↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/10

ギリギリ守れる程度

 その夜の営業は、妙にざわついていた。

客の入りは普段通りなのに、話し声だけが多い。

どのテーブルも似たような話をしていた。


要塞都市の方で何かが動いたらしい、軍の艦が旧市街の上を通ったらしい、例(・)の(・)彼(・)が誰それの拠点を落としたらしい——噂話というのは、集まると天気みたいな、大きな気配となる。

嵐の前の、湿った風みたいなやつだ。


閉店後、自室のテレビをつけたら案の定だった。

報道は昼の映像を流していた。空中要塞都市の外郭で黒煙が上がっている。

キャスターが「一連の事件の中枢に、当局と有志の戦力が接近しつつある」と原稿を読み、専門家が地図に丸を描き、決着は近いという意味のことを、決着とは言わずに言っていた。


気がついたら、彼女が後ろに立っていた。

正確には、ドアの横だ。部屋にまでは入ってこない。

一定の距離を保ったまま、壁際に立って画面を見ていた。

いつからいたのかは、わからなかった。


俺は画面に目を戻した。

客の噂とこの報道を足し合わせれば、答えはひとつしかない。

あ(・)の(・)男(・)の(・)物(・)語(・)は(・)、(・)も(・)う(・)佳(・)境(・)に(・)入(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)んじゃないのか。


(どういうことだ。それならば、なんであいつはここに来ない?)


考えたくもない筋書きがひとつ頭に浮かんだ。

彼女はここにいる。脱走した軍の資産が、この店にいる。

もし戦いの都合が——回収だか追撃だか知らないが——彼女に及ぶなら、ドンパチがこ(・)の(・)店(・)で(・)起(・)こ(・)る(・)こ(・)と(・)に(・)な(・)る(・)んじゃないのか。


――いや、まさかな。

この地区は、まさにあの男のおかげで最近平和になったばかりだ。

自分が救った街を戦場にするなんて、あいつはそれを許すようなダサい男じゃない。

じゃない、が。


この店を失ったら、俺は生きていけない。

俺は物語の外にいるような人間だが、外の人間には外の人間の人生というものがある。


焦っている俺に対して、彼女は何も言わなかった。

テレビ画面の黒煙を、ただ見ていた。俺も何も訊かなかった。


 その夜、彼女が二階に上がったのを確かめてから、俺はカウンターの裏に手を伸ばした。

布に包んだそれを、おもむろに取り出す。


「何をやっているの?」


心臓が跳ねた。

振り向くと、彼女が階段の途中に立っていた。上がったはずが、降りてきたらしい。俺の手元を見ている。


「……な(・)ん(・)で(・)も(・)な(・)い(・)」

「その包み、この前まで、そこになかった」


観察の成果、というやつだった。

こうなると、この女に誤魔化しは効かない。俺は諦めて布を開き、カウンターの上に置いた。

それは拳銃だった。


「High-mark S-7。旧世代の量産型だ」


彼女はカウンターまで来て、それを覗き込む。

しかし、触ろうとはしない。

それは、武器を扱う人間の距離の取り方だった。


「知っている。旧文明の護身用モデル。安価、単純構造、整備性重視」

「詳しいな」

「データにある。……でも、実物は初めて見た。博物館にもない」

「だろうな。残ってる方がおかしい代物だ」

「なぜ、あなたが持っているの?」


俺はグラスを一つ引き寄せて、自分用に安い方の酒を注いだ。

長くなる話をするときの、俺の癖だ。


「……俺の母親の遺品なんだ」


彼女は何も言わずに、いつもの窓際ではなく、カウンターの席に座った。

俺の話の続きを待つ姿勢だった。


「俺が育ったのは、文明再興のごたごたが残ってた頃でな。この街も今みたいに行儀がよくなかった。女が一人で子供を育てるには、あまりにも厳しい時代だった」


酒を一口飲んだ。


「母親はこいつを枕の下に置いて寝ていた。夜中に窓を試す音がしたら、天井に向かって一発撃つ。それで大抵は済んだらしい。撃たなかった夜の方が多かったと思うが、まあ……そういう使い方をされてきた銃だ」

「あなたを守るために?」

「自分と、俺をな」


俺はグラスを置いて、銃を見た。


「まあ、骨董品みたいなもんだ。ただ、俺が持っている銃はこれだけだ。それでも、俺の母親はそれで自分の身を守って俺を育ててくれた」


彼女は銃を見ていた。


「世界を救ったり、巨悪を薙ぎ倒せるような銃でもない。そう——自(・)分(・)の(・)大(・)切(・)な(・)も(・)の(・)を(・)、(・)ギ(・)リ(・)ギ(・)リ(・)守(・)れ(・)る(・)程(・)度(・)の(・)銃(・)。それがこいつなんだよ」

