大図書室
「到着です!」
ヒーニアに連れられたどり着いたのは、長い廊下に面した両開きのドアの前だった。背の高い深い土色の木材には上品さがあり、高級ホテルの扉のよう。まあ高級ホテルなんて行った事ないけど。
「ここは?」
「ふふ、気になりますか!そうですか!どうしよ〜かな〜開けてあげようかな〜」
こいつ、もったいぶりやがって。
縦型のドアノブを両手で握りながらニマニマと煽るような笑みを浮かべるヒーニアを無視して、手のひらで扉を開ける。
「あ!」
ギィ……と重たい音。開かれた扉から、俺の目に飛び込んできたのは眩い光だった。その感覚は薄暗いトンネルから抜けた時によく似ている。
思わず閉じてしまった目を開け、光に慣れた頃に目の前に広がっていたのは、壁一面が本棚で埋め尽くされた、巨大な図書室だった。
「まったく、堪え性がないですよアキナは!もう少しおふざけに付き合ってくれてもいいじゃないですか!まったくもうもう!」
「あいたたた」
ポカポカとヒーニアの猫パンチを背中に感じながら適当に痛がったフリをしておく。その不思議な部屋を見上げると、円柱をくり抜いたような吹き抜けの空間になっていた。
天井は見えず、自然光のような光が上から降り注ぎ、部屋の中央には読書用の長机と長椅子がセットで12ほど配置されている。中央の長椅子を囲むように緩やかに湾曲する壁は、本棚になっていて、その中にはぎっしりと本が詰まっている。
「聖フーリ大図書室。世界中の文献のコピーが貯蔵されているこの場所なら、アキナが記憶を取り戻すきっかけがあるかもしれません。それに、男の子には一人になって色々考える時間も必要でしょう?」
眼前へと歩み出してきたヒーニアは、言い終わるなり振り返って意地悪そうな笑みを浮かべた。
「どうです?こんなに気を使える女の子他にいないでしょう?あ、惚れるのはダメですからね!ボスに怒られちゃいます!」
ニヤニヤとイタズラな笑みのまま、ヒーニアは両手を交差させてバツを作る。
記憶が無いという設定の俺の状態を鑑みて彼女なりに考えてくれたようだ。普段抜けているのに、こういうとこで気を回してくれるのはちょっぴり感心だ。
「ヒーニアっていいやつだな」
「ふふん!」
「惚れはしないけど」
「む、一言余計です。ほんと、アキナは可愛くないですね!」
「惚れた?」
「惚れません!もう、私はヴィルたちの様子を見に行ってきますから、ここで大人しく読書でもしててくださいね!」
そう言って、ヒーニアは扉の方へと歩いていく。離れていく背中。それを眺めていた時、言い忘れた事があったのを思い出した。咄嗟に声をかける。
「ヒーニア!」
「はい?」
「何から何までありがとう!本当に感謝してる」
俺のことを綺麗好きな冒険者だと勘違いしているとはいえ、見ず知らずの人にここまで優しくできるやつはそうはいないだろう。少なくともあっちの世界では小春ぐらいしかいなかった。
しかし、こんな感謝を伝えても、どうせいつもの如く冗談めかしてからかってくるだけだろう。そう思っていたのだが、扉に手をかけ振り返るヒーニアは、なぜか顔を茹蛸のように赤く染め、口をぱくぱくと空振りさせていた。
「はえ……え、えとっ、そ、そんな大層なことしてないので……ありがとう……ございましゅ……」
消えゆくヒーニアの声。頭からプシュ〜と湯気が出ている幻覚が見える。そして、逃げるように、弱々しい様子で扉の奥に姿を消してしまった。
ありがとうございましゅ……?
