三十三話
「実にお見事です」
拠点に戻ろうと歩く凛の前に、ウンディーネが姿を現わす。
その開口一番がそれだった。
凛は驚かなかった。
相性のいい精霊を見つけられたのだ。
来るんじゃないかとは思っていた。
「これって、課題クリアでいいの?」
凛は手のひらを掲げると、ウンディーネが頷く。
「そうですね、無事課題クリアとなります」
凛には見えていないが、ウンディーネには見えているのだろう。
それよりも。
クリアだと言われ、凛は安堵の息が漏れた。
思わず、だった。
「後の二人はまだですが……この様子ですと、時間の問題でしょう」
「あっ、ミューラとレミーアさんも、いけそうなの?」
「ええ。誰も脱落者がでなかったのは良きことです」
「うん、本当に……」
自分が課題を超えることができたのはもちろんうれしかったが、凛とミューラもまた課題突破できそうなのも、うれしい知らせである。
「待っている間、コミュニケーションを取ってみては?」
「そうだね」
凛は拠点にて、自分を選んでくれた精霊と話をしながら、ミューラとレミーアを待つことにしたのだった。
ウンディーネは、いつの間にか消えていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
もうすぐ日が沈む。
どんな仕組みなのか、綺麗な夕焼けだ。
夜に備えて火を起こす必要があるので枯れ枝や落ち葉を集めてきた。
拾ってきたそれらを焚き火跡に用意して、小さな火の球を放り投げる。
ほどなくして火が燃えだした。後は適宜追加する薪代わりになるものを集めてくればいい。
火打ち石や、太一なら必要な着火の魔道具も不要なのは、クアッドマジシャンの利点だろう。
温かいものを飲んで一息ついていると、まずレミーアが、続いてミューラが戻ってきた。
「お帰りなさい。うまくいきましたか?」
「うむ。お前も無事出会えたようだな、リン」
二人とも、その顔に落胆は感じられない。
レミーアのポーカーフェイスを見抜けるほど凛の観察眼は優れてはいないが、師匠は普段から常に感情を隠しているわけではない。
うまくいかなければ普通に悩む様子を見せる。
そんなレミーアだが、今は晴れ晴れとしていた。
「はい、出会えました。ミューラは?」
「なんとか。最初は誰からもそっぽを向かれていたから、どうしようかとも思ったけれどね」
「そうだよね。私もだよ」
ミューラも安堵しているのが一目で分かる。
それほどまでに厳しいものだった。
と同時に、過去出現した精霊魔術師に畏敬の念を抱くほどに。
ここまでの時間は大してかかっていない。
当たり前の話で。
ウンディーネにこれだけお膳立てしてもらったのだ。うまくいかない方が珍しいだろう。
逆に成功させなければ、これだけ期待してくれたウンディーネに申し訳が立たないというものだ。
「誰一人欠けることなく、見つけられたようですね」
三人が目指す先を考えれば順風満帆と断言しても差し支えない。
とはいえここまで誰一人脱落者が出なかったことに、ウンディーネは安心していた。
「それでは、契約といきましょう。今回は私の力で見えるようにします」
そう言って、ウンディーネは右手を真横に払った。
すると、それぞれの前に精霊が姿を現わした。
凛の前には、手のひらサイズの水色の熱帯魚。
ミューラの前には、茶色に灰色の玉模様が入った皮をまとう、全長二メートルほどのへび。
レミーアの前には、全体の羽毛は黄緑色。腹側は白で、頭頂部から背中にかけて黒。尾羽は長く、風にゆらめいているハクセキレイのような鳥。
「やぁ、また会ったね」
「久しぶりね、エルフと人間のハーフさん?」
「あなた……」
「ほう……」
「……!」
ミューラとレミーアの前に現われたのは、海底神殿の試練で見届け役を務めた精霊だった。
土の精霊ミドガルズ。
風の精霊ブリージア。
両者とも、声をかわしたこともある精霊だった。
一方、凛だけは見覚えのない精霊である。
それが悪いわけではない。
断じて。
しかし、この違いにはどんな意味があるのか、気になってしまった。
すると。
「ふふふ。いけませんよ。そのような感情は伝わってしまいます」
