第三十六話 龍の国と温泉と男と女
「……やっと着きましたね」
「……そうね、疲れたわ」
龍王国へ到着早々、セシルとルルは疲れた様子で互いを労う。
ルルはもはや飛ぶことすらせず、アイルの頭の上に引っかかっている。
アイルはアイルで、ココアの背中の上で手足を投げ出し、グッタリとしたまま眠っている。
「そんで、ちょっとルーク。あんたはあたし達に何か言いたいことはないわけ?」
そんな3人の様子に対し、いつも通りの飄々とした態度で先頭を歩くルーク。
「んー、まぁ道中色々あったけど、結果的にはみんな無事に龍王国に着いてよかったじゃないか」
ルークの回答に、ルルは顔を真っ赤にして烈火の如く怒り出す。
「何が『結果的には』よ!! ほんとに結果だけじゃない!! 行程は最悪だったわよ!」
ルルの言に、セシルも同意を示し、じとっとした視線をルークへ投げる。
「ええ、まぁ私も冒険者ですから、旅に危険は付きものと理解はしています。理解はしていますが……」
「そうよ! 絶対おかしい! やたらと魔物に群がられるし、街道の真ん中で馬車は壊れるし、渓谷を渡る唯一の橋も崩れてるし! 挙げ句の果てにでかい熊にも遭遇するし!!! まだまだあるわよ!」
ルルは疲れた体に鞭を打ってでも、ルークに文句を言わないと気が済まないらしい。
「まぁ、そんなのよくあることじゃないか」
「ひとつひとつはね! 全部まとめてくることなんてないのよ!!」
「えぇー? 橋が崩れてたのまで僕のせいなのかい? ——あ、でもレッドベアが出た時は、流石にヒヤッとしたねー」
ルークはなおも淡々と、ちょっとした失敗談を語るように笑い飛ばす。
「私、レッドベアなんて初めて見ましたよ。おとぎ話だと思ってたのに……」
「そうだねぇ、僕も初めて見たよ。冒険者ギルドには報告しておくけど……街道付近にレッドベアが出ました、なんて信じてもらえるかな?」
ヴェルはそんな3人の賑やかな会話を、最後尾で遠巻きに眺めていた。
すると、振り返ったセシルと目が合い、こちらへ水を向ける。
「ヴェルさんも、お疲れ様でした」
「ああ」
気の利いたことなど言えない自分の返答の、何がそんなに楽しいのか、セシルはニコニコと笑いながらこちらを見つめている。
なんだかんだと文句はあれど、彼女も浮かれているようだ。
「ダンジョンに行った時も思いましたけど、やっぱりルークさんって不運に見舞われるんですね」
セシルは先頭を歩くルークをぼんやりと眺める。
「ああ。だが奴いわく自らに幸運を集めたところで、周りの人間が不幸になるだけらしい、ゆえにどちらも同じということだ」
ヴェルの言葉にセシルは頬に手を当てて空を見上げる。
「良いこともあれば、悪いこともあるってことですね。だとしたら、普通の人と一緒ですね」
「そうなのか?」
「そうですよ」
とてもそうは思えないが、自分に比べれば彼女の方がよほど『普通』だ。
彼女がそう言うなら、そうなのだろう。
「そういえば、ルークさんとヴェルさんって、どうして仲良くなったんですか?」
「仲が良いかどうかは知らん。奴がやたらと訪ねて来るだけだ」
「そうですか……」
俺の話など聞いても面白くはないだろうに、セシルはヴェルとルークを交互に見ては、何か聞きたそうにしている。
最近は共に過ごすことが増えたが、彼女について何も知らない自分では、考えを察してやることはできない。
「何だ?」
彼女の顔には、『とても気になります』とだけ書いてあるが、何を聞きたいのかはわからない。ゆえに尋ねる。
「……えーと、ヴェルさんとルークさんって、付き合いは長いんですか?」
セシルは、少しだけためらうように視線を泳がせてから、恐る恐る尋ねた。
そんなことを聞くのに、おどおどする理由はわからないが、一般的には聞き辛いことなのだろうか。
「奴と初めて会ったのは、4、5年ほど前だったか」
「6年前だよー」
先頭を歩くルークは、ルルと会話をしながらも、こちらの話を聞いていたようで、間髪入れずに訂正してくる。
「——だそうだ」
