三十九話
「全て起こしなさい! 可及的速やかにあの三人を潰すのよ!」
恐らくはキメラを出してくるのだろう。
呪具らしき何かを握りしめ、祈るような状態になった術者たち。彼ら彼女らを止めもしなければ妨害もしない。かなり必死そうに祈っていることから、キメラに対する術は負荷が相当強いのだろう。
この島に来る前に、レミーアから言われていたこと。
キメラについて、制作者らを先に害するのは極力やめるように、と。
命令者がいないキメラは、よほど命令権まわりがきちんとしていないと暴走する可能性がある。もはや敵味方無機物有機物の何もかもを関係無く、目の前にあるものを破壊し尽くす。加減を知らない暴走馬車のような状態らしい。
誰かの命令下にいるキメラと戦う方がまだやりやすいのだそうだ。
六名の術者だか研究者だかのうち、誰がどんな役目を負っているのかさっぱり分からない。
前述の理由もあいまって、まずは手を出さないことに決めた。
ただし、囚われる必要はないとも言われている。
レミーアの知識はあくまでも書物から得たもの。
キメラについて書かれている書物自体が希少で、かついずれも古いものだというのだ。
レミーアが危惧しているのは、記載されていた情報が古い、または間違っていること。
その論拠は、太一が相対した熊型のキメラの例があるからだ。その熊は近くに術者がおらず、完全なスタンドアローンだった。そのような事例については、書物のいずれにも記載がなかった。
そのことからも、例外が往々にして起こりえることが予想される。
(何事も鵜呑みは禁物、ってね)
その本が正しいと言うことを、もはや誰も担保しない、否、出来ない程度には過去のもの。
凛はミューラと目で会話する。
レミーアの情報は頭の片隅に入れつつも、自分で考え判断し行動。
それくらいのことができる経験値は、積んでいると自負するのだ。
「……来るぞ」
構える凛たちを小馬鹿にするような表情が見て取れる。
中年女も、部下たちもだ。
部下の女の一人など、にやにやとした笑みを隠しもしない。
これからここで起こると思っていることに胸を躍らせてさえいるようだ。
自動的に開かれた扉から続く通路。特に照明はないようで真っ暗だが、そこを進んでいる二体には関係無いのだろう。
やがて姿が見えた。
現われた二体のうち一体は、赤黒い毛皮の熊。
ただし当然ながらただの熊ではない。
後ろ足が二本で、凛がよく知る熊と変わらない。鋭い爪が生えた前腕は通常の位置に二本、その後ろから更に二本あり、四本とも金属の腕輪をはめているところが、まず凜が知る熊では無かった。腕輪からは短い棘がついた短い鎖が取り付けてある。更に背中からは同じく真っ赤な山羊が生えていた。おまけにその尻尾はサソリの尾に変化している。
太一が言っていたキメラだ。
凛たちの間に緊張が走る。
特徴が一致しており、同一個体に見える。
しかし太一は、同一の個体が出てくる可能性は限りなく低い、見てくれは同じでも、持っている能力が違うかも知れない、と言っていた。
その意見には完全に賛成だ。
なので、厄介な能力を多数持っている、という認識にとどめておくべきだろう。太一が戦ったキメラと同じ能力だけとは限らないのだから。
そしてもう一体。
こちらもまた、厄介な敵である。
そう、竜だ。
青い鱗の、四足歩行の竜。背中に翼は生えていないが、流線型で三本の指の間には水かきがついている。空は飛べないかわりに、水中と陸上が生活圏なのだろう。
まあ、海中をテリトリーにしているリヴァイアサンとティアマトの眷属なのだろうから、水中で動けること自体は不思議では無い。
相対して感じるのは、ツインヘッドドラゴンほどではないということ。
大きさ自体も路線バス程度であり、ツインヘッドドラゴンと比べれば雲泥の差だ。
竜としては最小クラスであり、実力も大きさ相応。が、かといってこのサイズでも人間が太刀打ちできるかと言われればNOだ。
