三十二話
ウンディーネは昨日のことを思い出す。
三人の様子を、上空から見守っているときのことだった。
ふと、背後によく知った、猛烈な威圧感を感じて振り返る。
そこにいたのは、ウンディーネであっても頭が上がらない存在。
闇の精霊シェイドだった。
「ウンディーネ、面白いことをしているね」
彼女はいつも通りの笑みを浮かべている。
ウンディーネはゆっくりと頭を下げる。
「はい。ワタクシの依頼を達成した報酬です」
「ああ、知っているとも」
彼女がしゃべるたびに、ぶわりと猛烈な波が押し寄せるようだ。
四大精霊の一柱といえども格の違いを感じざるを得ない。
さすがに、この世界の管理者といえるだろう。
まあ、その威圧感を凛たちには届かないようにはしているようだが。
「ふふふ……キミの目の付け所が面白い。彼女たちに精霊魔術師になるチャンスを与える、か」
「勝手なことをして申し訳ございません」
「私が怒らないことを知っているだろうに。彼女たちのレベルアップも、私にとってはこの上ないプラスになると、分かっているだろう?」
ウンディーネは微笑むのみだ。
シェイドは水の精霊を一瞥してから大地の方に顔を向け、目をかすかに細める。
「絶望的な差を目前にしてなお、彼に置いていかれまいと諦めなかったあの子に敬意を表して、ひとつ私からギフトを与えよう」
「ギフト、ですか?」
「そうだよ。もしもギフトを生かすことができれば、レア度でいえば召喚術師以上になるだろうね」
「それは、どのような……」
シェイドはふむ、とひとつ頷いた。
「そうだね。私も初の試みだからどうなるか分からないけれど、キミには説明しておいたほうがいいだろうね……」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「うーん……相性、ねぇ……」
悩みながら海岸線を歩くことしばし。
島の四分の一ほど歩いたところで、凛は立ち止まった。
白い砂浜だけの領域は既になりをひそめ、今はゴツゴツとした岩が散見されるようになった。
小さくはないが大きくもない、という島で、かつその先はカーブしているためかなり向こうまで見通すことができる。
途中で砂浜は途切れ、崖を登っていく形になる。近寄ってみないと実際の所は分からないが、魔術が使えなければ登れないのではなかろうか。
凛はここいらで立ち止まって考えてみることにした。
「近寄ってきてくれること? 近づいても離れないこと?」
魔力を放ってみると、そこかしこ、至る所に精霊がいることが分かる。
しかし、凛に近づいてくる者はいない。
声をかけてみても同様だ。
こちらから近づいてみた場合。
動きを示す精霊は少数だが、しばらくすると離れていってしまう。
動きを示さない精霊は凛に興味はないのか、近づいてもまったく変化がない。
声をかけてみた場合。
リアクションを返す精霊はその場でちらちらと動いたりする。
リアクションを返す気のない精霊は、まるっと無視される。
凛は、両者の差が出る理由は相性なのだろうとアタリをつけていた。
「完全に無視されちゃう精霊とは、相性が良くないってことなのかな?」
そこで、自分のセリフに弱冠落ち込む。
完全無視されていることをサラリと流して割り切れる人は少ないのではないかと凛は思うのだ。
まあ、今はそこを気にしていてもしょうがない。
務めて冷静に心を切り替える。
「反応を返してくれる精霊は、私と少しは相性がいいってことでいいのかな?」
どちらも疑問形。
確証を持っているわけではないのでそうなるのも仕方がないことだ。
歩きながらも考えていたことだが、相性がいい精霊というのは思った以上に少ないのかも知れない。
ではどうするか。
決まっている。
選択肢はひとつだ。
この島の隅々まで歩いていない。
まだまだ、出会っていない精霊はたくさんいるだろう。
思い立ったらすぐ行動だ。
凛はすっくと立ち上がり、まずはこの海岸を一周してみようと足を進めた。
崖を身体強化魔術と風を使って駆け上がり――
草原に分け入り――
森の中の枝を踏み折り――
この島に唯一そびえる岩山に登ってみた。
これはそこそこ標高があり、身体強化がなければかなり疲れることだろう。
その甲斐、と言って良いのかは微妙なところだが、ともあれ頂上からの見晴らしは最高だ。
ちょうど平面になっていて、五人ほど同時に立ってもじゅうぶん余裕があるくらいには広い。
