奇妙な二人
旧文明の物語には、いくつかのお約束というものがある。
職業柄、俺はそういうものにも詳しい。
行き倒れを拾ったらどうなるか。正体不明の居候が腹を空かせた時に何が起こる。
だいたいの型は頭に入っている。
だから、嫌な予感はしていた。
彼女は、食った。
ガツガツと食った。
俺が出した皿が空になり、二皿目が空になり、ありあわせで作った三皿目が空になった。
布は口元だけ器用にずらして、手だけは正確に、しかし猛烈な速度でフォークが動き続けた。
「美味しいわ。とっても」
食いながら彼女は言った。
先ほどまでこちらに刃を向けてきた人間と同一人物とは思えない、素直な声だった。
そのタイミングで黒猫がテーブルの脚元に来て、鳴いた。
彼女のフォークが止まった。
皿と猫を見比べる、というようなことはしなかった。
彼女は三皿目の中身を別の皿にいくらか取り分けて、無言で床に置いた。
猫がそれに顔を突っ込むのを確認してから、何事もなかったように食事を再開する。
「おい。うちは猫の給餌場じゃないぞ」
「……配分した」
「配分って何だ」
「一名と一匹。適正な比率」
猛烈な速度で食う女が、しかし猫にはきちんと配分する。
その奇妙な律儀さを前にして、俺は言葉に窮する。
剥がれない布といい、この異常な食欲といい、酒を浴びて傷が塞がる身体といい——マジでどんな体をしてるんだ、とは思ったが訊かなかった。
詮索しない技術で俺はこの店を続けてきたし、それに彼女の方から、食いながら勝手に話し始めたためだった。
自分は軍用のクローンであること。
施設から逃げてきたこと。
そして、あの主人公のような彼に恩義があったということ。
「……だからこの状態で、私は彼に会いにきた」
四皿目に手をつけながら、彼女はそう言った。
そうだろうな――と思った。
薄々、予想していたことではある。
旧文明のお約束でも、そうだし、あの男をカウンター越しに何年も見てきた俺の実感としてもこういう娘が向かう先は決まっている。恩義を抱えた目の前の女が行き着く先はひとつしかない。
物語の中心――この街で言えば、周囲を魅了するあの男のところだ。
行き倒れの謎の美少女が、雨の夜、俺の店の裏に落ちていた。
それは配達先を間違えた荷物が、たまたま俺の軒先で一晩雨宿りしただけの話なのだった。
ああ、良かった。とも思った。
いつかあの男がカウンター越しに話していた捜し人――おそらく、それがこの女なのだろう。
これで話は簡単だ。あの男は常連だし、待っていれば向こうから来る。
引き合わせて、それで終わり。彼女は如何にもな物語へ帰っていく。
これはちょっとした非日常ではあった。
それが終わるのは、少しだけ寂しい気もする。
それくらいの感想で済む話だった。
そのはずだった。
…………こんなときに限って、あの男は全然、店に来なかったのだ。
こちらからコンタクトを取れれば、どんなに楽だったか。
だが現実というのは残酷にできている。光り輝く物語の主人公のような男に、凡百のモブが連絡を取る方法など存在しないのだ。連絡先を交換する間柄ではない。
そもそも「間柄」と呼べるものがない。向こうは俺の名前すら知らないのだから、当然と言えば当然だった。
念のため言っておくと、通報という選択肢も俺の頭にもあった。
軍の資産の脱走。
個人の銃一丁にも許可がいるこの時代に、このままあの男が来ない状態で匿っているのがバレたら、どうなるかくらいは想像がつく。
「通報する?」
考えを読んだように、彼女が言った。フォークは止まっていない。
「あなたは昨夜、私を店に入れた。手当てをして、一晩匿った。記録上、もう共犯」
「……食い終わってから言うことじゃないのか、それは」
「食べながらでも言える」
要するに、俺に選択肢はもうないという話だった。
最初からなかったのかもしれない。雨の音を聞いて、彼女を担ぎ上げた、あの時点で。
「……それと」
五皿目はない、と言おうとしたところで、彼女が続けた。
「滞在中の費用は、記録しておいて。食事、酒、寝床。全部」
「請求先はどこだ。軍か?」
「私個人。後で、必ず返す」
冗談のつもりだったのだが、彼女の声は事務連絡のそれだった。
脅した口で、そのまま借りの話をする。この娘の帳簿の付け方は、どうやら俺の知っている型のどれとも違うらしかった。
あの男に恩義があるというなら、そっちに回してもいいはずだ。
物語の中心にいる人間というものは、だいたい金回りもいい。実際、過分な代金をテーブルに置いていく男なのだから、居候一人分の飯代くらい笑って払うだろう。
だが彼女は「私が返す」と言った。当然のことのように。
まあ、どうでもいい。
踏み倒されたら、それすらも旧文明の物語のお約束通りだと無理やり納得してさっさと流してしまえば良いだけの話だ。
結局俺にできるのは、いつも通り店を開けて、いつも通りカウンターの中に立って、あの男が物語を背負ってふらりと扉を開けるのを待つことだけだった。
つまり、それまでの間、俺の店には布まみれの居候がいるということになる。