「えっ?」
くるりと熱帯魚が宙を舞うと、濃藍の氷に包まれた。と思えばその氷は即座に砕け、中から現われたのは鳥の羽をもった少女。
氷の精霊アヴァランティナだった。
「ごめんなさい、驚かせてしまって。けれども、これは必要だと思ったのであえてさせていただきました」
「その役は別にオレでもブリージアでも良かったんだけどな」
「ワタシたちには、あなたたちの感情がよく伝わる。それを知って欲しかったのよ」
あっけにとられてしまう凛。ミューラも、レミーアも同様だった。
冷静沈着なレミーアも、精霊魔術師のことは知識でしか知らず、こうして肌で体感するのはもちろん初。つまり全てのことは初体験。驚くなという方が無理な話なのだ。
「ご注意くださいね。契約した精霊には、感情はかなり鮮明に伝わります。自身に不満を持っていると分かったら、去って行く精霊もいることを覚えておくといいでしょう」
そうなのか、知らなかった――
思わずこぼしたのはレミーア。
「それはそうでしょう」
ウンディーネが言う。
「精霊魔術師では精霊と言葉を交わせないのが普通です。過去契約を解除された精霊魔術師もおりましたが、その者も理由は知らなかったでしょうからね」
それを、契約前に実地で示したのだ。ある種の忠告である。
「というか……」
ミドガルズ、ブリージア、そしてアヴァランティナ。目の前に並ぶ顔ぶれに、ミューラがふと気付いた。
「……もしかして、ある種の出来レースだった……?」
そう思うのも無理はない状況だった。
相性のいい精霊を探すように言われていた。
実際に探してやっと見つけて、いざ姿を見せられたのは、以前出会ったことのある精霊。
「言われてみれば、そう思われるのも無理はありませんね。ですが、違いますよ」
海底神殿で試練を課すときには、精霊魔術師のことなど頭の片隅にもなかった。
課題のために乗り込んでくる三人にとって、波長が合ってそれなりに力のある精霊を用意しただけに過ぎなかった。コミュニケーションが円滑にできることで、試練に集中できるために。
試練が無事に終わり、その報酬を決める段になって凛から限界突破について問われた。
その時初めて精霊魔術師のことを考えたし、ならばアヴァランティナたちがいいのではないかと思った。改めて聞いてみれば、凛たち次第ではあるが構わない、と言う。
そもそも、ウンディーネが出した課題はかなり緩い。とはいえ誰でもクリアできるわけでもないのは、開始前に説明したとおり。
アヴァランティナ、ミドガルズ、ブリージアを筆頭に凛たちと相性が良かった精霊たちには、各々好き勝手に基準を設けて、それに達していないと思ったらなびかなくていいとウンディーネが宣言していた。
一番時間がかかったのは精霊を見つける課題だが、一番脱落が起きる可能性が高かったのは、仲良くなれる精霊のお眼鏡にかなうことだった。
実際、アヴァランティナらと出会う前にも相性の良い精霊とのコンタクトは取れていた。しかしそれぞれの基準に達しなかったのか、ことごとく袖にされていた。
「出来レースがどうとか、そんなレベルじゃなかったのね……」
思わず胸をなで下ろすミューラ。
出来レースであってくれてむしろ良かった、まである。
ミドガルズがいなければ、精霊魔術師への道が閉ざされていた可能性に気付かされた。
それはミューラだけでなく、凛もレミーアも同様である。
「精霊たちは、どのような基準を設けていたのだろうな?」
レミーアは腕を組んで首をかしげる。
袖にされたのは分かった。精霊それぞれが基準を設けていたことも分かった。
ただ何がダメだったのかが分からない。
「それはワタクシも関知していないのでなんとも。気まぐれな精霊であれば、その瞬間の気分で決めた者もいるでしょうね」
「そうか……」
なんともいえない回答だった。
気分で決められた、と言われてしまえば、何が良くて何が悪かったのか判断のしようがない。
そして、気分で決めたことも、ウンディーネは許容していたということだ。
人間のような姿をしている精霊もおり、まるで人間と話をしているかのようにコミュニケーションが取れる精霊。