人間などよりも一段階上の存在である竜。
いかに最小サイズであろうと、レッドオーガ程度では手も足も出させないくらいの強さを誇る。
知性を持つ竜であるが、目の前の竜の目は少々濁っている。
呪いの影響で思考力を奪われていると考えるのが妥当か。
リヴァイアサンとティアマトに呪いを通す中継基地のような役割であったというから、呪いがかなり浸透しているのだろう。
「貴様らは強い。認めましょう、我々の想定が甘かったことは」
けれど――と言いながら中年の女は顔をゆがませる。
それなりに整った顔をしているのだが、全能感に支配されているのか表情は醜く、正視にたえない。
「いくら貴様らでも、この二体相手ではどうにもできないはずよ」
確かに、そうかもしれない。
さすがにこの二頭を相手に戦い生き残れると確信は持てない。
勝つことなどなおさらだ。
それでも、緊張はしているが焦りはしていなかった。
緊張するなという方が無理だ。
焦っていない理由はすぐに分かる。
『グアアアアアアア!!』
来た。
大地を震わせるような轟音。
これほどの大音声を出せる存在は、この地には二頭しかいない。
そう、リヴァイアサンとティアマトである。
『ご苦労! 封呪印の陣から出したこと、褒めてつかわすのである!』
『さあ来なさい。暴れたいならば、我々が遊んでやろう!』
分厚いではきかない岩盤の向こうで発せられた声のはず。
だというのに、すぐそこにいるかのような威圧感。
これが海の王と、その伴侶か。
太一がいないことで相殺されない威圧感が、今はとても頼もしい。
竜は声がした方に顔を向けると、勢いよく突進して壁に激突。そのまま岩盤を掘り進んでいく。その勢いはすさまじいものがあり、あっという間にその背は穴の向こうに消えていってしまった。
「なっ!? どこへ行くの!? きちんと制御しなさいあなたたち!」
「ダメです、制御がまるで効きません!」
中年の女と術師たちが慌てふためいている。
『愚かな。たかが人間の術では、海王の声を眷属が無視できることなどないのである』
『長い長い時間をかけて根気よくやったからこそ、貴様らの呪いもかろうじて効いたのだからな。竜への呪いを成功させたことは褒めてやろう。誇るがいい、この私に呪いを通せたことは、世界に名を馳せるに足る偉業であったとな』
青い竜の気配はすっかり遠ざかっており、それ以降はもはや声もしない。
「……くっ」
強い威圧感には慣れていなかったのだろう。
足が震えてしまっていたのを恥をかかされたと思った女が、悔しげに呻く。
誓って言うが、リヴァイアサンとティアマトを前にして萎縮するのは何も恥ずかしいことでは無い。
あれはただの人間とは文字通り次元が違う存在。
精霊魔術師になってなお、どうあっても倒すどころか傷ひとつつけられないビジョンしか見えないのだから。
これが友人ならば助言もしただろうが、そんなことを親切に教えてやる必要性は感じない相手だ。
それに、まだ熊のキメラが残っている。
采配を、判断を、行動を――選択をひとつ間違えれば、命を落としてもまったく不思議ではない。
だからこそ、凛たちは今もなお一切警戒を解いていないのだから。
「……いなくなってしまったものは仕方ないわね。もはや私たちの再起は不可能。せめて、貴様らを道連れにでもしなければ気が済まないわ」
相手がリヴァイアサンとティアマトではどうしようもない。
割り切れてはいないようだが、まずは現状への対処を行うようにしたか。
「リン、ミューラ。来るぞ」
「はい」
「分かりました」
小声で改めて気を引き締め直す。
こういう細かいことが大事だ。
「やれ、殺してしまえ!」
『Grrrraaaa!!』
咆哮。
先ほどのリヴァイアサン、ティアマトとどうしても比べてしまうため迫力不足に感じるが、実際はそんなことはない。じゅうぶんに威圧感がある。
