月が落ちる
「ちょっとコスモスさんは鳥じゃないの。月はどうなるの。わたしたち死んじゃうの」
「だから落ち着け」
コスモスさんの一喝。落ち着いた、というか続ける言葉がなくなった気分。
「まず言えることは月は落ちるぜ。けどそれでどうなるってこともない」
「どうってことないってそんなことは」
「間違いなく、どうもならない」
コスモスさんは言い切る、それが当然のように。さっきニュースでの学者さんの話では大事にしかならないはずなのに。
「だから落ち着けって。説明してやっからよ。そんだけの時間はあるんだ」
説明するっていう言葉で、深呼吸する余裕ができた。
「うん。お願い、コスモスさん」
「じゃあまずはっと。おれがなんなのかってことから話そうか」
コスモスさんが凛々しく見えた、表情はわからないけど。きっと落ち着いたんだ、わたしは。
「おれを簡単に言うなら、地球の意思の一部だと思ってくれりゃあいい」
「地球の意思?ということは鳥さんですらないってことなの」
「そりゃそうだ。鳥がさっきみたいに現れるはずがないだろう」
「じゃあどうして鳥の形なの」
「怜音が地球をそう見たんだろうよ。どういう形かは呼んだ怜音に委ねられるんだからよ」
思い当たることはある。いつだったか青くて丸いものっていうイメージからカワセミを想像したこと。地球をカワセミみたいと思ったこと。それだからか。
「でもだったら最初から教えてくれてもよかったじゃないの」
「最初から言ってるぜ。コスモスって」
「花の名前でしょう」
「いやいや、ギリシャ語で秩序や宇宙、それにな、地球の意味もあるんだよ」
「そんなの意地悪だ」
「それにあれだ、名前が地球っていうのは恥ずかしいだろう」
「ただ気障なだけじゃないの」
「まあ本当のことを言えば、おれを呼んだのがどんな人間かを知りたいというのもあるんだが」
「ちゃんとした理由もあるじゃないの」
空の月はもう菱形に近くなってきた。けれどコスモスさんとの話で緊張感が高まらなくなった。わたしがどんなに慌てたとしても、飄々と答えるコスモスさんが頼もしく思えるのかな。
「んで一週間前、人間全員の体が軽くなったと思うんだがどうだ」
「わたしもなったよ」
「あれはな、ちょっと説明面倒なんだが、まず引力ってあるだろう。物と物が引き合う力だ。あれが弱ったって言ったらわかるか」
「まあなんとなくは。でもそれだったら月も離れるんじゃない?」
「嬢ちゃんは学者か。気持ちの問題だ。言い方が悪いか。意思の問題なんだ。人間が地球に興味を失って、地球は人間を引き止める力が弱まった。繋いでいた手を離したんだ」
わたしは不思議に思う。なんだかわけがわからないよ。そんな表情を見たコスモスさんが、やれやれと言って言葉を続ける。
「ちょっと長くなるが順に説明してやる。昔から地球は人にいろんなものを与えてきた。人はそれらをいろんな形で感謝してきた。日本なら八百万の神か。地球そのものではないが、地球に敬意はあったろう。与えられることがいつの間にか人間には当たり前になって、今じゃ感謝もなく持っていく。これってつまり搾取なんだよ。嬢ちゃんの言っていた地球に対するイジメだな」
うん、わたしは納得する。それはわたしが考えたことを、より丁寧に説明してくれたのだから。
「それってのは、取り合っていた手を払いのけたってことなんだ、人間が。それでもおれは手を伸ばしていた。けれど何年も伸ばしていたら、疲れたんだよ。だから引っ張る力が抜けた。そんなときに、いつでも優しい月が心配してくれた。そりゃあついつい月と取り合っていた手を強く引っ張っちまった」
「それで月が落ちてくるっていうの」
その月もかなりの大きさになっていた。大きいクレーターなら凹凸がわかるくらいに。
「まあそうだな」
「でも月が近づいたら海面が上がったりするって言っていたのに、どうしてそれは起きないの」
「だから嬢ちゃんは学者なのか。どうしておれを前にしてそういうことを話すかねぇ。海はどうしようもないくらい月が好きでねぇ。海の月でクラゲっていうのがいるだろう。ムーンフィッシュってのもいる。人間が人形を愛でるようなもんだ、ありゃあ。だからいつでも全力で月を引っ張ってんだよ。だから今以上にはならねぇよ」
なんだか納得できるようなできないような。今まで教えられたことが全く通じない。そして今まで否定されたことが本当だった。複雑。
「そこはたぶん分かったよ。それでコスモスさん、月を止められないの?」
「だからそれはもう仕方ないんだよ。最初に言ったろう。どうせおれも地球の意思の一部だからな。引っ張る力を弱めることはできても、バランスが取れたところまでは無理だしな」
「それじゃあ諦めるしかないの」
「月が落ちることは諦めるしかねぇ。ただ落ちても問題ないようにはできるぜ」




