第三十七話 柔らかな手のひらと旅の始まり
緑が鬱蒼と生い茂る森の中を、漆黒のゴーレムはただひたすらに走る。
草葉をかき分け、スラスターは唸りをあげ、風を切る轟音が鳴り響く。
(——できるだけ遠くに逃げねーと、あいつの足なら、きっとすぐに追いついてくる)
この腕の中の少女を守らなければならない。
「……シマ。おい、ウラシマ、止まれ」
(ッッ!?)
急に頭上から名前を呼ばれ、ウラシマはその場で急制動をかける。
足の裏で地面を削り取って停止すると、ウラシマは頭上を見上げる。
「貴様、どこを走っているつもりなのだ? もうとっくに追っ手などいない」
見上げた頭上から降りてきたのは、一羽の鴉だ。
(あ、先輩。まだいたんだ)
「貴様はその娘を生かしたいのか、殺したいのかどっちなのだ?」
(え?)
鴉に促され、腕の中の少女に視線を向けると、腕の中の少女は目を回してぐったりとしている。
体の至る所に草や枝が引っかかっており、最初に会った時よりも衣服がボロボロになっている。
(やべぇ……やっちまった。逃げることに必死で全然見てなかった)
少女の状態を確認し、目に見えて狼狽えているウラシマに鴉は追い打ちをかける。
「それに、貴様は逃げているのではなかったのか? ぐるりと回って元の場所に戻ろうとしておったぞ。なぜ右へ右へと曲がっていくのだ」
(マジで? どおりで森を抜けられないと思った)
「そんなザマでは、ガラクタと呼ばれても否定できんぞ」
(……すんません)
ガックリと肩を落とすウラシマに、鴉は方針を提示する。
「ひとまずは、その娘が目覚めるのを待つといい。近くに水場があったゆえ、そこで休ませろ」
(……はい)
ウラシマは言われるがまま、鴉の後を追って歩く。
しばらく進むと、視界が開けてきて、小さな滝壺に着いた。
水場の近くに少女を寝かせてやると、またしても鴉が口を開く。
「わざわざそんな硬い岩場に寝かせなくてもよかろう、あちらの土の上に、草でも敷いてやれ」
(あ、はい。……さーせん)
なんだか元の世界の母親を思い出す。
ガサツな自分に何くれと文句をつける。
だが母の言うことは正しかったため、俺は母には逆らえなかった。
ウラシマは鴉の言う通り、土の上にせっせと草を敷いてた。
そのついでに、その辺にあった枝と葉で日除けを作ってみたが、無骨な鋼鉄の腕は細かい作業には向いていないようだ。
作業がひと段落すると、周辺の空を飛び回っていた鴉が戻ってきた。
「——それで、貴様の目的はなんだ? この娘を殺すのか?」
(な、違うよ! 俺はこの子を守れって言われたんだ)
鴉はその黒い瞳で少女の傍に立つ俺を見上げる。
「否定……そうか、ならばこの国から出るべきだな。この娘は龍王国の中で、それなりの立場にある人間のようだ」
言われてウラシマは横たわる少女に視線を落とす。
(まぁ、なんか高そうなドレス着てるしな、誘拐される理由は多そうだ)
そうして観察していると、少女の手がぴくりと動く。
「う、うーん。……あれ、ここは……」
(あ、起きたみたいだ。先輩、状況を説明してくれないか?)
「…………。」
ウラシマの言葉に、鴉はわずかに視線を向けるだけで、何も話してはくれない。
「あら?……ゴーレムさん。おはようございます」
(あ、えと、おはよう)
言葉が伝わらないのはわかっているが、なんとなく返してしまった。
「私はどうしてここに……あっ、そうでした! ヴィンセントは!?」
(ヴィンセント? 誰だ?)
