ。ウイルス型に関する統計と研究、対策のレポート作成とやることは山積みですから。…正直なところ、この形態に移行するまでに決着をつけたかったところなのですが」
苦い表情をイツキが浮かべる。
実は、イツキは前回の天空会議場での会議前に
レポートを作成した時からウイルス型が発生する可能性をあらかじめ予測していた。
発生した際には、既存の防衛策が通用せず全世界的に被害や混乱が起きるであろうことも。
本来であれば、この型が発生するまで猶予はあった。それがずれてしまったのは、ノトス共和院のケイオスの兵器活用のための実験の影響である。シーナ大帝国から攻め込まれていた時にも、ケイオス討伐に固執していたのは、ウイルス型発生を恐れていたためであった。
「この型に対処するには世界的な協力が不可欠です。救いなのは、ノトス・サザン合衆国とシーナ大帝国と国交を結ぶことができていたので、危険を呼びかけることができたのですが」
イツキが濁した言葉にヤナギも厳しい表情を浮かべる。
今回危険を呼びかけることのできなかった唯一の国、ユエルビア共和国で真っ先にウイルス型が広まり、被害が出てしまったことは痛手であった。
「…ガ…」
ヤナギが沈痛な表情でうつむくと、何かを呟く。
イツキがヤナギの様子を訝しく思っていると、そこへ、サコンがぬいぐるみ型で現れた。
「ヤナギ、ユエルビアの政府担当のフェアリスから相談を持ちかけられた。どうも、ガイナスの暴走が悪化していて、手に負えない、と」
そう言うと、サコンはユエルビアの現状について、ヤナギとイツキに報告した。
シーナの宣告を受けたあとの奴隷制度の廃止、一方で黎明の旅団アジトを強襲した領主の弁護、強制労働施設の放棄と別な施設の建造。様々な矛盾した政策に加えて、さらにウイルス型ケイオスへの対処のために武力を用いた強引な隔離政策をとったために、国民の反発を招いて、共和院官邸前は暴動寸前の様相となっているそうだ。
「このままでは、暴動どころかクーデターが起きて、国内で内戦が起きてしまう。そうとなったら、さらにウイルス型に対して対策するどころではなくなってしまう。ただでさえ、ユエルビアはフェアリスに対する恨みが根強いというのに……」
ヤナギがうなだれる。
エイジスのフェアリスに関しては徐々に受け入れられ、ノトス・サザンやシーナへケイオス討伐任務に行っても、敵対しないまでも行動を容認されていた。ただ、他のフェアリスへの風当たりは厳しい。そのことをヤナギは首長という立場から憂いていた。
「そう、ゆえにユエルビアのフェアリスたちから最も混乱の原因となっているガイナスを排斥できないか、と相談を受けた。首長として、彼奴に封印処理、もしくは永久的な凍結処理を施してほしい、と」
「そうか…」
最終宣告のように話すサコンに対して、ヤナギが仕方ないといいつつも、やるせない表情を浮かべた。
以前、ノトス担当のフェアリス、ルボルを封印したり、サリに精神束縛を施していたフェアリスを打ちのめす時には迷いがなかった。にもかかわらず、今ヤナギは迷っているようにイツキには見えた。
「ヤナギ?」
「散々、今まで悪行を積み重ねてきたのです。ここは引導を渡すべきなのでしょうな」
そう話すヤナギに対して、イツキはため息をつくと、一声かけた。
「ヤナギ、悩んでいることがあったら、話せって言ったはずですよ。もう、忘れたんですか?」
「しかし、奴は散々……」
「散々、悪行をしてきたからとはいえ、最終判断を下したくない何かがある、ということなんですよね? だからヤナギは迷っている。ならば、話してくれませんか。独りで抱え込んで取り返しのつかないことをする前に」
「あ…」
ヤナギが言葉に詰まる、それに対してイツキは微笑んだ。その様子を見て、サコンはうん、と促すようにヤナギにうなずきかける。
逡巡したのち、ふるふると身体を震わると、ヤナギは口を開いた。
「あやつは、くじ引きで首長に決められたわしを、支えてくれたのです。人類をこの惑星に転移するまで。きちんと相談して、意見をもとめ、意見を出して。他の者がお飾りのようにわしを扱う中で、あやつだけが、わしのことを首長として接してくれました。理想が高くて、熱くて。それゆえに、もどかしさがあったのは気付いておりました。ただ、わしは応えることができなんだ。そのために、あやつも一人で抱え込んで人を己が身に取り込んで暴走するに至ったのでする。今までは周りの取り巻きのガードが固くて、取り込んだ人間の感情に振り回されていると指摘することができませんでしたが、もしかしたら、それを告げればあるいは、と思うたのです」
