代役のステージ
それから先は、現実感がなかった。
救急隊員。
青ざめたスタッフ。
閉ざされた控室。
責任者たちの怒号と沈黙。
言葉は何度も言った。
「無理です」
それは事実として妥当だった。
無理なものは無理である。
だが、病院に運ばれた光の状態は想像以上に悪く、代替演出への全面切り替えには時間が足りず、そして何より、本人が強く指名している。
それら全部が積み重なった結果、空気は、ものすごい速度で『無理だけどやるしかない』方向へ固まっていった。
「動きだけでいいんです」
「歌は事前収録とリアルタイム補正で何とかします」
「顔も姿も、表向きは従来通り“光”として出せる」
「お願いです。今日中止になれば、関係各所への損害が――」
そんな説明が飛び交う。
言葉にとって、損害の話はどうでもよかった。
そんなことより、頭から離れなかったのは、担架の上で見た光の顔だった。
泣きそうだった。
助けを求めているようにも見えた。
そして、言葉の胸には、最悪の棘が刺さっていた。
もっと早く気づけていたら。
もっと早く階段の異変に気づいていれば、もう少し上で受け止められたかもしれない。
もっと早く手を伸ばせていれば、怪我は軽かったかもしれない。
それが事実かどうかは不明。
だが、不明だからこそ、人を一番きれいに苦しめる。
気づけば、言葉は控室の鏡の前に座っていた。
身体にはセンサー。
耳にはインカム。
周囲ではスタッフが慌ただしく動く。
モニターには、調整中の光のアバターが映っている。
自分が腕を上げると、モニターの中の“光”も腕を上げた。
それを見た瞬間、言葉は吐きそうになった。
こんなの、冒涜だ。
そう思った。
同時に、もっと暗い場所で、別の声が震えた。
――それでも、光を守れるなら。
開演五分前。
暗転。
客席のざわめき。
地鳴りみたいな歓声。
言葉は、震える膝を押さえた。
「大丈夫です」
誰かがそう言った。
たぶん、自分にも言い聞かせていた。
イントロが始まる。
身体が動く。
考えるより先に、何百回と繰り返した振りが出る。
一拍早くなりそうな心臓を、曲のテンポで押さえ込む。
ターン。
ステップ。
視線。
指先。
ブレス。
照明の熱。
床の反発。
歓声の圧。
モニターの中では、光が完璧に踊っていた。
言葉の身体を使って。
一曲目が終わる。
客席が揺れた。
周囲のスタッフの呼吸でわかる。成功したのだ、と。
二曲目。
三曲目。
進むにつれ、言葉の恐怖は別の何かに変わっていった。
自分が踊っているのではない。
光を通して、光のために動いている。
そう思った瞬間、体が軽くなる。
危険で、美しい勘違いだった。
ライブは成功した。
終演後、スタッフたちは安堵と興奮で半ば錯乱していた。
「信じられない」
「乗り切った」
「奇跡だ」
だが、そんな言葉は全部遠い。
病院で知らされた光の怪我は重かった。
足の骨折。打撲。靭帯損傷。
全治三か月。
三か月。
その長さを聞いた瞬間、言葉の中で何かが決まる。
「私、やります」
自分でも驚くほど、声は硬かった。
「光さんが治るまで。代わりに、立ちます」
スタッフは驚き、次の瞬間には現実的な計算を始める。
ツアー日程。収録。イベント。契約。
言葉は、そのどれにも興味がなかった。
ただ一つ。
自分が立たなければならない。
そう思った。
あの日守れなかった分まで。
光が倒れた穴を、埋めなければならないと。