下から見上げてみた時は、これだけ広いとは思わなかった。
「ここでは、どうかな?」
凛はその場で魔力を広げてみる。
魔力から受ける感触で、この場にも数名の精霊がいることが分かった。
どうしたものかと、凛は思わず腕を組んだ。
この場所以外にもまだ回っていないところはあるので決めつけるのは良くない。
しかし、ここいらで見つけておきたかった。
まだ余裕がある。
その余裕があるうちに一段落させたい。
まだ残っている余裕を食い潰すようなギリギリの状態は、焦りが大きくなってしまうから。
魔力を広げて居場所が分かった精霊ひとりひとりに近づき、声をかける。
反応がない。
微動だにしない。
精霊にガン無視されるのはこれまでもあった。
仕方のないことと割り切ろうとしているが、そんな風に割り切れるような図太さは持ち合わせていない。
地味にへこみながらもこらえつつ、根気よく声をかけていく。
地面に半分埋まっている精霊、だめ。
雑草にぶらさがっている精霊、だめ。
――――――――
――――
この山頂では、反応すらしてもらえないまま、空中にたたずんでいる精霊が最後の一人になった。
凹みながらも近づいていく。
これで反応されなければ、今日はもう拠点に帰ろうと、凛は考えていた。
あまりに無視され続けているので、今日はこれ以上傷口を広げたくなかったのだ。
凛は最後の精霊へのコンタクトを試みた。
精霊に向けてゆるりと、相手に余計なプレッシャーを与えないよう僅かに手を伸ばす。
その間、もちろん魔力をその精霊に向け続けている。
今回だけではなく、精霊に近づくときは常にそうしている。
太一のように精霊を目視できないのだから、見えているかのようにするには必須となる手順だ。
もともと期待していなかった。
下手な鉄砲数打ちゃ当たるではないが、近くにいる精霊その全てに挑戦している。
手を伸ばさなかった精霊が相性が良かった、ということが起きては、後悔してもしきれない。
それは劇的ともいえる変化だった。
心の準備が全くできていなかった。
何せこれまで手応えらしき手応えなど全くなかった。
「……っ!」
精霊が動き、軽く伸ばした手に触れたのだ。
「えっと……」
想像していなかった出来事が起きて、軽く思考がフリーズしてしまった。
再起動するまでに数秒を要した。
「もしかして、私と契約してくれるの……?」
恐る恐る、という形で精霊に問いかける凛。
これまでどの精霊にもそでにされ続けてきたことから、無自覚ながらずいぶんと自信を失っていたのだ。
精霊は相変わらず凛の手に触れたままだ。
凛からの声は届いているが、仮に精霊の方から声をかけてきていても聞こえない。
これが太一なら聞こえているのだろう。
自分だけで精霊とコミュニケーションできるということがどれだけすごいのか、改めて再確認。
ともあれ、凛は太一ではないので、コミュニケーションを取る方法を考えなければならない。
どうやったらできるか……簡単な二択ならすぐに思いついた。
「私と契約してもいいかも、と思ってくれてるなら右手のまま、そうじゃないのなら左手に触れてくれる?」
精霊は動かない。
聞こえているのならば、契約していい、と思ってくれていることになる。
ならば。
「私と相性良さそうだと感じてるから? そうなら今度は左手に、そうじゃないなら右手のままで」
精霊は左手に動いた。
凛は感極まってしまった。
正直挫折続きだった。
ひとつひとつは小さかったが、間断なく続いていたのだから仕方がない。
途中で一度でも、手応えだけでいいから得られていれば、ここまで感情が昂ぶることはなかった。
「ありがとう……良かったぁ……」
軽く涙ぐみながら、凛は思わず空を見上げた。
ウンディーネが用意した舞台。
ひとつめの課題のクリア。
可能性は確かに見えていた。
一方で、保証されていなかったのも確かだった。
ここまでうまくいかなかった。
これは、ウンディーネに合格がもらえるかどうか聞いてみるべきだろう。
「じゃあ、もし良かったら私と一緒に来てくれる?」
何となく、イエスノーの確認をしなくてもついてきてくれると、凛は根拠もなしにそう思った。
その考えは正解だったようで、精霊は歩き始めた凛に寄り添っている。
凛は反応を返してくれた精霊と共に山を下りていく。
その背中を、蒼髪の精霊が慈愛のこもった表情で見守っていた。