ヤナギが目に涙を浮かべながら、身体を震わせる。ヤナギの話す内容を聞いて、イツキはヤナギと初めてあった頃に、仲間が悩んで求めていることに応えることができなかったと話していたことを思い出していた。
「わしはなぜあやつが人間にそこまで恨みをもつことになったのか、感情に振り回されることになったのかを知っているのです。あやつが人間を食らったのは、地球で交流のあった人間、友人の仇を討つために仇敵の精神体を食らったゆえになのです」
そう言うと、ヤナギは地球に転移する前のこと、ガイナスがどのような経緯でフェア・ヒュームとなったのかをイツキに説明した。
「ですが、もう遅い。奴がしてきたことはもう重すぎるのです。だから、せめてわしにできるのは……!」
震わせる半透明の身体にそっと手が触れられた。
「ありがとうございます、言ってくれて」
ヤナギが顔を上げると、イツキは瞳に力強い光を讃えていた。
「ただ、聞いてて思ったのですが、もしかしたら、これはチャンスになるのかもしれません」
「え?」
ヤナギが首を傾げると、イツキは憂いた表情を浮かべた。
「ただし、かなり茨の道です。ただ、だからでこそ耐えて歩める可能性があるのは彼だけです。……それでもヤナギは、彼を信じることができますか?」
イツキが問いかけると、ヤナギは逡巡したのち、ゆっくりとうなずいた。
「どうか…あやつにもう一度だけ……」
ふり絞るように、ヤナギが言うと、イツキも覚悟を決めてうなずき返した。
ユエルビアの首相官邸では混乱が起きていた。
感染が広まらないよう隔離政策をとったものの、結局一部の市民は逃げ出し、逃げた市民が殺されるという事態が起きている。残った市民についても不安から暴動がおき、治安が悪化していた。暴徒と化した市民を鎮圧するために発砲もし、被害も出ている。強硬的な政府の対応に対して非難が集中し、今も官邸の外では市民が抗議に来ていた。
「なぜだ、なぜだ、なぜだ!なぜ私のみがこんなみじめ目にあわなければならない。領土を奪い、人類に対して戦火を広げて国を富ませるはずが、なぜ」
頭を抱えるガイナス。
その前に双子の少女が現れ、哀れなものを見るような目でガイナスに視線を向ける。
「人を苦しめるといいつつ、自国の民衆と領土が侵されて嘆いている。矛盾してるのです」
「ええ、姉さん。激しく矛盾してるのです」
「人間と手を組み、フェアリスとしての誇りを捨てたものが何を言う!」
ガイナスがかみつかんばかりに双子に手を伸ばす、がその手は空を切る。
「あなたの存在そのものが、矛盾なのです、ガイナス。我等はそもそも肉体の欲から解き放たれるために精神体になった存在」
「ですが、あなたは人から肉体を奪って、野心に取り憑かれた。私たちの存在意義から大きくかけ離れた行動をしてるのです」
黒い猫が憐れむように言い、白い猫が蔑むようにつぶやく。
「黙れ、黙れ、黙れ!交渉し承認したにも関わらず、我らを欺いた人間から奪って何が悪い!」
叫ぶ首相に双子は無情に告げていく。
「あなたの恨む気持ちはわかります」
「けど、恨んで呪いをかければ穴は二つ」
「人々に争えと呪ったあなたが自ら争いにこだわっている」
「あなたは人を呪って人を奪ったつもりが、あなたは人に呪われて野心と闘争心を植え付けられてしまったのです」
救わなかった代償に、人に争えと戦争を強いるために人の精神を操作したフェアリス。しかし、それは人の感情を自ら取り入れることとなり、本来の目的も忘れ、戦争に興じる存在になってしまった。まさに互いに呪いあったがゆえに。
「そんな、そんな…!」
首を振り、自身に起こったことを否定するガイナスに双子のフェアリスは追い打ちをかける。
「そして、あなたはユエルビアのフェアリスの中でも、最も人の精神と融合してしまった」
「私たちにはあなたがもはや、人なのかフェアリスなのかわからないのです」
双子が憐れむように言うと、ガイナスの動きは止まった。
「馬鹿を言うな!私は…」
そこで鏡を見る。鏡に映るのは金髪を短く刈り上げた中年男性。だけども、床に映る影には虎の耳と尻尾が生えている。
フェア・ヒューム?いや、自分はまだ戻れる!
目を閉じて集中して、そして愕然とする。
精神を分離させようとしてもできない。
「馬鹿な…!」
なぜだ、なぜだ!
「もう一つ、あなたに質問なのです」
「あなたの名前は何ですか?」
「馬鹿を言うな!私は…」
ガイナス・マクラミンと続けようとした言葉を無理に押さえつけた。
それはこの人間の名だ。私は何だ?私の名は?
