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「いい呑みっぷり。今晩は楽しく過ごしましょう」
女がヒメジにささやいた。それを聞いたヒメジはますます興奮して、完全に硬直してしまった。
「お前さん、どうした? ひょっとして緊張しているのか。こんないい女がいる前でだらしないな。もっとしゃきっとして、女にいいところ見せてやりなよ」
厳つい顔の男がヒメジをからかいながら言った。すると、女が、
「かわいそうよ。やめてあげて。この人うぶなのよ。きっと女の人と仲良くなった経験が少ない人なのよ」
助け船を出してきた。
「わかった。わかった。俺はお邪魔虫というわけだ。隣のテーブルで呑むからお二人で楽しみなよ。あ! ここのお代はこの女の取り持った代金としてお前さん持ちでいいだろう?」
厳つい顔の男が確認してきたので、ヒメジはこくりと頷いた。
「よし、きまり。じゃあな」
厳つい顔の男は隣のテーブルにうつった。残された二人は、しばらく黙ってビールを飲んでいたが、女の方から、
「ねえ、お名前は?」
尋ねてきた。
「ヒメジです」
「ヒメジさん。珍しい名前ね。フォース国の人にはいない名前だわ。ヒメジさんはこの国の人じゃないでしょう?」
「ええ、記憶をなくしていてどこの出身かは分かりませんが、フォース国ではありません」
「え! 記憶喪失なの。かわいそうに。そういえば記憶喪失の人の頭を叩くと記憶喪失が治ると聞いたことがあるわ。ねえ、思いっきり叩いてあげようか?」
「いいえ、叩かれると痛いので結構です」
「そう言わないで、愛の鞭だと思って我慢してよ」
「それは勘弁してください。それに女の人なら強くは叩けないでしょう」
そうヒメジが言ったときに、隣に座っていた厳つい顔の男が、
「じゃあ、俺が叩いてやる。この剣の鞘だったらかなり強く叩けるぞ」
声をかけてきた。
「やめてください。頭がつぶれますよ」
「大丈夫だって、手加減してやるからよ」
そういって厳つい顔の男は有無も言わせずに、隣のテーブルから座ったままヒメジの頭を鞘で叩いた。ヒメジはプロテクトリングをはめているので、痛くはないが、気絶のふりをしなければプロテクトリングのことを勘ぐられるのが嫌だったので、気絶をしたふりをしてテーブルに頭をつけた。
「あら、気絶しちゃったわ。つまんない。ねえ、起きて」
女はヒメジの肩を揺さぶったが、ヒメジはそのまま気絶のふりをして起きなかった。
「そんなんじゃ起きないぜ。起こすのならこうすればいいさ」
厳つい顔の男は立ち上がると、ヒメジの前にあるジョッキをヒメジの頭に持って行き、ジョッキをひっくり返してヒメジの頭にビールをかけた。ビールをかけられたヒメジは驚いて、
「冷たい。びっくりした」
言いながらテーブルにつけていた頭を起こした。
「あ、は、は、は。ほらね、目が覚めただろう」
厳つい顔の男は笑いながら自分の席に戻ってビールを呑み始めた。
「大丈夫? 頭痛くない?」
女はヒメジに尋ねた。ヒメジは、
「大丈夫です。少し頭が痛いですが」
痛くない頭を右手で触り演技をしながら答えた。
「ねえ、少しは記憶が戻ったかしら」
「それが、全然戻らないです」
「あら、そうなの。それは残念ね。でも、そんなこともういいわ。私といいことしましょう」
「いいことって何ですか?」
「もう、しらばっくれて」
女はヒメジの左肩にもたれかかった。ヒメジの左肩に女の重さが次第に伝わってくる。そして女の柔らかい体がヒメジの左腕にくっついてくる。ヒメジは、女性の体がこんなにも柔らかくてしなやかなのをはじめて感じた。そして、女が両手でヒメジの左腕をつかんで少し引っ張った。その時である、左肩から左手に電気が走ったかと思うと、左肩から左腕の中を雷が通り過ぎるような痛みが何度も何度も次第に大きくヒメジに襲いかかってきた。
「いたたたたた」
ヒメジは泣きそうな声を上げた。女は驚いてヒメジから離れて、ヒメジの顔を見た。
