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時刻は夜8時過ぎ、慧の部屋のパソコンを立ち上げメーラーから受信メールを確認する。そこにあった添付ファイルを開き、本文に張り付けられたURLをクリックしページも同時に表示させた。
いくつもの会社銘柄と現在の株価、直近のトレンド、今どれだけその株を所持しているかなどの情報がそこにはある。それを確認しつつ、電話の相手とやり取りを行う。
「はい。資料は見ています。銘柄は、清水ファルマ、製薬です。これを買いで、売り時は買値の20%を超えたあたりでお願いします」
『どれくらいの期間になります』
「2か月を超える事はありません。目安は第2四半期決算発表前後です」
「それと約束通り明後日、出勤します。しばらく午後から出勤させて貰います。申し訳ありませんがこれは守ってもらいます。会社にはうまく話を合わせてください。通院でも特別顧客の外回りの強化でもなんでも構いません」
『分かりました。そのあたりはうまく取り図ります』
「それと代表室には灰皿を置いてください」
それではよろしくお願いします。と電話を切った。
調度品は少ないがモノトーンでセンス良くまとめられた部屋を見渡す。慧は結構いい生活出来ていたんだなと改めて思う。でもこれだけ広い部屋に一人で住んでいたのかと寂しさを覚えた。
誰かと過ごす幸福な時間を知ったうえで一人で過ごすのは、最初から独りで会った自分よりもつらかっただろう。
そんな事を考えているうちに気持ちを切り替える為に顔を洗いたくなり、清潔さを維持されていたバスルームに向かう。そこに備え付けられた鏡を見る。
髭を剃り髪を整えた自分の姿がそこにはあった。
『髭を剃って髪を整えて服装を変えれば似てくるんじゃないかな』
その通りだったよ慧。ただ目つきの悪さは違かったみたいだけどね。これだけ似ていたって事はたぶん俺たちは一卵性だったのかもな。
「俺は俺の精一杯でやらせて貰うよ。慧」
鏡に映った人物を弟に見立てて独白する。
さてこのまま、シャワーでも浴びて、今日はさっさと寝よう。明日が最後の自由で居られる日だ。せめて有意義に過ごしたい。
すでに少しずつ慧として生きる事は始まっているが、もう少し宮川浩である時間を大事にしたい。思う存分煙草を吸いながら好きな本を読むのもいい。今まで自分から進んでそうした事は無いが、また瑞希さんの処へ行き、馬鹿話(大抵、自分の事を茶化されて終わるが)して笑うのも良い。
ただし、そのあとは自分の行い全てを慧の望む通りにしなければならない。
駅を降り、村山から事前に教えられていた慧の会社のあるビルへ向かう。いまだ夏の蒸し暑さを残した空気が、スーツを着た肌に纏わりつき正直不快だ。いままでの自分ならまだTシャツ一枚で気楽な服装が出来たのにと、慧には悪いが埒のない事を考える
暑さを避けるため地下街を歩いていく事にする。駅から降りたところには地下街に向かう巨大な階段があり、その向かいに凝った仕掛け時計が12時を超えた時刻を示している。そこを混んでいるエレベーターを使わず階段を降りていく。途中いくつもある表示を見ながら、目的の出口を探し地下街を出た。
それから20分ほど歩いたところにそのビルはあった。
村山に電話をかける。
「今ビル前につきました。出てこられますか?」
『分かりました、すぐに伺います」と村山は言い電話が切られる。
それから僅かな時間であの時見た顔が目の前に現れた。
「お待たせしました」と村山が言い頭を下げてきた。それに合わせてこちらも頭を下げる。
村山はポケットから一枚の一般的なサイズのプラスチック製のカードを出し渡してきた。
カードには社名といくつかの情報、そして宮川慧の名前と顔写真が記されている
「これが我が社の入門証です。以前の慧さんの情報が登録されています。再発行という形をとっておりますのでそれほど工面に苦労しておりません」
「ありがとう。」と一声かけそれを受け取る。村山がついてくるように促す。
「では代表室までご案内させていただきます。あまり社内の者の目につかないようにいたします。姿は慧さんと良く似ておりますが、話しかけられたりしたら困ると思いまして重役用の入り口とエレベーターで向かいます」
「気がきくね」
「お互いの為ですよ」
明日からはこのルートをお使いください。と村山は言う。
「代表室につきましたら、今日の投資案件についてと今後の方向性についてご相談させていただきます」
「あぁそれで構わない。それとそこには灰皿は用意してくれたかい」
「ご要望の通り用意させていただいております。しかし慧さんは煙草はお吸いになっておりませんでしたのですが…」
村山は苦い顔をする。入れ替わりの露見を恐れているのは俺以上か。
だが、これぐらいは許して欲しい。こっちも色々とプレッシャーは有るとこちらの意向を穏便に伝える。
「失礼しました」と村山は頭を下げる。
「ただし、煙草を吸うのは代表室だけでお願いします。社内の多くの人間が慧さんが煙草をお吸いにならない方である事を知っておりますので」
と釘を刺される。
「ああ、こっちも露見は避けたい。その要望は言われるまでも無い」
「安心しました。ではこちらです」
促され村山の後についていく。
代表室と表示された扉に備え付けられたセンサーに先ほど受け取ったカードをかざすと扉のロックが電子音とともに解除された。扉を開け中に入る。
こんな『お偉いさん』の部屋を見るのは初めてだけに少し気後れした。
「良い部屋だね。変にごちゃごちゃしてなくて」
それほど広い部屋では無いが、慧の部屋と同様モノトーンを基調とした色遣いで、最低限必要な物は揃えてある程度の部屋だった。きっと慧の趣味で固めているのだろう。少し気持ちが落ち着いた。
