四十話
「ミューラ!」
「大丈夫よ!」
直撃。
に見えた。
しかし吹き飛びながら体勢を整えたミューラは、軽やかに着地した。外傷もなく、特に痛みを我慢している様子もない。
どうやら威力は結界で完全に相殺させることができたようだ。
吹き飛んだのではなく、自分から後ろに跳んだのだろう。
(……距離が一番近かったのは私。でも、ミューラを狙った)
考えられるのは、自分を傷つけた者を執拗に狙う、ということか。
実際、ダメージを与えたのは今のところミューラの剣だけだ。
風による視覚の妨害、氷漬けによる動きの阻害は、ダメージが無かったので攻撃とはカウントされなかったのだろう。
ならば、害意の高い攻撃を。
凛は次の攻撃で痛手を与え、次の次でとどめという流れを組むことにした。
レミーアとアイコンタクト。同様の考えであったようで、二人で頷く。
「当たらなければ意味がないもんね……」
相手がどれだけ速く、どれだけ身のこなしが優れるか。
相手の回避能力はどの程度なのか。
また、自分たちの攻撃の命中精度はどうなのか。
それらに確信が持てるまでは、なるだけ温存する必要があった。
まだまだ、数発撃ったら魔力切れでダウンが免れない状態なのだ。
回避は空中に跳ばないように気をつけつつ、一瞬熊の意識がミューラに強く傾いたのを見逃さずに認識することができた。
凛とレミーアは示し合わせたように大きく距離を取る。
このフロアの広さという恩恵をじゅうぶんに生かすために。
位置関係はミューラと熊を頂点に、いびつな三角形を凛とレミーアで構築した形だ。
即座に攻撃準備。
『エアロスラスト』
レミーアが一拍速く風の魔術の準備を終えた。
後は撃つだけ、その一瞬の間。
続けて、凛。
『フリージン……』
グランス、と続けようとして、出来なかった。
何と、熊が凛の目前まで迫っていたからだ。
その巨体の向こうでは、ミューラが虚を突かれていた。まだ追撃すらできていない。
レミーアもまた、目を見開いている。
信じられない。
これだけのスピードを出せるとは完全に想定外だ。なんせ、彼我の距離は五〇メートル以上離れていたのだ。
このキメラの身体能力を考えれば、五〇メートル程度ならば一足飛びは可能だ。だが、ここまでの速度は出ないはず、だったのだ。
見れば、熊の左足は半分ちぎれており骨が見えている。
また後ろを向いた山羊の口もなかば吹き飛んでいる。
これらのことから、思い違いをしていたことに凛は気付く。
そう、この熊のキメラは殺意が高いのでも、痛みを与えてきた敵に対して執拗になるのでもない。
敵を殺すためには、どこまでも狡猾になれる。
その副次的効果として、殺意が高く、執拗に見えたのだと。行動の全てが、敵を謀るための布石。
一人を倒せれば、戦いが有利になると考えたのか。その考えは正しい。三人のうち誰か一人でも脱落すれば、戦闘は非常に厳しいものになる。
レミーアの方が凛よりも熊に近かったのだが、だからこそより遠い凛を狙ったのだろう。遠ければ大丈夫、という点を突くために。
太一は言っていた。特殊能力も身体能力も脅威だったが、何より厄介だと感じたのは、敵わないと分かれば何の躊躇もなく自爆を敢行して道連れにしようとした、その性質だと。
本当ならば、こんなじっくり観察している余裕はないのだが、凛には時間が遅く流れているように感じていた。
そして、死が避けられそうにないこの状況。
打開策は、ひとつだけ思いついていた。
(精霊憑依……)
真横に迫る熊の爪を一瞥し、そう念じる。
『氷化……』
防御のための結界か、凛が氷に包まれた。
その声と同時に、熊のキメラは、鋭い爪を振り抜いた。
氷が舞い散る。
「リ――!」
「……!」
ミューラとレミーアが声を出す暇もない。
完全に仕留めたと思った熊が、口の端をにやりと上げた。
胴体を完全に微塵にしたと確信したかのように。
「やった!!」
「ざまあみろ!」
術師たちから声が上がる。
「大丈夫……っ!」
凛の声が洞窟内に響いた。
『Guga!?』
「……は?」
完全に仕留めたはずだった。
そう思っていた熊のキメラは、凛の声が聞こえたことに、驚きのあまり完全に硬直してしまった。
熊だけではない。術師たちも、中年の女も、ミューラもレミーアもだ。
粉砕されたはずの氷が再生し、凛の姿が現れる。
