光を守るという執着
そこからの数週間で、言葉の生活は消えた。
学校。
家。
友人。
これまでの習慣。
全部、『光の代役』の外へ押し出される。
朝からレッスン。
調整。
打ち合わせ。
収録。
データ確認。
動きの修正。
表現の寄せ。
自分が踊るのではない。
『そこに光がいるように見せる』ための訓練。
光の過去映像を、何百時間分も見た。
もともと知っていた癖に、さらに細かいディテールが積み上がる。
笑う時の首の角度。
煽る時の手の高さ。
歓声を待つ間の取り方。
言葉は、どんどん上手くなった。
皮肉なほどに。
スタッフは感謝した。
ファンも、画面越しには何も疑わなかった。
むしろ、
「最近の光、仕上がりすごい」
「神がかってる」
などと賞賛は増えた。
そのたびに、言葉の呼吸は少し浅くなる。
それは光への賛辞でありながら、同時に、自分が完璧に消えている証拠でもあったから。
たまに病院で光と会った。
最初の頃、光は何度も謝った。
「本当にごめん」
「こんなこと、頼むべきじゃなかった」
「でも、ありがとう」
言葉はそのたびに首を振る。
「私がやりたくてやってるんです」
「光さんを守りたいから」
そう言うと、光は少し悲しそうな顔をした。
この時点の言葉には、その理由がわからない。
わからなくて当然である。
言葉はこの頃、使命感に酔っていた。
それは献身の形をしていた。
だが中身は、もっと危うい。
自分が光の傷を引き受ければ、罪悪感が薄まる気がした。
光の代わりに完璧であり続ければ、あの日の失敗を帳消しにできる気がした。
だから休めと言われても休まない。
できない振りがあると、自分を責める。
『光らしくない』と指摘されるたび、夜中まで練習する。
守る、という名目で、言葉は自分を削っていった。
とても美しい自己破壊である。
だからこそ、質が悪い。




