桃色髪と猫耳
コツッ……。
その足音は上から聞こえた。螺旋階段の下の方。だいたいマンションの二階くらいの高さの場所から、降りてくるのは両手いっぱいに本を抱えた桃色の髪の少女。背丈は小春より少し高めで、首元にレースのついた丈が短めの黒いドレスを纏っている。ふらつく足元が少し怖い。
「あれ絶対転けるぞ」
クリムトが半笑いでそう口にする。
「だな、一応声かけとくか」
「そんな殊勝なやつだったかお前?」
「俺は基本人に親切な男だ」
クリムトの茶化しもそこそこに、椅子を立っておぼつかない足取りで階段を下る少女の真下に移動する。
「おーい」
「ん……?」
声をかけてやっとこちらに気づいた少女と目があう。
「それ前見えてないだろ、危ないから手伝うぞ〜!」
「誰……?」
当然といえば当然だが、見知らぬ人物(俺)に声をかけられた少女が首を傾げる。そのせいで、一番上の本がずるっとこぼれ落ちてきた。
「あ……」
そうなる気がした。まあ一冊ならキャッチすれば良いだけの話か。
バサバサと紙を踊らせながら落下してくる本を見上げ、そんなことを思っていたその時、
「レフィに頼まれてた本」
桃色髪の少女が抱えていた本を全て投げ出し、落下する本目掛けて手すりを飛び越えてきた。
「ばかっ……!」
咄嗟の反応で、落ちてきたところを受け止めるために腕を広げる。だがヒョロガリの俺には二階ほどの高さから落下してくる女の子を受け止めるほどの力が無いこと思い出した時にはもう、少女は腕の中だった。
グンッと腕が地面に引っ張られ、少女と一緒に倒れ込む。
「ってぇ……」
「誰」
目を開けると無表情の少女の顔がそこにあった。
地面に腕を付いた俺の真下で、少女は仰向けになっている。肩くらいまで伸びた桃色の撫やかな髪に感情の無い紫紺の瞳。息を呑むほどの透明感のある顔立ちは、童顔だが、ただ可愛らしいというよりかは、どこか涼しげでミステリアスな雰囲気がある。
「誰」
月夜のように妖しく光る瞳が俺を射抜く。
「俺は────」
「ちょっとエイナ!!いつまでかかってるのよ!!」
答えようとしたところで、扉を強く開く音と共に怒気のこもった声が図書室に響いた。
扉の方を見ると、険しい顔をした少女が立っていた。
胸元の空いた動きやすそうな長袖に、健康的な太ももを強調するホットパンツの上からソードベルトが装着されている。ショートボブに切り揃えられた髪は深海のような深い青色。だが、そんな静かな深海を思わせる髪色とは正反対、キッと吊り上がった目尻は荒々しい内面を強調しているようだった。加えて頭頂部には猫耳が生えている。獣人だろうか。
「汚なっ!?これシャルがやったの?もうしっかりしてよね、って……は?」
桃色髪の少女が落とした本で散乱した部屋を一瞥していたその猫耳は、こちらに気づいて怪訝に眉を寄せた。
「レフィ」
俺の体の下で仰向けになる少女が猫耳の方を向く。
散乱した本といい、今の体勢といい、まるで俺が無理やり押し倒したような構図に見えなくもない。いや実際、そう勘違いされたのだが……。
「────ッ!?」
桃色髪の少女の顔を見た瞬間、猫耳の全身の毛が逆立ったのが分かった。次の瞬間、
「殺すッ!!」
腰から一本の短剣を抜き、疾走してきた。長細くなった殺意を孕む瞳は俺を捉えている。
「ちょ────おわっ!!」
俺は反射的に海老反りになる。左斜めに薙いだ短剣は俺の鼻先を掠めた。直後、振り下ろされた短剣で長机が斜めにパックリと割れて崩れ落ちた。もし当たっていたらと想像するだけで背筋に寒気が奔る。
「よくも……よくもエイナを泣かせたわね。次はちゃんと仕留めるから動くんじゃないわよ……!」