「慧さんはシンプルな有りようが好みでしたから」
「インテリア趣味は俺と近いね。こういった事も含めてもっと慧と話したかったよ」
「慧さんもそうだったと思います」
村山が悲しみを隠そうとして失敗した表情で答える。
気付かなかった振りをしつつ口を開く。さて、面倒事はさっさと済ませてしまいたい。
「それでは先に投資の方を処理してしまいましょう、例の件は色々お願いしたい事が多そうだからね」
「分かりました」
「銘柄表と、参考に俺が指定した銘柄の今日の株価と直近の値動きを見せてください」
机の上にあったパソコンにパスワードを打ち込み村山がログインした。
指定された株価情報をモニターに並べる。
村山を傍に待機させ表示させた情報に1時間程目を通す。
自動車関連株を出す様に指示しこの国で2番目の販売量を持つ自動車メーカーについて指示する
「この株を持っていましたね?」
村山に訪ねる。
パソコンを少し操作し、半年程前に買いを入れていると村山は言う
「この株は全て売りで、できれば1週間以内に処置してください。買値よりだいぶ値は上がっているはずです。その際に多少値を落としても構いません。それと今日は買いは無しでお願いします」
と今日は数件売り注文を指示する。
あらかた、指示を出し終え、村山が全ての案件を把握したのち本題に入る。
「では、例の件です」
この言葉に村山の顔も少し緊張した趣になる。
自分としても落ち着いて話す為に、胸ポケットから煙草を出し火をつける。
「まず、慧から詳細は聞けなかったが『楽園の扉』の今回の首謀者はどの程度の人間なんだい?」
この質問に村山が答える。
慧の依頼で以前調べた限りでは、東京都を除く南関東を統括している教団支部の支部長の意向が大きく働いており、慧への籠絡の実行者は支部長の意向で働いている教導部が交渉窓口となっているということらしい。
「彼らが行動を起こすとしたらいつだと読んでいますか?」
「おそらく来年の株主総会です」
取締役を押さえて持ち株会の保持している60%と流れた株を合わせ議決権3分の2を掌握してそこで彼らの求める案件を議題にあげ採決に持ち込む腹積もりかと思われ、締役会での決定では代表の影響力も強く時間もかかるうえ、案件によってはそれでは公示義務の必要なものも有る。総会で短時間に様々な事を議決したいのでしょう。と追加で説明をうけた。
「そうか、となると来年の6月とかかい?あと8カ月か、あまり時間があるとは言えないね」
大抵の株式会社は4月に新年度が始まり、株主総会は6月に実施される。瑞希さんからいつだか訊いた話だが株式会社は最終決算が出てから2カ月以内に実施しなければいけない事を覚えていた。
「それまでに何とかしなければいけません」
村山も苦い顔を作る
はっきり言って情報が少なくて二者択一の判断が出来ない。教団の意向と指示についてもう少し情報が欲しい。出来れば教団中央の意向がどれほどあるのか。多少はあるようだがその意向がどれほどなのかが分からない。そういった事を村山に伝えてみる。
「うちの社の調査部を使いますか?浩さんの意向とは分からない形で話す事は可能です」
「その部署は信用出来るかい?」
下手に敵を調べる事で感づかれ、かえって相手に警戒されるのは得策では無い。
その懸念を酌んでか村山は自身を持って答える。
「手前味噌ですが、かなり優秀です。その仕事の特色上、宗教に関しては鼻で笑うような連中ですから信用はおけます。投資詐欺なんかを見破る為に投資案件を持ってきた人物の身辺調査が主な仕事ですが情報は正確で抜かりはありません。我が社もそれに何度も助けられています」
実績とそれに伴う信用が有るらしい。それなら、とこちらも願い出る。
「ではお願いします。ある程度の情報が得られる為にどれくらいの時間が必要になりますか?」
「場合にもよりますが過去の実績から3週間もあれば有る程度の情報が得られると思います」
「分かりました、ではその支部長についてと中央の意向がどれほどなのかを中心にお願いします。できれば今日中に話を通してください」
といくつか条件を絞って願う。色々知りたい事は有るがタイムリミットが有る以上、情報に優先順位をつけた方が良い。
「そのようにいたします」
「ひとまず、この件についてはこれまでで、コーヒーを一杯入れたら退室して自分の仕事をされて結構です。俺はここにある資料を今後の投資の為に読ませて貰っています。今日は18時くらいで退社させて貰いますので何か突発の案件が無い限りこの部屋には来ないで構いません。しばらくはこの形のタイムスケジュールで行こうと思っています。よろしいですか?」
「分かりました。では調査部の件について動かせていただきます」
「お願いします」
「そうだ、忘れておりましたがその机の中に依頼を受けていました預金を移した通帳を入れておきました。銀行印とカードも一緒です。名義は『宮川慧』です暗証番号は○○○○ですお確かめください」
机の引き出しを開けると確かに言われた物が入っていた。通帳を開き中を見ると覚えている限り全額の200万円が移されていた。
「預金を移す際には振り込みは使わず、新規で口座を開設する際に引き出した預金で持って預け入れました。普通口座ですので自由に引き出せます」
村山が代表室を後にする。
先ほど火をつけた煙草は、もう火が消えていたので再度新しい煙草を出し火をつけて煙を吸う。そうして一息つく。はっきり言ってなれない事をするのは酷く疲れる。
言葉づかいも慣れないしネクタイを締める事になれなくて息苦しい。俺がこの会社という組織で生きるのは相当苦労しそうだ。
さてどこまでうまくやれるかな。
いや、うまくやり通さなければいけない。