「ガイナス・マクラミン。その名も本来はその人間の名前ではありません」
「あなたがそう思って名乗っているうちにそれが現実で固定されてしまった」
さらにノインとノウェムは告げていく。
「あなたがたは、ある意味精神的な相性がよかった、よすぎてしまった」
「それゆえに、欲望のおもむくままに戦争、政治的抗争、闘争を続けた結果、あなたと取り込んだ人間の境界がなくなってしまったのです」
決定的な一言。
「そんなっ、そんな!俺を元に戻してくれ!」
その言葉にノインとノウェムは首を振った。
もはや、一人の人格となってしまったのだ。精神体として見ても一人としてしか見えない。
分離など不可能だ。
「そん…な…俺はどうしたら」
自分の存在意義がゆらぎ、ガイナスは途方に暮れる。
「自分で始めたことでしょう?ガイナス」
「もう、引き返せないのです。あなたは、すでに一つの勢力の長なのですから」
そう言うと、ノインとノウェムは一通の手紙をガイナスの机の上に出現させた。
「今回、来たのはこれを渡すためです」
「あなたに、もし長としての自覚があるのであれば、進退ぐらいは自分で決めてほしいのです」
そう言うと、ノインとノウェムは姿を消した。
「俺は…」
ガイナスは途方に暮れて呟く。伸ばした手も、答える者も誰もいない。
恨んで恨んで、憎しみをぶつけてきた。非道な行為すら躊躇はなかった。
けど、それは何のためだったのか。
取り込んだ精神に踊らされたからか。
自分の嗜虐心を満足させるためだったのか。
いつからそのようになってしまったのかすらわからなかった。
混ざりあってしまった人間としての記憶とフェアリスとしての記憶。
混ざることで強化しあってしまった野心と憎悪。
もはや、どちらがどちらのものだかわからない。
自分のせいではないと言い切ることはもはや不可能となっていた。
「俺は、何なのだ…?」
答えは…。
こんこん、とドアがノックされ、一人の政府高官が入ってきた。
「ガイナス首相!すいません、市民が官邸前に集まってきています!なんとかバリケードでおさえていますが、持ちそうにないです。早く避難を!」
「逃げる、か」
逃げる?どこにだ?どこにも自分の場所はない。
感染も広まり、安全な場所はない。もとより、人間であることもフェアリスであることもできなくなった身だ。
「首相?」
「今より演説を行う。少しでも混乱を鎮める」
ガイナスは立ち上がると言った。
本来であれば、今まで起こしたことを考えれば首相の座を降りるべきなのだろう。
しかし、自分が頂点に立つためにこの先導けるような者を排除し尽くしてしまった。だから、ここまで混乱を招いてしまった責任をとらねばならない。
そうでなければ、救けを求めたにも関わらず見放した者と一緒になってしまう。自分が最も嫌った一部の人類と。
『あなたに、もし長としての自覚があるのであれば、進退ぐらいは自分で決めてほしいのです』
ノウェムの冷たい言葉がよみがえる。ああ、そうだ。自分が何者かなどと途方に暮れている場合ではない。自分は一勢力の長、首相なのだ。以前、地球に転移する前に散々ヤナギをなじっているにも関わらず、ここで放棄することなどできるはずもなかった。
「しかし、それではどんな危険が起こるか」
「感染の危険がある以上、銃でロストしようが、ケイオスにやられようが、一緒だ。またよみがえる身であるならばせめて感情のはけ口になってやる」
凄味をおびた声でガイナスが言う。
その言葉に政府高官が震えるが、ハッとなると慌てて言った。
「お、おともします!」
ガイナスは混乱が広がる首相官邸前へと歩を進めていった。
その様子を、ガイナス達の見えない位置からヤナギは眺めていた。
「これで良かったのですか、ヤナギ? 姿を貸しただけなのですが」
ヤナギの側にノインが姿を現した。
「ああ、済まなかったのう。わしが言ったのでは反発する可能性がある、とアドバイスを受けたのでな」
ヤナギが寂しそうな顔で首相用の執務室を眺める。先ほどまでガイナスが話していたのは、ノイン、ノウェムではなくヤナギが作り出した幻影であった。
話した内容は口調をノイン、ノウェムに似せているものの、ヤナギの言葉である。
見下ろすと、官邸が出てきたガイナスが何事かを民衆に告げ、頭を下げるのが見えた。
ガイナスの方へと、民衆が石を投げる。だが、それでもガイナスは頭を下げたままだ。
「これからがたいへん、なのです」
「ああ。だがこれもあやつが選んだ道だ」
そう言うと、ヤナギは石を投げられ続けるガイナスを見つめた。
「あとは、イツキ殿次第だ…」
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