↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/10

適正な比率

 このごろ、布越しでもなんとなく表情がわかるようになってきた。

眉の動きが見えるわけでも、目が見えるわけでもない。

ただ、布の張り方というか、首の角度というか、沈黙の長さというか、そういうもので、いま面白がっているなとか、納得していないなとか、だいたい読めるようになった。

読めたところで何の得もないのだが、毎日顔を突き合わせていれば、そうなる。


 そういえば、黒猫はあの雨の夜以降、ちらほら店に出入りするようになっていた。

もっとも営業中は入れない。

閉店後と朝、気が向いたときだけ現れて、気が済んだら出ていく。

誰のものでもない猫の、正しい暮らし方だと思う。

 

 で、彼女はいつからか、その猫の世話をしていた。

最初は例の「配分」だった。自分の皿から取り分けて、床に置く。

それが、そのうち店の前に皿を出すようになった。

営業前の路地に屈み込んで、布まみれの女が猫に餌をやっている。

絵面だけ見れば完全に不審者である。


「店の前で餌をやるな。居つかれるだろ」

「……空腹状態を確認した。放置は非推奨よ」

「俺の店の前でやるな」

「他の場所では、私が確認できない」

「……勝手にしろ」


負けた。

というか、こいつに小言が通ったためしがない。共犯のときも、配分のときもそうだった。

彼女の理屈はいつも妙なところで筋が通っていて、こちらの常識のほうが分が悪くなる。

猫は皿に顔を突っ込んでいた。

彼女はその横に屈んだまま、食い終わるのを待っていた。

急かすでも撫でるでもなく、ただ確認するように見ている。

それが彼女の世話の仕方だった。


 それからさらにしばらくすると、彼女は気がついたら店仕事を始めるようになった。

皿洗い。グラス磨き。床掃除。

例によって、宣言も相談も一切ない。

閉店の札を下げると、いつの間にか俺の隣に立って、いつの間にか手が動いている。


ただし、料理の仕込みは全然ダメだった。

知識だけはあるのが逆に悪かった。

手順も分量も頭に入っているものだから、自信満々にやる。

それで一度、酷い目を見た。


詳細は割愛するが、鍋がひとつ使いものにならなくなり、店中の窓を開けて一晩過ごすことになった。


「知識と経験は別物だ」

「……登録した」


以来、仕込みだけは教えることになった。

包丁の持ち方から。ぎこちない手つきで、それでも彼女は一度教えたことは二度と間違えなかった。


なんでこんなことを突然始めたのかといえば、居候しているがゆえの、せめてもの罪滅ぼしなんだそうで。


「滞在中の費用は、記録しておいて」

「私が後で、必ず返す」


とのことだった。


しかし、どうなのだろうか。

あの主人公みたいな彼が代わりに返すというのなら、まだわかる。

実際、彼の金回りは良い。

だが、彼女自身が返すというのが、どうにもしっくりこなかった。

今の彼女に収入があるとは思えないし、この先の当てがあるようにも見えない。


返すというのなら、いつ、どうやって——そこまで考えて、やめた。

いつもの詮索しない俺の技術だ。


ある日、二人で皿を洗っていたときのことだ。


「……どうして、請求書を作らないの?」


そう、詰められた。

俺は返(・)事(・)を(・)し(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。泡のついたグラスをゆすいで、伏せた。

すると彼女は自分で勝手にレートを調べ始めた。


この街の宿代、食事の相場、二階の物置の広さから算出した部屋代。

閉店後の労働分は時給に換算して控除する、とも言った。

数日後には、帳簿までつけ始めていた。

几帳面な字だった。


「役に立てた?」


皿を差し出しながら、彼女が訊いた。

俺は返(・)事(・)を(・)し(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。皿を受け取って拭いて、棚に戻した。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。