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第三話 救済と温かな鼓動


 風のない静まり返った森の中を、地を踏み締める音だけが響く。

 木々の枝葉に遮られ、月のあかりも届かない。

 足元を見ながら歩いていても何かに躓きそうになる。

 ヴェルは歩きながら、時折右手に持った黒曜石のナイフで木に印を刻んでいく。

 

 地図は頭の中に入っている。

 だが、森の奥へ進むにつれて方向感覚が狂わされる。

 目印となるものも少なく、自分がどこを歩いているのかもわからなくなる。

 

 かなり歩いてきたと思うが、それらしい痕跡は発見できていない。

 あの少年の話では昼間に冒険者が1人、森へ入っていったのだという。

 

 ——魔物に遭遇していれば、まず助からないだろう。


 もし見つけたら、装備や認識表だけは回収してやれ、とは言われているが。

 相手がフィアー級の魔物であれば、それすらも難しいだろう。

 

 ヴェル自身も経験があり、知っている。

 大半の魔物は人を喰う。

 大型の魔物に襲われれば、痕跡などほとんど残らない。

 ヴェルの腕にはめられている真新しい黒曜石の認識表も、魔物に喰われて幾度となく再発行されている。

 いくつ無くしたのかは、もう数えていない。

 ギルドの受付は再発行のたびに、眉間に皺を寄せながら笑顔を作っていた。


 ——依頼に関係のないことを考えているな。

 

 集中力が切れているようだ。

 少し休んだほうがいいかもしれない。

 ヴェルが森に入ってから、すでに数時間が経過している。

 その冒険者が昼間に森に入ったのなら、距離的にはこのあたりで野営をしていてもおかしくはない。

 ヴェルは休める場所を探しながら、闇の奥地へと目を凝らしたその時、


 ——天から月が、降りてきた。


 暗闇に慣れた目には眩しすぎる光がヴェルの網膜を焼き、ゆったりとした動作で目を覆う。

目を閉じて、もう一度開く。

 

 ……違う。

 月ではないようだ。

 月の光と見紛う七色に光るそれは、


「——妖精、か。」


 ヴェルはそれの名を口にして、浅く息を吐く。

 それを見た者は、人であれ動物であれ、神秘の輝きに惹かれ、我を忘れることだろう。

 だが、感情の欠落したヴェルの前では、神秘の妖精も、ただの光る"何か"だ。

 

「お前に構っている時間はない。どいてくれ」


 ヴェルは構わず歩き出す。

 すると妖精はヴェルの行手を阻むように浮遊する。

 進行方向を変えようとしても、回り込まれる。


「…………。」

 

  妖精については、ロックから聞いたことがある。

 ヴェルも以前に一度だけ遠目に見かけたことがある。

 妖精は多くの場合、幸運や吉兆の兆しだと言われている。

 だが、ロックに言わせれば、下手に関わらない方がいい存在らしい。

 これは善悪のわからない子供のようなもので、善意であろうと悪意であろうと、人間にとっては同じくらい危険なのだという。

 

 ゆえに、関わるな。とのこと。

 再度進行を試みるが、妖精の方も諦める様子はない。

 ヴェルは、先ほどよりも深いため息をひとつこぼすと妖精に問いかける。


「……どこへ連れて行きたいんだ? なるべく、手短に頼む」


 言葉は通じているのか、七色の光がまるでうなづくようにゆらめいた。

 そしてゆっくりとヴェルから離れ、少し先の方でぴたりと止まる。


(ついてこい、ということか。)


 ヴェルは近くの木に印を付けてから、妖精の後を追って静かに歩き出した。


 妖精の後を追って歩いていくと、程なくして周囲に異様な雰囲気を感じ取った。

 魔力が絡まり、停滞し、澱んでいる。


「——やはり、罠か」

 

 これを感じる時、いつも良くないものがそこにいる。

 ヴェルは少しだけ警戒を強める。――何かが蠢いている。

 例の蜘蛛だろうか。

 ヴェルは近くの木に背を預け、覗き込むようにその奥を確認する。


 ——そこにあったのは、力無く佇む、枯れた一本の木だった。


 ヴェルは、澱みの発生源の"枯れ木"を観察する。

 青々と茂る木々の中、その枯れ木だけが周囲からぽつんと浮いていた。

 根は地表に飛び出し、しきりに何かを探すように蠢いている。

 しばらく観察したのち、


 (——トレントか)


 そう結論づけた。

 ただし、ヴェルの知るトレントとは些か趣が異なる。

 トレントは木の魔物で、周囲の木々に擬態し、通りかかった獲物に襲いかかる厄介な魔物だ。


(擬態できていない。それにしきりに何かを探すように動き回っている。弱っているのか)

 

 そしてもう一つ、ヴェルの知っているトレントとは決定的に違う点があった。


 (——でかいな)


 通常の個体は大きくても2mか3mほど、だが目の前の個体の大きさは、"5m"はゆうに超えているだろう。

 そしてその下に蠢く根っこには、灰色の何かが絡みついているのに気がつく。

 よくよく見てみれば、灰色の髪をした人間のようだ。

 

 (あれが昨日森へ入ったという冒険者か……?)

