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誰も覚えていない

 電話帳を調べて、俺は少し驚いた。

Hi-mark社は、まだあった。

名前は二度ほど変わって、経営母体もどこかの企業連合に移っていたが、電話帳の隅、修理サービスの欄に、旧Hi-mark製品の型番がずらりと載っていた。

旧文明の銃器メーカーが、この世界で看板を掛け替えながらしぶとく生き残っていたのだ。

窓口に持ち込むと、受付の男は銃を一目見て、眉を上げた。


「S-7ですか。まだこれを使う人がいるとは思いませんでした」

「俺も使うことになるとは思わなかった」

「今の規格には合いませんよ。威力も、精度も。こんなもの、一体何に使うんです?」


俺は何も答えなかったし、受付の男はそれ以上何も訊かなかった。

詮索しない技術というものは、どこの業界でも大切なものらしい。


修理は、半日もかからなかった。

戻ってきたS-7は油の匂いがして、遊びのなくなった引き金がついていた。

弾も、規格外の旧式弾を取り寄せてくれた。

骨董品の面倒を見る部署が、まだちゃんと機能しているようだ。

妙なところで律儀な会社だと思った。

母親がこの銃を選んだ理由が、少しわかった気がする。


 それから俺は、店を開けながら、情報を集めた。

集めるといっても、特別なことは何もしていない。

いつも通りカウンターに立って、いつも通り酔っ払いの話を聞いただけだ。


軍属の愚痴。港湾の噂。運び屋の置き土産。クローン運用の管理部門がどこにあって、現場の責任者が誰で、どこで飲んで、どの女のところに通っているか。

断片はいつも通り、口に出さないまま、頭の中で勝手に整列していった。


俺は情報屋だ。この街の中で、それなりの事情通ではある。

ただ、最後の一片だけが埋まらない。

彼女がどこへ送られ、誰の判断で、何に使われたのか。そこだけは、酔っ払いの口からは出てこない階層の情報だった。

だから、本物の事情通に会いに行った。

同業者だが、俺とは情報の質が違う。

軍と企業の間を泳いで、本物を扱う男。

店を何日か早じまいして、伝手を三つ経由して、ようやく会いにいくことができた。

男は、途中までは話した。しかし、彼女の任務の件に触れた途端、渋った。


「そいつは、売りもんじゃない」

「なぜだ」

「軍の損耗記録は買い手を調べられる。あんたみたいな場末のマスターが買っていい代物じゃないんだよ。悪いことは言わない、忘れな」

「そうか」


俺は黙って、テーブルの下でS-7を抜いて、男の腹に突きつけた。

男の顔色が変わった。


「……おい。正気か! 情報屋を脅迫したら、この街でタダじゃ済まないぞ」

「先に脅したのは、あんただ」


俺は言った。


「『忘れな』と言ったな? それは情報でも忠告でもない。ただの命令だ。命令ってのは、聞かせる側に力があるって前提で出すもんだろう。俺はそんな命令には従わない」

「……あんた、なんて名前だ!?」

「知(・)る(・)必(・)要(・)は(・)な(・)い(・)」


男は俺の目を見て、それから銃を見て洗いざらい話した。


帰り際、俺は男にもう一つだけ命令をした。

今夜のことは、誰にも売るな。

俺がここに来たことも、何を訊いたかも。あんたの商品棚から、今夜を消せと。

男は頷いた。

プロだから、守るだろう。

それを守らずに、然るべき組織に俺を売れば、自分が脅迫に負けたという事実も一緒にバラすことになる。

この手の男は、自分の負けを商品にはしない。

だから俺が動いたことは、誰の帳簿にも載らなかった。




 ※


 ヴォルク・ハウザーは、後部座席を振り返って怒鳴った。


「早くしろ! 乗れ!」


管理局の裏口から拾ったタクシーだった。

護衛を先に乗せるのが規則だったが、規則を守っている場合ではなかった。

ハウザーは自分から助手席に飛び込み、結果、遅れた護衛二人が後部座席に押し込まれる格好になった。


「東地区。港の方だ。飛ばせ」


運転手は頷いて、車を出した。

ハウザーは何度も後ろを見た。

夜の道路には、何もいない。

何もいないことが、かえって恐ろしかった。


「……化(・)け(・)物(・)め(・)」


要塞都市の映像は見た。中枢が落ちる映像も見た。

あの男は、本物の化け物だ。組織の上から順に潰している。

次は運用部門。逃げなければ、自分の命が危うい。


「ハウザーさん、落ち着いてください。奴の目標は中枢であって、うちの部門は——」

「黙れ! 貴様は何もわかっていない! 奴はな、最初からうちを狙っていたんだ!」

「……どういうことです」


若い方の護衛が訊いた。ハウザーは、堰を切ったように喋り始めた。


「5番の個体だ! あれがケチのつけ始めだった! 元はと言えば、あの化け物が昔勝手に連れ出した個体だぞ。それを連れ戻してやったのはこの私だ。感謝されこそすれ——」

「ハウザーさん、その、運転手が」


年嵩の護衛が、前の座席へ目配せをした。


「タクシーの運転手が何を知ってんだ!」


ハウザーは吐き捨てた。

運転手は、何の反応もしなかった。


「いいか、あの化け物は今もあの個体を捜してるんだ。見つけるまで降りられない、とまで言ってやがるそうだ。だから私が狙われていた。連れ戻したのは誰か、廃棄通告を出したのが誰か——辿れば全部、私に繋がるからな」