しかしやはり、人間に精霊のことを理解するのは難しそうだ。存在の次元も価値観も、人間とはまるで違う。
それぞれの属性の頂点であるシルフィードやノーミード、ウンディーネがとっつきやすいから勘違いしがちだが、それは特別なのだろう。
「アヴァランティナもミドガルズもブリージアもそれぞれ基準を設けていて、それをクリアした故にここにいます。この子たちと契約を行いますか?」
凛は氷。
ミューラは土。
レミーアは風。
否やなどあろうはずがない。
契約してくれる精霊がいるだけ、ありがたいと思わなければ。
ウンディーネの話を聞いてからは特にそう思う。
「かしこまりました。特に特別な何かがあるわけではありません。魔力をかためて精霊に差し出してください。それを精霊が受け取れば、契約完了です」
三人は言われたとおりに魔力を練り上げてかため、凛はアヴァランティナに、ミューラはミドガルズに、レミーアはブリージアに差し出す。
それぞれの精霊が、魔力を受け取った。
特に何かが起きるわけではない。
ただ、変化はあった。
「つながりを、パスを感じますか? それが、契約が無事に済んだ証です」
目には見えない糸。
そう表現すればいいだろうか。
それが目の前のアヴァランティナに伸びているのが分かる。
見えないのに分かるというのもおかしな話だが、そうとしか言いようが無いのも事実だ。
「さて、もうあまり説明の必要はないと思っていますが、いかがですか?」
ウンディーネが言いたいことは分かる。
精霊魔術師の、魔術の使い方のことだろう。
精霊魔術師と普通の魔術師。違うのは精霊との契約の有無のみ。
「まずは試しです。ひとつ、魔術を使ってみるといいでしょう」
そのとおりだ。使ってみなければ何も分からない。
何が変わったのか。
どう変わったのか。
言われるがまま。
凛はおもむろに右手を前方の海に向け。
『フリージングランス』
いつものように、いつもお世話になっている魔術を放った。
氷柱の数は大体二〇〇本。
この弾幕はかなり避けづらく、使い勝手がかなりいい。
それゆえに頼りにしている技なのだが。
かなたに飛んで行く氷柱を見て、凛は目を丸くした。
自分で撃ったものだから分かる。一発一発が二回りほど太く、強度も弾速も桁が違う。
「これが、精霊魔術……」
凛は手のひらを見つめた。
何も変えていない。いつも通りに撃っただけだ。
しかしその威力はすさまじいものがあった。おそらく、スソラやグラミあたりであっても、命中すれば一撃で勝負は決まるだろう。受けることもできずに回避に専念して、失敗するところまで幻視できた。
「ふぅむ……すさまじいな。どれ」
レミーアは全力で『エアハンマー』を海面に向けて放つ。
風の塊を叩き付けるシンプルな魔術。
自分の能力はきちんと把握している。故に、シンプルな魔術というのは分かりやすい。
海面を押し上げた水柱は、放った『エアハンマー』の威力で発生するはずの水柱よりも数倍は大きく、レミーアの度肝を抜いた。
「むう……」
確かにすさまじい。素晴らしい。
だが。
何かに気付いた様子のレミーアに、ウンディーネはわずかに笑みを深める。
「ミューラ、お前も撃ってみろ」
「分かりました」
やはり分かりやすいものがいい。
ミューラは大地に手をつき、魔術を発動。ミューラの認識では、間に合わせ、使い捨て、である。武器を弾き飛ばされてしまったとき、相手の意表を突くときなどに主に使うもので、間違ってもメインウェポンにはできない。
感覚としては、帝国でカピーオ相手に作った剣と同じくらいのものを作ろうとした。
できあがったのは一振りのレイピアである。刺突剣故に斬る動作には向かず、きちんと扱わなければ折れてしまうもの。
……なのだが。
「これ……あたしの剣並に強度がある……?」
ミューラは思わず腰のミスリルの剣に触れた。
ここまでずっと相棒として共に死線をくぐり抜けてきた剣。
間違いなく業物といえる剣なのだが。
レイピアでこれでは、いつものロングソードを作成したら間違いなくミスリルソードを上回ってしまうだろう。
「いかがですか?」