首のない体を、ウラシマは不器用に傾けてみた。
伝わるかだろうか。
「ふふっ、こちらのお話がわかるのですね。それになんだか人間のみたいな動きをなさるのね」
少女は口元を上品に隠しながらウラシマに微笑む。
(か、可愛い……。アインス先輩も可愛かったけど、この子は清楚なお姫様って感じだ、なんかドキドキする)
「ヴィンセントは、あなたと戦っていた男性ですわ。ヴィンセントと戦って逃げ切ることができるなんて、ゴーレムさんはお強いんですね」
(あ、いや、まぁ俺の力じゃないけど)
ウラシマは元の体の癖で、頭の後ろを掻こうとしたが、そこに頭はない。
「……それで、わたくしはこの後……どうなるのでしょうか?」
少女の表情にわずかに影が差す。
(どう、と言われても、あんたを守れとしか言われてないから、基本的にはあんたに着いていくだけなんだけど)
ウラシマは返答に悩む、まぁ悩んだところで伝える手段などない。
困って巨木のような長い腕を胸の前で組み、体を傾ける。
「あら? あなたはわたくしを誘拐しにいらした方ではないのですか?」
(いや、違うし、むしろあんたを助けるために来たんだけど……って伝わらないよ、先輩も何か言ってくれ!)
ウラシマは胸の前で金属の手をひらひらと振って、違うということをアピールしてみる。
そして、さきほどからだんまりを決める鴉を指差して、この状況の説明を求める。
「あら? 鴉さん。ごめんなさい、気づきませんでしたわ、こちらはゴーレムさんのお友達ですの?」
(……多分違うけど、まぁそれでいいよ)
ウラシマは体を前に屈めてとりあえず頷いておく。
水を向けられた鴉は、漆黒の羽を片方広げると、静かに、そして優雅に胸の前に下ろす。
鴉のくせになんだか様になってやがる。
「っんん。——友人、ではないがな。そこのゴーレムの仲間だと思ってもらって差し支えない」
突然喋り出した鴉に、少女は驚くどころか、目を輝かせて身を乗り出す。
「まぁ! 言葉がわかるゴーレムさんだけじゃなくて、おしゃべりできる鴉さんまでいらっしゃるなんて、素敵ですわ!」
思っていた反応と違ったのか、鴉はやや面食らったような面持ちで、少女を見返す。
それはそうと、少女の反応を見るに、流石の異世界でも鴉が喋るのは普通ではないらしい。
「ふむ、随分と肝の座った娘のようだな。——私はこのような姿ゆえ、急に喋り出しては驚かせてしまうと思ってな、しばし傍観させてもらった」
(俺の時は、後ろから急に話しかけてきたけどな)
「あら、ふふっ。気遣いのできる紳士でいらっしゃるのね。あ、淑女でしたかしら? ますます素敵ですわ」
少女はキャッキャとはしゃいでいるが、その仕草はやはり上品なものだった。
育ちがいいのだろう。
俺とは違う。
「どちらでも構わん。 お主、名は何という?」
鴉に尋ねられた少女は、居住まいを正し、座ったままちょこんとスカートの裾を持ち上げる。
「これは失礼いたしました。わたくしは、ライラ・フォン・アウレリアと申します。ライラとお呼びくださいな」
「ライラ……そうか、良い名だな」
「ありがとうございます。鴉さんのお名前も伺っても?」
ライラに尋ねられた鴉は、一瞬考えるように空を見上げると、何かを思い出すようにポツリと言う。
「私の名か、前の街では"シロ"と呼ばれていたが、この体にその名では皮肉がすぎるか。……そうだな、ではクロウ、とでも呼んでくれ」
「ふふっ、わかりましたわ。クロウさんですね」
(いやいや、偽名じゃんか……俺も人のことは言えんが)
明らかにたった今考えた名前だったが、ライラの方はあまり気しないようだ。
そしてライラは、クロウに続いて今度はウラシマの方を向き、その漆黒の巨体を見上げる。
「こやつは、ウラシマというらしい。お主ももうわかると思うが、話すことはできない。だがこちらの言っていることは理解できる」
話ができないウラシマの代わりにクロウが説明してくれる。
「やっぱりそうなのですね! 今日だけで2人も素敵な方と出会ってしまいました。ウラシマさんと、クロウさん! 覚えましたわ」