「……それで、その個体は——」

「忌々しいあの疫病神が!」


若い護衛の質問を、ハウザーは聞いていなかった。


「廃棄通告を出した途端に焼却場から逃げやがって——私が炉を手動で回してやらなけりゃ、施設ごと突破されてたんだぞ。半端に焼けて逃げおおせたのは、あれの運がよかっただけだ!」

「……でも、逃げられちまったっていうのなら、ハウザーさんがあの男に狙われることはないんじゃ——」

「それが、あのクローンは先週戻ってきたんだ」


ハウザーは、吐き捨てるように笑った。


「何故か転送室に、のこのこ戻ってきやがった。焼け爛れた失敗作が、次の身体に移りたくて戻ってくるだなんて、笑える話だろう!」

「……え。まさか、それを撃ち殺したんですか」


若い護衛の声が、一段低くなった。


「あの男が捜してる個体を? それじゃあ俺たち、逃げても助からないんじゃ——」

「心配するな。そこは保険をかけておいた」


ハウザーは、初めて余裕のある声を出した。


「転送だけは、規定通り通してやったのさ。転送さえ済んでいれば、新(・)品(・)が出来上がる。あの化け物が捜してるところに、無傷のクローンを見つけさせてやればいい。捜し人が見つかれば、私を追う理由は消える。……そういう保険だ」

「じゃあ、元の個体は」

「ムカついたから蜂の巣にしてやったよ。しぶとく逃げようとしたみたいだが、死体も回収済みだ——ふん、こうして喋ってみると、案外どうにかなってるじゃないか。廃棄は完了、新品は納品待ち、辿る糸はどこにもない。港で船に乗って、ほとぼりが冷めるまで釣りでもしていれば、全部終わってる話だ」


ハウザーは、シートに深く背を預けた。この夜、初めて呼吸がまともにできた気がした。


「……その逃げようとした5番てぇのは」


運転手が、前を向いたまま言った。


「あんたが自分で、撃ったんですか?」

「あ? ……ああ、撃ったとも。この手でな。それがどうした」


車内が、静かになった。

エンジンの音と、タイヤが路面を拾う音だけが続いていた。

しばらくの間、運転手は何も言わなかった。護衛たちも何も言わなかった。

ついさっきまで当たり前だったその静けさが、なぜか今は、妙に長く感じられた。


「……お客さん、最後に確認ですが」


沈黙を破ったのは、また運転手だった。


「ヴォルク・ハウザーさんで、間違いないですね。行(・)き(・)先(・)の(・)管(・)理(・)の(・)都(・)合(・)で(・)」

「ああ、そうだ。ハウザーだ。それがどうしたんだ」


行き先の管理。聞いたことのない手続きだった。

だが運転手は「どうも」とだけ言って、それきり黙った。


妙な質問をする男だ、と思った。

ハウザーはそこで初めて、隣の運転席の男をまともに見た。

疲れた顔の男だった。

見た端から記憶に残らない、街のどこにでもいる顔。

どこかで会ったことがあるような気もしたし、一度も会ったことがない気もした。


「……ふん。お前、ここらへんじゃ見ない顔だな」

「よく言われます」


運転手は言った。


「印(・)象(・)の(・)な(・)い(・)顔(・)だ(・)って、ね」


視界の外で、何かが動いた。

音は、車内では爆発に近かった。一発ではなかった。ハウザーの身体が座席に叩きつけられ、二発目、三発目——旧式の火薬の匂いが充満し、装弾数の尽きるまで、それは続いた。


「なっ——貴様ぁ!」


後部座席で護衛が銃を抜いた。軍用の、青白い光を帯びた最新型。

狭い車内でそれが火を噴くより早く、運転手はアクセルを床まで踏み抜いた。

タクシーは規定速度の倍を超えて夜の道路を突き進み、運転手は何のためらいもなくハンドルを切った。

車体は縁石に乗り上げ、宙で一回転して、屋根から落ちた。金属の潰れる音が、二度、三度、路面を転がった。


 しばらくして、潰れた車体の窓から、男が一人這い出してきた。

運転手だった。

男は路面に膝をつき、何度か咳をして、ゆっくりと立ち上がろうとする。


——立ち上がれなかった。

左の足が言うことを聞かず、男は路面に情けなく倒れた。

二度目は、潰れた車体の縁に掴まった。

腕の力だけで身体を引き上げて、膝を震わせながら、生まれたての子鹿みたいに時間をかけて立った。


立ってから、男は手の中のものに気づいたようだった。

拳銃だった。あれだけのことがあって、まだ握ったままだった。

男は震える手で、車体に向けて引き金を引いた。撃鉄の落ちる、乾いた音だけがした。

もう一度引いた。同じ音がした。


三度目で、乾いた音ではなく、内側で何かが噛み合わないまま空回りするような鈍い音がした。

男は手を止めて、銃を目の高さに持ち上げた。

どうやら銃は壊れてしまったようで、それを確認した途端、男はどうでもよくなったように銃を下ろした。


ひっくり返った車体は、もう何の音もしなかった。


 


男はよろよろと歩き出し、情けなく足を引きずったまま、夜の奥へ消えていった。


それを見ていた者は、誰もいなかった。

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