なんだか見慣れない様子だったけどまあいいか。それより今は別で問題がある。
「はあ……」
ため息をつき、吸い寄せられるように中央の長机に向かう。一面の本棚に囲まれた部屋にポツンと置かれたその机には、天井から降り注ぐ光が当たっていて神聖さすら感じられる。俺は一番手前の長椅子の中央に腰をかけて座った。
もうすぐ嘘がバレる。今、俺は自らの身分を綺麗好きな冒険者だと偽っているわけだが、バーゼリアとかいうここのボスに構成員名簿を確認されてしまえばそれも終わり。すぐに俺の名前が無いことを怪しまれてしまれるだろう。
「まずいよな〜それは……」
肺に残る全ての息を吐き、顔を突っ伏す。
逃げるか?いや、それだと綺麗好きな冒険者になる道がさらに遠のくだけだ。でも嘘がバレたら殺されるかもしれない。まじ、どうしよ……。
「珍しく難しい顔をしているじゃないか」
隣からクリムトの声。見ると、両手いっぱいに本を抱えたクリムトがいる。こいつの神出鬼没さにもいい加減慣れた。今更特に驚きもしない。
「なんだよその本の山」
「時間がありそうだったからな。秋那にこの世界についてもう少し知ってもらおうと思ったんだ。よいしょっ」
クリムトが抱えた本を勢いよく机にのせた。ドンっと机が跳ねる。どんだけ持ってきてんだよ。
「一人で読ませろ」
「一人で読めるのか?」
クリムトが嘲るように笑う。チラリと本の表紙を見ると、不規則に歪んだ不可解な文字がそこに書かれている。この世界の言葉だ。
「この世界での秋那の識字能力は乳児と同レベル。読めるわけがない。分かったら大人しく座れ」
ラノベのように「なぜか文字が読める!」的なご都合主義はないらしい。
大人しく上半身を戻して聞く姿勢になる。すると、なぜかクリムトが俺のすぐ隣に腰を下ろしてきた。小さく骨ばった体の感触が右半身に密着する。
「おい、距離」
「なんだ膝の上が良かったのか?仕方がない、たまにはリクエストに答えてやるとしよう」
離れるよう促すも効果なし。それどころかクリムトは、ちょこんと俺の膝の上に乗ってきた。妹を膝に乗せた時と似た、丸く控えめな感触が伝わる。
「乗り心地は……ふむ、お世辞にも良いとは言えないな」
「無理やり乗ってきたくせに文句かよ」
クリムトが山積みになった本の山の頂上から、一冊の苔色の分厚い本を持ち上げた。パラパラとページをめくっていき、あるページを開いた。
黄ばんだ紙の見開きの左側には、殴り書きされたこの世界の文字の羅列。そして右には、王城らしき建物の上で、三日月が邪悪な笑みを浮かべて、その城を見下ろしている挿絵がある。ヨーロッパの昔の絵みたいだ。
「まずは汚染域と綺麗好きな冒険者についてちょっとしたおさらいだ。汚染域の成り立ちは、100年前にある小国が光に包まれたところから始まる。この文献には『眩い光が突如国を丸ごと飲み込み、灰の大地を残して消えた』とある。光が生まれた原因については、どうやら人間の間では不明とされているようだな」
クリムトがまたページを捲る。
「一国を一夜のうちに滅ぼし、拡大を始めた汚染域に、世界中はもちろん大混乱。傍観を続けるわけにもいかない世界各国は、騎士団や高級魔術師、冒険者にも要請を出し、汚染域に送り込んだ。しかし、結果はただ一人の帰還者もなし。投入作戦は失敗に終わり、何百万人という犠牲を出した」
左には文章、右の挿絵には、何人もの人間が何かに恐怖したような表情を浮かべて、膝をついている。そして、そこに描かれているほとんどの人が、顔の半分が溶けていた。まるで地獄だ。これが一体どういう状況を表しているのかは定かじゃないが、きっと汚染域に入った人たちの様子なんだろう。
「それで、どうしたんだ?」
「沈黙した」
「は?」
「これ以上の犠牲を嫌った各国は、なんのアクションも起こさなくなったんだよ。まあ分からなくもない。100年前の汚染域の進行速度はカビとほぼ同程度と、かなり遅かったから危機感もそれほどなかったんだろう。ま、そいつらがこの現状を見たら腰抜かして青ざめてるだろうなきっと!私たちの国が〜って!ふひひひひ」
膝の上で足をばたつかせてはしゃぐクリムト。その様子になぜだか、昔小春を膝の上に乗せて読み聞かせをしていたのを思い出した。
「ふう……。さて、そんなダンマリを続けていた過去の腑抜けどもだが、その中にもまだマシな輩がいた」
よれたページがまた捲られる。見開き右の挿絵には、八人の人間の後ろ姿が描かれている。全員が何かを乞うように、天から降ってくる八つの光に両手を差し出している。
「完全に打つ手なし。絶望が世界に蠢き始めた世界にある時、奇跡がもたらされた。それは神を自称するものたちの祝福という力。その祝福を与えられた八人の人間たちは、自らを綺麗好きな冒険者と称し、汚染域周辺各国と連携、世界調律機関を設立し、今に至るというわけだ」
パタンと本が閉じられる。昔話を語り終えたクリムトは、俺の体に全体重を預け、つまらなさそうにため息をついた。
「これが綺麗好きな冒険者の成り立ち。そして奴らは100年経った今でもなお、汚染域の一層も奪還できず、開拓も第一層墓場、第二層箱庭のたった二層のみ。私は別に人間の味方というわけじゃないが、100年の間ほとんど進捗なしというのはあまりに愚鈍と言わざるを得ない。なあ、秋那もそう思うだろ?」
「……二層まで開拓できたのに、なんで奪還はできていないんだ?そこまで進めてんなら汚染域の浄化だってできそうなもんだけど」