「へぇーそんなに……ってことは今回みたいなことも……」
「ああ、よくある」
セシルは苦笑いを浮かべながら続ける。
「それじゃあ、初めて会った時はどんな感じだったんですか?」
今度は何かを期待するような、キラキラした目で尋ねてくる。
表情や感情の変化が激しくて、とても付いていけそうにない。
「初めて会った時は……金を貸してやった」
「あーあー! まぁその話はいいじゃないか……」
ルークにとっては聞かれたくない話だったようで、ヴェルの言葉を遮るように割って入る。
「……お金……?」
「あ、あの時は僕の人生の中でも、一二を争うほどやばかったんだ。ヴェルにもね、その、迷惑かけたしね……うん」
ルークは慌てた様子でセシルに説明する。
「別に俺はいらなかったが、金は返してもらった。貸し借りはない」
ヴェルが補足すると、セシルはなおも聞きたそうにしていた。
だがルーク本人が聞かれたくないのであれば、自分がペラペラ話すものでもない。
「あ、ほらほら、見えてきたよ!」
ルークは話を逸らし、一行の目的地である宿を指差す。
『おおー』とセシルが感嘆の声を上げる。
見えてきたのは、龍王国の中でも指折りの高級宿だ。
外観も、立派なものだ。
バロウズ商会のような、いやらしい金のかけ方ではない。
金目の物の目利きなど一切できない、死んだ目をしているヴェルですら、周囲の建物とは一線を画すものだと理解できる。
「立派な宿ですね、まるでお城みたいです」
「そうだな」
「道中は大変でしたけど、ここからはゆっくりできそうですね」
セシルは期待に満ちた表情で宿の外観を見上げる。
ヴェルは、ここまでの道中の出来事を振り返って、考えを巡らせる。
「……行く先々の不運が、全て奴のせいとも限らないがな」
「え、それってどういう……」
セシルが言い終わる前に、ヴェルはすたすたと先に行ってしまう。
「2人ともー何してんのー。早く来なさいよー!」
セシルはヴェルの言葉の意味を考えるように足を止めたが、ルルの言葉によって遮られ、小さく駆け出す。
——————
「それじゃあ僕はココアを施設に連れて行かないといけないから、ここで。数日に一回はアイルちゃんに魔力を抑えてもらう必要があるから、その時は迎えに来るよ」
宿に到着し、部屋に案内されたところで、ルークはそう言うとココアを連れて出ていく。
「ルークさんは泊まらないんですか? 私たちだけなんて、なんだか悪い気がします」
「構わないさ、僕は僕でこの町でちょっとやり残したことがあるからね。みんなはゆっくり観光しててよ」
ルークは背中越しに皆に手を振って行ってしまう。
「……あの猫さんの病気、よくなると良いですね」
セシルはルークとココアの後ろ姿を眺めながらポツリと呟く。
「……そうね、まぁなんとかなるでしょ。ルークも付いてるんだし」
セシルの言葉にルルが呼応する。
その横顔は少しだけ寂しそうに見えたが、それも一瞬のことで、ルルはさっさと部屋の中へと引っ込んでしまう。
そしてセシルも扉を閉めると、改めて部屋の中をじっくりと眺める。
「それにしても広くて立派ですね。貴族様のお屋敷みたいです」
部屋の中は、触れるのも憚られるような調度品や絵画がいくつも飾られている。
「物の良し悪しなんてよくわかんないけど、皆あたしたちに恭しく頭下げてんのは気分いいわね」
ルルは広すぎる部屋の中を、縦横無尽に飛び回っている。
アイルも、ヴェルが雑にベッドへ寝かせたからか、目が覚めてしまったようだ。
ボケっとした表情で部屋を見渡している。
「そ、れ、に! でっかいお風呂がついてるんでしょ! 見に行くわよ」
ルルはセシルの肩にちょこんと座り込むと、奥の浴場へ続く扉を指差す。
「あ、はい。アイルも見てみますか?」
セシルは、眠そうに目を擦っているアイルの手を引いて、扉を開ける。
「「わぁー!」」
扉を開けた途端、内側の湯気がボワッと部屋の中へ漏れ出す。
クリアになった視界に映るのは、絶えず流れ続ける源泉。
大きな一枚岩を削ってできた浴槽は、10人はゆうに浸かれるほどの大きさだ。