前傾姿勢になった体をゆらりと持ち上げて、猫耳は桃色髪の少女に跨る俺を見下ろした。
このままだとまずいという直感が、身体に奔る。
「待てって!勘違いだ!!」
「うるさいわね!逃げても無駄────よっ!!」
「ぐっ!」
慌てて立ち上がって後ろに退くが、飛びかかってきた猫耳に肩を掴まれた。グンッ、と視界が反転し、次の瞬間には猫耳が馬乗りになっていた。その片手には短剣がしっかりと握られている。
「ちょっ!」
「いいから死ね────っ!!」
振り下ろされる短剣。もう避けられない。これは本気で死────
「レフィ待って」
その時、桃色髪の少女の声で、刃が目の前でピタッと止まった。風鈴のように、決して大きい音ではないがよく通る声だった。
「なんで止めるのシャル!!こいつ、あんたを襲ったケダモノなのよ!?」
「それ、誤解。私が階段から落ちたとこ、助けてくれた」
「えっ……?」
猫耳が目を丸くして、俺を見下ろす。
「そうなの?」
「言っただろ勘違いだって!早くこの危なっかしいもん退けろ!」
死の直前になってようやく誤解が解けたことに安堵するとともに、起きている状況の理不尽さに俺はたまらず叫んだ。
「……あっそ、悪かったわね」
猫耳はふんっ、と不機嫌そうに立ち上がり、短剣を鞘に仕舞う。無実の人間を殺しかけといてなんでそっちが不満げなんだよ。
釈然としない気持ちを押し殺して、上体を起こす。
「だいじょぶ?」
同じように上半身を起こした桃色髪の少女がこてん、と頭を倒す。その表情には心配の色などゼロだ。
「大丈夫そうに見えるか?」
「……見える」
「……そうかよ」
どうやらこいつには申し訳ないとか、他人を慮る精神性が皆無らしい。
「ていうか、あんた一体誰なのよ。見ない顔だから侵入者かと思ったじゃない」
猫耳が腕を組んで、疑うような視線を向けてくる。
その眼光は、先ほどよりは穏やかになった気もするが、下手なことを口走ればまた噛みつかれかねない危うさがある。
「七織秋那だ。汚染域で倒れてるところをヒーニアたちに助けられたんだけど、聞いてないのか?」
「聞いてないけど……助けられたってあんた、どこのホームの人間?」
「それが記憶が曖昧で思い出せないんだ。だからバーゼリアに名簿で確認してもらってる」
「ふ〜ん。なんだか変なカッコ」
ジト目で吐き捨てる猫耳。こいつは最後に何か言わないと死ぬ病気でも罹ってるのか?
「カラスみたい」
桃色髪も俺を珍しそうに、上から下の隅々まで観察している。なんとも尻の座りが悪い。
「ほら、俺は自己紹介を済ませたぞ」
ジロジロと見られることに耐えられなくなって、次はあんたらの番だと自己紹介を促した。桃色髪に目を合わせると、その意図を理解したのかゆっくりと口を開く。
「シャル。シャル・ローデライト」
抑揚のない平坦な声色。事務的というかなんというか、感情を表に出すのが不得手なやつらしい。今後のために友好関係は深めておきたいが、これでは難しそうだ。
視線を横に移す。猫耳と目が合ったが、すぐにふいっ、と逸らされてしまった。
こっちの方も初手が最悪すぎて仲を深めるどころの話ではないな。内心でため息を吐いた。その時、
「レフィ・アーデナー」
独り言のように、ポツリと猫耳がこぼした。
「え?」
「名前よ!!あんたが聞いてきたんでしょ!!」
聞き返した俺に、シャーッ、と鳴き声を上げそうな勢いでレフィが毛を逆立てた。おーこわ。
「悪い悪い。ま、とりあえず、ちょっとの間世話になると思うからよろしく」
立ち上がって、レフィに対して手を伸ばす。
取ってくれるとは思っていないが、まあ一応だ。
案の定、レフィは僕の手をチラリと見た後、すぐに顔を背けてしまった。まるで本当の猫みたいだ。