五体満足、身体中血が流れているが、両手足を失った様子もないし、胴体もくっついている。あの熊の一撃は、血だらけになる程度で済むレベルの攻撃ではなかったのに。
音が消える。誰も動かない。
その瞬間、フロアには時が止まったかのような光景が広がっていた。
間違いなく、死んだはずだったのだ。
そして、止まった時間を動かしたのは、ミューラだった。
『ドライブステーク!』
『Gugoaaaaaa!!』
地面から極太の金属の杭が生え、熊の胸元から後頭部を串刺しにした。
その勢いたるや、熊の足が完全に地面から離れ、巨体が地面から二メートルの位置にまで持ち上がるほど。
まだ息がある熊だが、即座にとどめの一撃がやってきた。
風の刃が、熊の首を刎ねたのだ。
そう、既に準備が終わっていた、レミーアの『エアロスラスト』である。
こちらはミューラのように感情に流されることなく、必要と思った威力に沿って放たれていた。
ゴトンと落ちる熊の首。
それが、戦闘終了の合図だった。
よって、レミーアにはまだ幾ばくかの余裕が残されている。
「リン!!」
そんな彼らを尻目に、ミューラが凛の元に駆け寄る。
氷を解除した凛がその場所に立っている。
次の瞬間、彼女の身体はぐらつき、倒れそうになった。
それをミューラが抱き留める。
「ねえ、大丈夫なの!?」
「大丈夫だよ……色々と反動はあるけど、平気……」
ぶっつけ本番の精霊憑依。
そして、やったことのない身体の『氷化』という技。
ずっと思いついていたことだった。
自分の身体を氷にしたら、攻撃を無事やり過ごせるのではないかと。
精霊憑依は使い手の発想次第だと言っていた。
ただ、あまりにもリスクが高すぎて試すこともできていなかった。
まさか、こんな形で実証することになるとは。
一方、抱き留めているミューラはそれどころではない。
何せ、凛は全身から出血していて血だらけなのだ。
言葉もかわせているし、確かにぬくもりはあるので、生きているのは間違いない。
しかし、とてもではないが、平気なようには見えなかった。
痛みに耐えかねたのか、ほどなく凛が気絶する。
気絶でよかったと、目の端に浮かぶ涙を拭うのも忘れ、ミューラは凛の負担にならないよう、その存在を確かめるように抱きしめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ばかな……」
「こんな、ことが……」
熊のキメラが倒された。
ありえないことだった。
満を持して投入した最終兵器だったのだ。
これで敵を倒し、一矢報いるはずが。
しかし、三人のうち一人は戦闘不能、もう一人は倒れた少女を介抱している。
今はチャンスなのではないか。
自分たちにはもはや破滅しか残されていない。
だが、ただ破滅してやるつもりはない。
共に行く人数は、多い方がいいのだ。
「動くな」
術者たちの足下に、風の刃が撃ち込まれた。
その威力、その鋭さ。
キメラを相手にしていたときよりは数段落ちるが、それでも、彼ら彼女らにこの魔術の対処は不可能だ。彼らは確かに呪いという強力な力を操れる。しかしそれは、魔術のように即効性があるものではない。じわじわと時間をかけて対象に浸透させていくものだ。
「おとなしく従うのが賢明だぞ。捕えるのは、別に貴様らである必要は無いのだからな」
研究者たちは動けなかった。中年の女もだ。
その通りである。
この場所には来ていない者たちがまだ奥にいるのだ。
彼らは避難の準備だけはしているが、避難経路は塞がれている。
洞窟を降っていった先、海から船で逃げねばならない。
リヴァイアサンがいるのだ。海から逃げるなど不可能というものである。
そもそも避難経路も、一応というレベルで設けたに過ぎない。本来ならばここは人類未踏の地。人が来ること自体、まず考えなくても良さそうだからこそ、ここに拠点をつくることにしたのだから。
もはや状況は完全に詰んでいる。
彼らには言葉を発する権利すら与えられず、ただ寝かされた凛と介抱するミューラ、そして、見張っているレミーアをにらみつけることしかできない。
しばらくしてこの場所には騎士達が押し寄せて検挙を始めた。抵抗した者をためらいなく斬り捨てる騎士を見て抵抗を諦め、根こそぎ捕縛されるのだった。