 

 ぐったりと投げ出された手足に、トレントの根が容赦なく絡みついている。

 おそらくは魔力を吸われているのだろう。

 

 妖精は、トレントのそばでふわふわと明滅している。


 (あの冒険者を助けろということか? それでここまで案内を……)


 そんな考えが一瞬ヴェルの頭をよぎったが、自らに都合がいいように捉えるのは危険だ。

 だが、それはそれとして、あの冒険者の安否くらいは確かめねばならない。


 『――人を助けなさい。null 』


 その時ふと頭の中で、誰かの言葉が蘇る。

 赤い髪の……、思い出せない。


 まぁいい。今はどうやってあの冒険者を助けるか、考えねばならない。

 ロックから聞いたトレントの対処法としては、多くの場合、火を使う。

 油を撒き、火を放つ。

 それだけでトレントは死ぬか、逃げる。

 だがあいにくと、火をつける道具は手持ちにない。

 それに捕まっている冒険者ごと焼き殺しかねない。

 

 ヴェルは仕方なく取り出した黒曜石のナイフを、腰のベルトに挟みゆっくりと近づいていく。

 音を立てないようゆっくりと歩く。

 はたして、目や耳のない木の魔物に対し、“静かに歩く“行為に意味があるのかはわからない。

 それでも、今できることをやる。それだけだ。


 あと数歩でのところまで来たとき、倒れているのは獣の耳をつけた灰色の髪の少女だとわかった。


 (——猫の獣人か)

 

 そして、わずかに膨らみのある胸は、微かにだが上下に動いているため、死んではいないようだ。

 だが呼吸はかなり浅く、顔色も悪い。

 おそらくは長い時間拘束され、魔力を吸い取られているようだ。

 そして、もう一歩踏み込んだ際、足の裏に硬い感触を覚える。


 その瞬間、地中に隠れていたトレントの根が一瞬のうちに現れ、ヴェルの足を絡めとる。

 ヴェルはそのまま引き倒され、地面に頭を強く打ち付けた。

 そのままずるずると根元まで引きづられていく。


「…………。」

 

 だいぶ想定とは違ったが、幸い倒れている少女の近くまで来ることだけはできた。

 ヴェルは、彼女の力なく投げ出された腕を掴む。

 脈は弱く、衰弱しているのがわかる。

 魔力が枯渇しかけていて、意識が保てないのだろう。

 

「……どうしたものか」


 ヴェルは腰に刺したナイフを引き抜こうと手を伸ばすが、トレントの根が邪魔をする。

 根はヴェルに絡みついた瞬間、何かを感じ取ったのか、一斉に向きを変えた。

 そして、一瞬のうちに手足を拘束されて、ものすごい勢いで魔力を吸い取られる。

 どうやらトレントは、ヴェルを最上の獲物と認識したらしい。


 (もう脱出は不可能だが、少しでもこちらに惹きつけられれば、彼女の負担は減るだろう)


 絡みつく根がヴェルの全身を覆い尽くすのに、さほど時間はかからなかった。

 終いには彼女に巻きついていた根もヴェルの方へと狙いを定めた。

 そうしてヴェルは、彼女に絡みつく全ての根を引き受けることができた。

 視界の端に映った彼女の呼吸が、少しだけ落ち着いたように見えた。

 

 そしてついには首にも根が絡みつき、気道が圧迫されてだんだんと窒息していく。

 薄れゆく意識の中で、ヴェルは彼女が少しでも楽になればと、残り少ない魔力を送り続ける。

 

 そして死を迎えるその時まで、彼女の腕を離すことはなかった。




 ——————




 (もうちょっと、どうにかならないものでしょうか……)


 セシルは、青年の背中に向かって静かに抗議する。

 現在セシルは、先ほど出会ったヴェルという男によって運ばれている。

 重たい荷物のように肩に担がれ、セシルの体はくの字に折れ曲がった状態で、手足がぷらぷらと投げ出されている。

 流石に雑すぎる扱いに、多少の不満が出てきた。

 ヴェルは今の所、こちらに敵意や害意はないようだが、得体の知れない人物なのは変わらない。

あまり余計なことを言わない方がいいのだろうが。

 

 (樽じゃないんですから、もう少し丁寧に運んで欲しいものです……)


 厚かましい願いなのはわかるが、姫のように抱えてくれと言ってるわけではない。

 せめて背中におぶってくれるくらいは許されないだろうか?


