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ミシハセ  作者: 金子よしふみ
第五章

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卑弥呼

 教養番組、特に歴史の番組を録画してまで見ようとはこれまで思わなかった。たまたまザッピングをしていたらBSのあるチャンネルで指が止まった。

「卑弥呼は鬼道を使っており、すなわち現代で言うシャーマンだったと」とナレーションを聞いた。作屋守の人生の中でこの日まで卑弥呼を一人の女性として認識したことはなかった。卑弥呼を「彼女」と呼ぶ人生なんて想像すらしたことがなかった。彼女には能力があった。卑弥呼の個性だ。その能力にすがったり、個性に魅了されたり、彼女の周りには人々がいた。彼女がそんな人々にどんな視線を投げかけていただろう。作屋守には能楽のあの表情が思い浮かんでしまって仕方なかった。卑弥呼は人間だったのだ、もはや作屋守の中で卑弥呼は教科書の字面ではなくなっていた。

 ところで。彼女は鬼道を使っていたと言う、シャーマンかとも言われている、つまりは死霊に関する力を有していた。今日になってこんな番組を見てしまったのは、きっとキドウという発音に鬼が書かれていたからだった。死んだ、死んでしまった者、それが鬼だ。確かにそれが語源らしい。いつのまにやら角やら牙やら赤やら青やら虎皮のパンツやら金棒やら実装されてしまっては死霊もはた迷惑と思っているかもしれない。

 それならば。ミシハセは時に鬼と同格とみなされる、ミシハセは死者なのだろうか。『続日本紀』に記載されているミシハセ、七右衛門が討ったというミシハセ。それはすっかり死んでしまった霊なのだろうか。それならば当時の人々が認識できていて、赤外線やサーモグラフィーや電子顕微鏡や素粒子観測ができる現代でどうしてミシハセを認識することができないのだろう。視力が二.〇でないからか。

 番組はすでに次のコーナーに変わっていた。平安時代の陰陽師について、だった。こういう番組もまんざらつまらなくはないのだと気づけたのは、

(誰かの呪いだったりして)

 作屋守は肩をすくませた。


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