「奪還する方法が分かっていないからだ」
クリムトが別の本をひょいと手に取り、破り取ったページで折り紙をしながら淡々と語った。
汚染域の奥へは進めるけど、どうやったら土地を奪還できるのかが分からない。そういうことか。
「そりゃ無理だな」
「驚いただろ。あいつら、取り返す方法が分からないのに闇雲に100年も犠牲を出しながら汚染域を走り回っているんだ」
クリムトがヒヒッと愉快げに笑う。その時ふいに、クリムトに破り取られた本に目がいった。破り取られたことで露わになった次のページ。そこに、まるで戦争の危険な内容を規制するかのように、乱暴な黒塗りがされていた。ページのほとんどが黒く塗りつぶされている。
「そのページ……」
「ん?ああこれか?これは綺麗好きな冒険者たちの縛りによって闇に葬られた力の痕跡だよ」
「どういうことだ?」
「迫る汚染への希望としてこの世界の民に信仰されている八柱の神モドキは、自らの信奉者に対して幾つかの戒律を設けた。そしてその一つが、『魔術の使用禁止』。その黒塗りの下には魔術を使用するための魔法陣が描かれていた」
クリムトの手から、完成した紙飛行機が離れる。音もなく風を捉えた紙飛行機は水平に飛んでいく。
「魔術とは神モドキが人間に祝福を与える以前からあった概念で、祝福がなかった時代に人間は魔術を使ってモンスターを狩っていたらしい」
「じゃあ……なんで神は魔術に規制をかけたんだ?」
「簡単だ。祝福に依存させることで、教徒はより強い信仰心を抱くようになる。なんともまあ合理的な戒律だこと」
「破ったら?」
「背教者として身柄を拘束される。そのあとは知らん」
遠ざかっていた飛行機が、旋回して戻ってくる。作り方が良かったのか、投げ方が上手いのか、ぶれもなく綺麗な軌道だ。小学校だったら人気者になれただろうな。
俺は迫る紙飛行機をキャッチして、なんとなく中を開いた。そこにはやはり、ページ一面に黒塗りが施されていた。
「この戒律のせいで、世界の異能は祝福のみにほぼ統一され、力を持つ者が激減した。汚染域の攻略が難航している原因にはそういった理由もあるのさ」
「……あっそ」
不気味な黒塗りの紙を丸めて机に放り投げる。クリムトは口にはしなかったが、教会じみたホームの外装や戒律といい、綺麗好きな冒険者という組織自体が、宗教じみていると感じるのは気のせいでは無いと思う。
「話が逸れたな。本題に入ろう。今までの私の話を踏まえると、要するに綺麗好きな冒険者には余裕がない。100年間大した成果も得られていないあいつらは、戒律があるとはいえ多少怪しくても戦力として有用なら使わざるを得ないわけだ。だとすれば、秋那が綺麗好きな冒険者だという嘘も、力を見せつければ通せるかもしれないだろ?」
寄りかかった頭を上に向け、俺と目を合わせたクリムトは、頭蓋骨の下の口を不気味に歪めた。なるほど、さっきの説明が本当ならクリムトの話は不可能じゃないように思える。一つの問題を除けば。
「話は分かった。でも今のは全部、俺に騙すほどの力があった時の話だろ」
クリムトの話は、戦力として有用な力が俺にあった場合の話に過ぎない。そして当然、地球出身の俺にそんな特別な力はないから、クリムトの作戦は破綻している。そう思っていたのだが、クリムトが鼻で笑いながら言った。
「バカだな。ここにあるじゃないか、とっておきがっ!」
ぴょんっと俺の膝から離れたクリムトが、くるりと一回転。子供がお手伝いを頑張ったことを自慢するかのように胸を張って、
「お前には、私の力を三度だけ使用する権利がある!私の力は祝福同様、幻血種に有効。使用すればまず間違いなく祝福だと誤認されるだろう!」
ニヤリとクリムトは笑みを深めた。
そういえば気絶する直前に、『三度だけ、私の力を使わせてやる』そんなことを言っていた気がする。私の力ってのがなんなのかは分からないが、どうも怪しい。職場のやつに薬物を勧められた時と同じ気分だ。なんとなく、それを使うのはダメな気がする。一度使えば戻れなくなってしまうような、引き込まれる闇を感じる。
「……別の方法にする」
「おいおい、まさか私のプランが不満だって言うんじゃないよな?七織小春に近づくには、綺麗好きな冒険者になるのが一番の近道だと言ったはずだぞ。さては秋那、私の話を信じていないな?」
腰に手を当て、身を乗り出したクリムトが俺の顔を覗き込んでくる。
クリムトにはまだ理解できない部分が多い。正体すら分からず、何を考えているか見当もつかない相手を信用する方が難しい。今の状態でこいつの思い通りに動くのは良くない気がする。
「……お前、俺にまだ隠していることあるだろ。信じろって言うなら、隠し事はなしだ。特に、小春に関することはな」
静かに数秒頭蓋骨の奥の冷たい闇を見つめる。先に諦めたのはクリムトだった。
「……そう言うことなら仕方ない。私の助言はこれで終わりだ」
意外にもあっさりと言った様子で、体を戻したクリムトは、ヒョイっと俺の膝に乗ってまた足を揺らし始めた。
「えらく諦めるのが早いな」
「言っただろ?あくまで私は案内人。駒を進めるのはお前だ。だから私はもう知らなーい。勝手にしろばーか」
「何拗ねてんだ」
「拗ねてない。それより私の力を使わないなら他の案があるんだろうな」
「……」
クリムトの力を拒否したはいいものの、依然として解決策は浮かばないままだ。
「それは……これから考える」
「お前なあ……」