 ヴェルは肉が薄く、肩や腕が骨張っているので、セシルの柔らかい肌に容赦なく食い込む。

 正直、すごく痛い。

 それに道も平坦ではないし、乱暴な歩調に気分も悪くなってきた。

 耐えかねたセシルは、恐る恐る提案を試みる。


「あのー、もしよければ、もう少し普通に運んでいただけないでしょうか……?」


 セシルの言葉にヴェルは立ち止まり、無機質な声で返す。


「普通とは、どんなだ?」


 ヴェルの声には感情が一切感じられない。

 セシルは相手の気に触れたと思い、慌てて訂正する。


「ああ、いえ違うんです! 違うんです! その、荷物みたいな扱いに不満があるとか、腕が食い込んですごく痛いとか、せめておんぶがいいとかそう言うのじゃなくてですね……」


 ……全部出てしまった。

 

「そうか」


 短くそう言うと、ヴェルは少々雑にセシルを下ろし、地面に座らせる。

 ぺたんと尻をついて、呆然とするセシルは、置いていかれると思うとはっとして、両手を伸ばしてヴェルに追い縋る。


「ああ、ごめんなさい。ごめんなさい。何でもいいです、なんでもいいですから! こんなところに置いていかないでください!」

 

 慌てて謝罪するが、彼は立ち去るわけではなく、しゃがみ込み、こちらに背を向けている。


「——どうした?乗れ。」


「……へ?」


 状況がわからず動けないセシル。

 痺れを切らしたヴェルはセシルの腕を掴んで自分の首へ回し、勢いよく立ち上がる。

 きゃ、という短い悲鳴も気にせず、ヴェルはセシルの足を抱えて背負い直す。

 しばし呆然としていたが、彼がが自分の気持ちを汲んでくれたことが、セシルには意外だった。


 そして背負われていると、抱えられた足や、さして大きくもない胸が密着してしまう。

 だが、そんなことを考える余裕は今のセシルにはない。


 (……温かい)


 だが、ヴェルの背中からは確かな体温を感じる。

 ついさっきまでは、冷たく硬直していた体とは思えない。

 セシルは意を決して、ヴェルの背中に問いかける。


「あの……ひとつ聞いてもいいですか?」


「なんだ?」


 ヴェルは間髪入れずに答えた。


「私が目覚めて最初にあなたを見た時、あなたの手は冷たくて、硬直していて……その、死んでいたと思ったのですが、あの状態でもあなたは生きていたんでしょうか?」


「いや、死んでいたと思うが」


 またしてもヴェルは、なんでもないことのように即答する。

 そんな当たり前のように言われても、とても信じられないが、セシルは実際にこの目で見て、肌で感じたのだ。

 

「……ということは、あなたはやっぱり一度死んで生き返ったってことですよね?」


「ああ、おそらくその認識で概ね間違いない」


 『おそらく』『概ね』とヴェルは口調でははっきりと告げたが、言葉の意味としては曖昧に返してきた。


「蘇生魔法《リザレクション》は、存在しないのでは……?」


 死んだ人間が蘇るなど、普通ではあり得ないが、もしそれを可能にするならば、おとぎ話でしか聞いたことのない蘇生魔法しか思い当たらない。


「蘇生魔法か、俺も見たことはないな。俺の体は回復魔法の一切が効かない。だからもし蘇生魔法があったとしても、俺には無意味だろうな」


 回復魔法が効かない体質……そんな人は聞いたこともないが、今は話の腰を折っても仕方がない。


「でしたら、あなたは……」


「はぁ……体質だ。死んでも生き返る、傷を負っても治る。それがなぜかは俺にもわからん」


 ヴェルは、もう次に聞かれることがわかったようで、セシルの言葉を引き継いでそれだけ言うと、また黙り込む。

 まるで今まで何度も繰り返したやり取りを、めんどくさそうに打ち切ったようにも思えた。

 セシルはそれ以上は何も言えずに、2人はしばらく沈黙する。

 森を吹き抜ける風の音と、落ち葉を踏み締める足音だけが聞こえ、セシルは自然と目を閉じる。


 ヴェルの背中からじんわりと伝わってくるのは、おそらく体温だけではない。

 これは、魔力だ。

 彼の体からは魔力が溢れていて、それが少しずつセシルの中へと流れ込んでいる。

 彼の背中から感じる鼓動が、まるで子守唄のようにセシルを微睡へと誘う。

 そして、セシルはポツリとひとりごちる。


「私……今日誕生日なんです。故郷の村を出て冒険者になってから、今日でちょうど2年になります」


「…………。」


 彼は何も言わなかったか、セシルは構わず続けた。


「昨日、薬草採取の依頼を受けてこの森へ入ったんですが、本当の目的はそれだけじゃなくて……」


 彼は相槌も打たなければ、なんの反応も示さない。

 だからこそセシルの話を、笑わずに聞いてくれるのではないかと思った。


「……世界樹を探しに来たんです」



 

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