「どうしたの」
「ご、五十肩です。痛い~」
「大丈夫?」
女はヒメジに尋ねたが、笑いを噴き出しそうな顔をしていた。
「大丈夫じゃない。まだ痛い」
「あはははは、情けないわね。あはははは」
女は笑い始めた。ヒメジは右手で左肩を押さえていると、次第に痛みが取れてきた。
「そんなに面白いですか?」
「ごめんなさいね。ヒメジさんの引きつった顔が滑稽で思わず笑っちゃいました」
「本当に痛かったのでそんな顔になってしまったのです」
「はあ。面白かった。でも、気持ちがだんだん冷めてきちゃったわ」
「それどういうことですか?」
「さっきまではヒメジさんにときめいていたわよ、でも、今はねえ」
「正直に教えてください」
「言ってもいいの?」
「いいですよ」
「五十肩だなんてださ~。その肩であんなことやこんなこと出来ないでしょう。今日はおあずけよ。私、帰るわ」
女はそう言うと、
「ちょっと待ってください」
ヒメジが止める言葉に耳を傾けず、席を立って店の外に出て行ってしまった。
「残念だったな。五十肩じゃ仕方ないか」
厳つい顔の男が声をかけてきた。
「ええ、残念です。この年ではじめての経験が出来ると思って楽しみにしていたのに」
「まあ、また機会があるさ。それじゃ俺は帰るぜ。ごちそうさまでした」
厳つい顔の男は店の外に出て行った。ヒメジは一人残されて、放心状態になったが、
「これでいいのだよ。私にはまだ早かっただけだ。きっとこれから素晴らしい女性が現れて、幸せな結婚が出来るぞ」
そうつぶやいて店員に食事代を払おうと懐の巾着袋を取りだした。
「あれ、お金がない。すっからかんだ。全部市場で使っちゃたのかな」
巾着袋を逆さまにして貨幣を出そうと試みたが、出てきたのはヒメジのため息だけであった。
「はあ。何も出ない。高額貨幣を使うしかないなあ」
ヒメジは巾着袋の中にアイテムボックスを出現させて、そこから金貨や銀貨が入っている巾着袋を取りだし、銀貨一枚を店員に払った。店員からおつりをもらって、それを巾着袋に入れたヒメジは、巾着袋を持ったまま再びいすに座って放心状態になった。
「確かに、懐に入っていた巾着袋には銀貨一枚と大銅貨がたくさん入っていたはずだったのになあ~。不思議だな。今日は女に振られるわ、お金がなくなるわ、散々な日だな」
しばらくいすに座っていたが、いつまでも食堂にいても仕方が無いと思ったヒメジはゆっくりと重い体を起こして巾着袋を懐に入れ千鳥足で自分の部屋に戻った。扉を開けるとヒメジはすぐにベッドに倒れ込んだ。
「くそ~。五十肩でなければ、今頃は・・・。くそ~、悔しい」
ヒメジは心の底から残念がり、愚痴を深夜まで言っていた。
宿屋の外で女が立っている。厳つい顔の男が店から出て、女に声をかけた。
「上手くいったか?」
「ええ、あのカモ結構持っていたわよ。全部で銀貨三枚程度あったわ」
「そりゃ結構なもうけだな。じゃあ、割り勘な」
「そうね。それでは半分の銀貨一枚と大銅貨五枚」
厳つい顔の男は女から金を受け取った。
「それにしても、いつすり取ったのだ? 全然気がつかなかったぞ」
厳つい顔の男が女に尋ねると、
「男の左肩にもたれたときに、懐から拝借したのよ。もちろん中身をとった後、巾着だけは再び懐に戻したけれどね。五十肩で痛いと言われたときは、ばれたのかと思ってびっくりしたわ」
「ああ、あの時か。それにしても、あのカモ、五十肩だって、面白かったな」
「ええ、五十肩で女に振られたのですから、今頃は相当落ち込んでいるでしょう」
厳つい顔の男は笑みをこぼしながら、
「そうだな。でも最初から振るつもりだったのだろう」
女に尋ねた。
「ええ、あんな年寄りより若くてイケメン方がいいですもの」
「そうだろうな。ところで、明日もするのなら手伝うぜ」
「頼むわ。明日も年配の男性をお願いね」
「ああ、任せておけ」
女と厳つい顔の男は夜道を歩きながらどこかへ立ち去っていった。