「水が白いわ! それになんかトロッとしてるわ!!」
「ほんとですね。温泉には前に一度入ったことありますけど、もっとツンとした匂いがしてました。——でもこのお湯は、なんだかミルクみたいな香りがしますね!」
浴場の中で女性陣がはしゃぐ声を、ヴェルは部屋の中で静かに聞いていた。
だが、絶えず浴場から漏れ出す湯気に嫌気がさしたのか、周囲を見渡す。
そして目についた天窓を、垂れ下がっている紐を引っ張って開けている。
「ねぇねぇ、早速入りましょ! 長旅で全然体なんか洗えなかったし」
「……そう、ですね。 でも……その……」
セシルは部屋にいるヴェルの方へ視線を向け、顔を赤らめて俯くと、ルルが不思議そうな顔でこちらを覗き込む。
ここまでなんとなく流されてきたが、改めて考えると、男女で同室である。
部屋は広く、ベッドも2つ用意されているため、大人2人と子供サイズ2人が泊まるのはなんら問題はないのだが、問題はそこではない。
ルークから、『宿は楽しみにしててよ』などと言われていたので、詳細は聞いていなかった。
まさかこんな豪華な宿とは思わなかったし、そして同室というのも先ほど初めて聞かされた。
ルークとしては、同じ家に住んでいるのだから、同じ部屋でも問題ないと思ったのかもしれない。
同じ家といっても寝室は別だし、家で水浴びをする時なども気は遣う。
いささか配慮が足りないのでは、と思ってしまうが、こんな立派な宿を用意してもらったのだ。
文句など言えるはずもない。
ルークには、"そういうところですよ"と言ってやりたい。
女には、そう、色々と準備があるというかなんというか。
「ねぇー、入らないのー? あたしは入るわよ!」
セシルがもじもじとしている間に、ルルは服を脱ぎ捨て、その辺に放ってしまう。
セシルはなおもぶつぶつと独りで悶々としており、ルルの言葉が頭に入ってこない。
「ヴェルー! アイルの服を脱がすの手伝いなさい」
「ああ」
そう言うとルルは裸のまま浴場を飛び出してしまう。
言われたヴェルは、とことこ走ってくるアイルの服をもたつきながらも脱がせてやる。
「あんたも一緒に入ったら? 魔物の血がベッタリで汚いんだから」
「…………。」
ヴェルはいつもの無表情で、何かを考えるように虚空を見つめているが、ルルの聞き捨てならない発言にセシルは我に返る。
「だ、だめです! 一緒になんて。それにルルさんもちゃんと服着てください!」
浴場の扉から、真っ赤な顔をしたセシルが叫ぶ。
そしてルルの元へ走っていき、ルルの体を手で覆ってヴェルの視界から遠ざける。
「なんでよ? あんなに広いんだし、一緒に入ればいいじゃない」
ルルは純真無垢な表情で、セシルを見上げて疑問をなげる。
「そ、それは、男女は普通……一緒には入らないもの……ですから」
セシルの歯切れの悪い言葉に、ルルはなおも続ける。
「そういえば、街のお風呂屋も男女で別れてたし……ねぇ、なんで?」
ルルはそういったことを理解していると思っていたが、どうやらそうではないらしい。
男女のあれこれを全く知らない子供に、それを説明できるわけもない。
助けを求めるようにヴェルの方を向くと、なんとヴェルもルルと同じ目をしている。
セシルの答えを待つかのように、こちらを見つめ返している。
「なんでって……それは、その……とにかくだめなんです!」
説明できないセシルは強引に会話を締めくくり、いまだ疑問符を浮かべるルルとアイルを浴場へと連れていき、扉を閉める。
セシルは扉の向こうにいるヴェルへ重たいため息をつく。
——この場には子供しかいないらしい。
自分だけ恥じらっていたのが馬鹿らしくなり、セシルは服を脱ぎ捨てて浴槽へと向かう。
(ええ、わかってましたとも。ヴェルさんはそういうことを気にする人じゃありません。だから一緒に暮らしていけるんですから……)
そう思うのに、なぜか胸の中がモヤモヤした。
そしてセシルの呟きは、白く濁った水の中に泡となって消えていくのだった。