「……ギリギリ守れる程度」


彼女は俺の言葉を、確かめるように繰り返した。登録するときの言い方だった。

High-mark。

高い刻印、なんて大層な名前だが、当時は一番安い銃だった。

ただ、後になって思う。他者に誇れることの無い人間が、それでもここまでは守れたという——水位の線みたいなものを、この銃は名前にしていたのかもしれない。


「それで、なぜ今夜、それを出したの?」

「なぜってこともない。その……手入れだ。道具は時々風を通さないと駄目になる」

「その割に、油の匂いがしない。長い間、しまいっぱなしだった匂いね」

「……匂いでわかるのか」

「わかるわ」


俺はグラスの酒を一口飲んだ。時間稼ぎにもならなかった。


「テレビ、観ていたでしょう」


俺は、何も言わなかった。


「それで銃を出した。違う?」


俺は大きく息を吐いて、グラスを置いた。


「……この店が厄介ごとに巻き込まれた時の、気休めってやつだ」

「弾は?」

「入ってない。撃ったこともない」

「それじゃ、気休めにもならないわ」

「うるさいな。そんなことはわかってる」


彼女は少しの間、黙っていた。それから言った。


「……でも、いい銃ね」


そして彼女は、少し首を傾げた。


「それで、その銃をこれからどうするつもり?」

「修理に出す。撃てるようにしておかないと、話にならんからな」


俺は銃を布の上に戻した。


「連射したらぶっ壊れるかもしれん。それでも、この店を守るには必要なことだ」


俺は彼女から、目を逸らした。


「今の俺には、他(・)に(・)何(・)も(・)な(・)い(・)か(・)ら(・)な(・)」


彼女はしばらく黙っていた。それから、静かに言った。


「大切な銃じゃない。あなたがそれを撃つ必要はないわ」

「しかしな。あの男はおそらく、あんたのために戦ってるんだぞ。戦いの都合がこの場にいるあんたに及ぶなら——」

「大丈夫。その必要はない」


彼女は繰り返した。いつもの確認の声ではなかった。


「彼は、今ここにいる私を、迎えにはこないわ」

「……何を言って——」


彼女の手が、首元の布にかかった。

布が、ずれた。

彼女が自分の意思でそれを解くのを、俺は初めて見た。

覗いたのは、首から肩にかけての皮膚だった。

皮膚、と呼んでいいのかもわからなかった。

引き攣れて、波打って、色の変わった面が、布の下から続いていた。火傷だ。

それも、治りかけているものではない。

もうこ(・)れ(・)以(・)上(・)治(・)り(・)よ(・)う(・)の(・)な(・)い(・)傷(・)だと、素人目にもわかった。


「この場所が戦いになることはない。彼は絶対にここには来ない」


彼女は布を戻しながら言った。声は、何も変わらなかった。


「……それじゃあ、なんでここに来た?」


それだけ訊くのが、やっとだった。


「今のうちに……彼のことを、彼の好きなものを、知っておきたかったから」


今(・)の(・)う(・)ち(・)に(・)。

その言葉の意味を訊き返す前に、彼女は立ち上がった。


「時期が来たのね」


それから、彼女は俺を見た。

布越しでも、まっすぐ見られているのがわかった。


「……ありがとう。クレイ」


それだけ言うと、彼女は裏口から路地へ出た。

俺が何か言うより早く、彼女は助走をつけて、隣の建物の屋根に跳び上がった。

助(・)走(・)あ(・)り(・)の(・)、(・)三(・)階(・)分(・)だった。

布の裾が翻って、次の屋根へ、そのまた次へ。あっという間に、夜の向こうへ消えていった。


俺は路地に立ったまま、しばらく屋根の縁を見ていた。

あの跳び方を、俺は知っていた。いつかの夜、あの男と仲間たちが消えていったのと同じ跳び方だ。


物(・)語(・)の(・)速(・)度(・)。


俺が全力で走っても最初の屋根にも届かない、あの速度で、彼女は行ってしまった。

考えてみれば当たり前の話だった。彼女は軍用のクローンだ。

最初から、あっち側の身体を持っていた。

うちの二階で寝て、皿を洗って、猫に餌をやっていたのは、ずっと、あっち側の生き物だったのだ。

俺は店に戻って、鍵をかけた。

カウンターの上には、布に包んだままのS-7と、空になったグラスがひとつ残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。