このあたり、凛たちも無自覚なまま感覚が麻痺しているのだ。
初手、熊のキメラ。
真っ赤な山羊が、炎を吐き出した。
放射状に広がる火炎放射。火力は高く、直撃を受ければ即死だろう。
「任せろ」
これを防ぐのはレミーア。
土の壁でも防げるし、氷で相殺も可能だ。
しかし土の壁では余熱は防げず、氷では水蒸気で視界が塞がれてしまう。
風のバリアで炎を散らし、空気の層で遮熱するのがいいだろうという判断だ。
炎攻撃が終わった瞬間、ミューラと凛が散開した。
山羊の頭は毒霧を吐いてきたと太一は言ったはずだ。
予測していたとおり、この熊のキメラは見た目だけ同一個体で中身は別物なのだ。
ただまあ、構造上、一部動きが似通うこともあるだろう。
例えばサソリの尾。
あれは毒針で刺すという動きが主になるのは間違いない。
甲殻に覆われているため、振り回す攻撃もあるかもしれないし、針先から毒を噴射してくるかもしれないが。
後は風の刃攻撃と、追い詰められての自爆攻撃か。
こちらの個体は風の刃攻撃は持っているだろうか。別の能力になっているかもしれない。
山羊の頭は炎を吐いてきたが、属性に統一性がなくても問題は無い。
「はっ!」
ミューラが精霊魔術で剣を生み出し、熊の背後を取ろうとしている。
もちろんそれに気付いている熊が振り返ろうとするが。
「やらせんよ」
直前で風の弾丸が熊の顔面付近で炸裂。目を閉じさせた。
精霊魔術だけあって威力の制御はできていないが、妨害自体は成功した。
弱すぎて意味を成さない、では、それこそ無意味なのだ。
妨害が失敗していれば、ミューラは危機的状況に陥っていたはずである。
それが想定される悪い状況だが、現在状況はこちら側にいい。
まずは一太刀。すれ違いざま、ミューラは熊の足の腱を狙って斬撃を放つ。
「……くっ」
確かに肉を切り裂いた感触が手に残る。
硬い。
分厚い筋肉が刃の通りを阻害する。
もちろん毛皮も頑丈だ。
流血させることには成功したが、きちんと攻撃の機会を見極めないと、ろくなダメージにならないことが分かった。
「追撃はさせない」
通り過ぎたミューラを目で追う熊。
その全身を、凛は氷漬けにした。その隙に、ミューラは大きく距離を取る。
こんなもの、壊されて当然というのが凛の気持ちだ。むしろ、どう対処するのかを見たい、という思いが強い。
案の定、氷が溶け始め、ヒビが入る。
そこそこに強度のある氷で閉じ込めたが、これではダメなのが分かったのも収穫だ。
ついに熊を覆った氷が砕け散る。
その全身からは炎が噴き出していた。
「なるほどな……全身に炎をまとうタイプか……この熊は殺意が高いな」
ここまでのやり取りでは、互いに決定打はもちろんゼロ。
太一が戦った熊のキメラは痛痒に強く、攻撃を受けた痛みを怒りと攻撃性に変換するような設定がされているのではないかと考えながら戦っていたようだ。
そういった性質があるという前提で判断するのであれば。
今回の熊は純粋に強い殺意を発揮するようにインプットされているのではないだろうか。
熊はやおら四本の手を地面につくと、ガフッと鳴く。
地面からランダムに噴き上がった。
見境の一切無い攻撃。
キメラの操縦者である術師や中年の女には当たってはいないものの、炎自体がかなり高温なため、余波だけでも暑そうである。
どこから炎が噴き出すか、予兆を把握することはできる。しかし細かい動きは身体がついていかないので回避は難易度が高い。
精霊魔術による身体強化でなければ回避は難しい。
ならば、防ぎきる。
三人はそれぞれ氷、土、風で結界を作り上げて攻撃を回避した。
地面から噴き上がった炎は無事やり過ごす。
結界を解除しようとしたミューラだが、咄嗟に思い直したようだった。
『Gugaaa!!』
熊の爪が迫っていたからだ。
岩の結界。その一部が強度を強化されたのが分かる。
結界が破壊され、ミューラの痩躯が吹き飛んだ。