ウンディーネが腕を横に伸ばすと、アヴァランティナたちが下がった。
いかがも何も、効果は劇的だった。
契約の有無。
差はただそれだけなのに、これほどまでに違うものなのか。
感動する凛。
難しい表情のレミーア。
愕然としているミューラ。
三者三様のリアクションだが、精霊魔術を使ったことに起因するのは言うまでも無い。
ちらりと、レミーアがウンディーネに目配せする。
視線を受けてウンディーネがひとつ頷いた。
「……リン、ミューラよ。気付いているか?」
「えっ?」
「何にです?」
自分たちの実力が明らかに上がった。
これほどの威力、効果は、これまででは望めなかった。
そのことに喜び驚いていた凛とミューラだが、レミーアの重たげな声に顔を見合わせた。
「気付いておらんか。まあ、いい」
意味深な言い回し。
その口ぶりからして、何か気付いたことがあるのは間違いない。
「精霊魔術師として行使する魔術、これは確かにすさまじいものがある。……だが、それゆえの課題ができた」
「課題、ですか?」
「そうだ。これまでの魔術を、手にしたコップからコップに水を注ぐとすれば、精霊魔術は両手で抱える大きさのバケツから、コップに水を注ぐようなものだ」
言われてみて、凛は『フリーズ』の威力をしぼって氷を作ってみる。イメージはちょうど、冷凍庫で大量生産されるブロック状の氷一個だ。
しかしできあがったのは、グレープフルーツ大の氷。
「……」
こんな簡単なことで失敗した。
いや、魔術そのものが失敗したわけではない。きちんと発動はしている。
しかし、制御に失敗した。
そんな凛の様子を見ていたミューラは頭を抱えてしまった。
凛の魔力制御能力をライバルとして認め、一目置いてさえいるミューラ。真横で見せつけられた失敗は、試さなくとも自分が失敗する未来がありありと見えた。
凛ができて自分ができない、と思ったことはない。
しかし凛ができないことでも自分ならできる、と思い上がったこともない。
「分かったか? 今のままでは大味な魔術しか使えぬ。きちんと練磨する必要があるな。無論、私も含めて、だ」
先日奇しくも、更なる繊細な魔力操作の必要性をレミーアに説かれたばかりだ。
いまだそれは達成できていないが、その訓練の継続が必須であることが判明した。
ともあれ。
「どうやら契約した精霊以外の魔術はこれまで通り使えるようだ。細かい調整が必要な時は、当座はこちらで凌ぐことになるか」
確かに精霊と契約したが、契約していない精霊が力を貸してはいけない、というルールはない。(?
「今後の方針が固まったようですね。それでは、リンさん」
ウンディーネが凛を見た。
「あなたにはひとつ伝言があります」
「伝言?」
誰からだろう? そう首をひねる凛は。
「私に伝言を託されたのは、闇の精霊シェイド様です」
「っ……!」
次の言葉を聞いて思わず息を呑んだ。
「聞かれますか?」
「……」
聞かない、という選択肢など、あるはずがない。
レミーア、ミューラも頷く。
「……もちろん、聞くよ」
「ふふ……では、こちらへ。あなた宛ですからね」
つまり、余人に聞かせて良い、とは言われていないということだ。
ふわりと移動するウンディーネについていく。
「リンに、伝言? いったい……」
残されたミューラは、凛とウンディーネの姿が見えなくなってからぽつりと呟いた。
「さぁな。心配する気持ちも分かるが、問題あるまい。ウンディーネはタイチの契約精霊だからな」
「確かに、リンの不利益になるようなことはなさそうですね」
「またぞろ私たちの常識が派手に崩れるような何かがあるのだろうよ」
「……もしかして、聞かない方が幸せかもしれませんか?」
「ふっ、かもしれんな。さあ、私たちもぼやっとしておられんぞ」
「使える、と使いこなせる、には大きな差がある、でしたね」
「その通りだ。いずれ針の穴に糸を通すような精度が必要な場面が来るだろう。その時に備えぬとな」
「はい、分かりました」
凛のことも気になるが、そこはそれ。
自分たちのおろそかにしていいわけでもない。
ひとまずそれは横に置いて、ミューラとレミーアは自分と向き合う時間だ。