(底抜けに明るい子だな。そんなに楽しそうにされると、なんだかこっちまで引っ張られるよ)
こんな訳のわからない状況で笑えるライラは、お淑やかなだけの少女ではなく、底知れぬ強かさがうかがえる。
「さて、互いの名を知ったところで、状況を整理させてもらいたいのだが」
クロウはこの場を仕切って、進行役を務めてくれるらしい。
喋ることのできないウラシマとしてはとても助かる。
「ええ、もちろん構いませんわ」
ライラも異存はないようだ。
「まずは、私とウラシマについてだが、我々もあの遺跡で初めて会ったばかりでな、幾ばくかの意思疎通が図れる程度で、話せることはほとんどない」
クロウは、自身の羽を整えながら、だが、と続ける。
「今のところ私とこやつは、お主を害するつもりはない」
「あら、そうだったのですね。わたくしてっきり、誘拐されてしまうものだと思っていましたわ。——それに、お二人はすでに仲良しのように見えましたけれど」
ライラは意外そうな表情で、頬に手を当てて首を傾げる。
(なんかこの鴉、ちょっと母さんっぽいし、俺も初めて会った気がしないんだよな。なんか逆らえない)
「それは気のせいだ。——それでライラ、お主について聞きたい。あの場所で一体何をしていたのだ? ヴィンセントという男に狙われているようだったが」
クロウは、ウラシマが一番知りたかったことを直球で聞いてくれた。助かる。
クロウの問いに、ライラはわずかに表情を曇らせる。
「わたくし、逃げて来たのですわ。……あの城から」
(やっぱり追われてたんだな)
「そしてヴィンセントは、国王の側近であり、わたくしの執事です」
「……執事?」
「ええ、そうです。彼はかつてこの国で起こった内乱を治めた功労者であり、最も龍に近いと言われた英雄です」
(ん、なんか肩書きが多いな。国王の側近で執事で、英雄?)
「ヴィンセント……そうか、聞いたことがあるな。あれが噂に聞く龍人か」
何が何だかわからないウラシマだが、クロウの方はヴィンセントという男に心当たりがあるようだ。
「ええ、ヴィンセントが最後に見せた、赤い鱗——龍鱗をご覧になりましたか? あれが彼が龍人と呼ばれる理由ですわ」
「私も竜族について詳しいわけではないが、竜族に鱗があるのは珍しいことではないと思ったが?」
「ええ、一般的にはそうです。ですが彼の龍鱗は他のものとは少し違うのです」
ライラはそこで口をつぐんだ。
それ以上話すつもりはないようだった。
滝の音が響き、3人はしばし沈黙する。
「——ふむ、話が逸れたな。それで、お主はなぜ自身の執事から逃げておったのだ?」
「それは、その……」
続くクロウからの質問に、ライラは顔を背ける。
そして自身の額に生えた角に触れ、身を小さく縮める。
「ふん、まぁいい。会ったばかりの我々に、全てを語る必要もない」
「……すみません」
(まぁこの子の事情がどうあれ、俺のやることは変わらないしな)
ライラからはさほど情報は得られなかった。
だがこの世界について、何も知らない自分にとっては、焼け石に水だろう。
「では、休息もほどほどにせねばな。それでライラよ、お主はどこか行きたい場所や目的地はあるのか?」
クロウの問いに、ライラは空を見上げる。
雲ひとつない晴天に向かって、手を伸ばす。
「目的地は、ありません」
伸ばした指先は青空をなぞって、そっと閉じられる。
「ですが……わたくしは、世界を見に行きたいのです」
ライラの言葉に、クロウとウラシマは互いに顔を見合わせる。
「出会ったばかりのお二人に、こんなことをお頼みするのは不躾と存じますが……」
ライラが今度は2人に向かって手を伸ばす。
「どうか私を、連れて行っていただけますか?」
その言葉と同時に、森を渡る風が3人の間を吹き抜けていく。
鋼鉄のゴーレムと一羽の鴉は、そっと少女が差し出した手を取った。
それは、逃げるための旅ではなかった。
少女がまだ見ぬ世界へ踏み出すための、最初の一歩だった。




