Lux in tenebris
通りを抜けた先には、円形の広場があった。人通りはさらに増え、街にあるいくつもの道が、この場所に集約しているように見える。
辺りを見回していると、キラリと何かに反射した光が眼を射た。光の方向、白いタイルが敷き詰められた円形の広場の中心を見ると、大きな建物が主張強く鎮座していた。純白に光る二柱の鐘楼。クジャクの構造色のように輝くステンドグラス。黄金の装飾がなされた大門。行き交う人々を見守るように、静かに佇むその建物は、まるで神を祀る神殿のように見えた。
「あれが汚染域の浄化を目指す、俺らフーリ所属の拠点────フーリホームだ。突っ立ってっと置いてくぜ」
歩き出したヴィルに背中を叩かれ、つられるように俺もその建物に向かって歩を進める。
「ただいま帰りました〜!」
ヒーニアが大扉を強く開け放つ。中から返事はない。それでもズンズンと奥に進んでいくヒーニアたちの背中を追いかけ、俺も薄暗いホームの中に足を踏み入れた。
ホームの中は余白の多いがらんとした空間だった。高い天井。深い奥行き。全体的に縦に長い内観は、教科書で見たパリかどこかの大聖堂と似ている。建物の最奥には左右に分かれた階段があり、その上を見ると、巨大なステンドグラスが太陽を乱反射し輝いていた。
ステンドグラスに描かれているのは、純白の布を深くかぶり、杖を抱いた人物。おそらく女。微かに上がった口元は、人のあらゆる罪を許すような優しい笑みをしている。綺麗なステンドグラス。まるで薄暗いギルドの中が、このステンドグラスを引き立てる舞台のようにすら思える。だけど……。
ステンドグラスから目を落とし、目の前の光景を見た俺は我に帰った。
「きったね」
艶のある大理石調のタイルが敷き詰められただだっ広い床の中央には、ドン、と主張強く置かれた長机が一つだけ。そしてその机の周りには、物が無造作に投げ捨てられている。剣やら杖やら酒樽やら……なんなら食べかけの食事まで放置されてる。せっかくの綺麗な内装が台無しだ。
「こ、これは違くてですね……掃除していないわけじゃないんですけどみんなもう慣れちゃったっていうか……」
ヒーニアが気まずそうに何かを否定してくる。
「なんか腐敗臭みたいなのもするけど?」
「当番のやつサボりやがったな。チッ、まあいつものこった」
ヴィルの方はセミの死体でも避けるかのように、特に気にすることもなく机を横を通る。
「綺麗好きな冒険者……?」
「それは言わないでください……」
しょぼんとするヒーニアから目を離したその時、不意に女神の写されたステンドグラスに影が入った。何やら人のシルエットで起き上がった様子のその影に、ヒーニア達は近づいていく。
「ボス〜ヒーニアが帰りましたよ〜!」
階段の手前まできたところで、ヒーニアが影に向かって叫ぶ。
ボス?
「酒乱女め、また酔い潰れてたな」
ヴィルも呆れっぽい視線をその影に向けている。すると、影は手すりに寄りかかるように身を乗り出してきて、
「水ぅ……」
それだけ言って、また項垂れた。ステンドグラス越しに通る陽光によって、その影に光が入る。
露わになったそれは、全裸の女だった。
艶めく褐色の肌。傷跡の目立つしなやかな体躯に、垂れた長い赤髪。そして何より目を引くのは、額から生えた真紅の角。艶やかな輝きを放つその二本の角は、まるで宝石のように透き通る美しさを持っていた。しかしその全ては、手に持った酒瓶と涎の垂れたゆるい口元のおかげで台無し。あの少年たちがここにいなくてよかった。
「あちゃ〜、これはひどい。どうしましょうか、このままにしておくわけにもいきませんし……」
「他の奴らも出払ってる。チッ、めんどくせぇ」
舌打ちをついたヴィルが頭をガシガシと掻いて、階段を上がっていく。その足取りは乱暴だ。
「ボスって言ってたけど、あれって……」
全裸の女を指差す。まさかあの酔っ払いも綺麗好きの冒険者なのだろうか。
「ここ、第八教区フーリのボス、”浄化司教”であるバーゼリア・エンリさんです。お酒好きなので、朝まで飲んではこうしていつも酔い潰れてます。でも、ここまで酔ってるのは久々な気もしますね」
「司教会議がちけーからな!やけ酒だろ、ったく。おいさっさと起きろ!!」
階段を上がったところでヴィルが怒鳴り声を上げると、干し布団のように手すりに項垂れるバーゼリアが、耳を抑えて顔をしかめたのが見えた。
「う〜ヴィル……貴様の声は鼓膜を直接ぶん殴りにくるな……。ぶん殴りボイスだ。略してぶんボだな。ぶんボ……ぐぅ…………」
「誰がぶんボだ!!寝てんじゃねぇ!!」
酒瓶を抱いて眠るバーゼリアには、ヴィルのぶんボも小鳥のさえずりくらいにしか聞こえていない様子。
「ん〜、あれは長くかかりそうですね。構成員名簿でアキナの名前を確認しようにも私じゃ閲覧権限がないですし……。よし、プラン変更です!ここはヴィルに任せて、私たちは寄り道しちゃいましょう!」
「うわっと」
グイッとヒーニアに手を引かれる。
「寄り道ってどこ行くつもりだよ!」
「それはまだ秘密ですっ!」
人差し指を口元に当て、ウインク一つ。小春という美少女で耐性がなかったら、多分惚れてた。そのくらい可愛い。とゆうか眩しい。
「さあ行きますよ!」
走り出したヒーニアの足は、左右の階段の間にある巨大な鏡に向いている。その鏡には何も映っておらず、闇だけが蠢いている。嫌な予感がする。まさかこの中に入るんじゃないよな。
しかし俺の懸念を肯定するかのように、ヒーニアの足は止まってくれない。
「ちょ、ちょっとタンマ!」
「何を躊躇いますか!レッツ道草!!」
迷いなく鏡に飛び込んだヒーニアの体が、鏡に飲み込まれる。そして、手を強く引かれる俺の視界もまた、同様に闇に飲み込まれた。落下感。耳鳴り。血液が逆流するような感覚。そして────
「くっ……」
瞼の向こうにほのかな光が差した。恐る恐る目を開く。
そこはメダリオン柄の豪奢なワインレッドのカーペットが伸びた廊下だった。廊下に窓はなく、壁に取り付けられた燭台には火がついていないのになぜか明るい。植物のツタのようなものが描かれた、ダマスク柄にもよく似た壁には、見たこともない柄の蝶の標本が額縁に入って、いくつも飾られていた。
だが、そんな欧州の城を彷彿とさせる気品のある空間にふと、違和感を覚えた。
この建物、こんなに広かったっけ?
血のように赤い廊下はこの先もずっと続いている。外から見たこの建物は確かに大きかったが、ここまで長い廊下があるのは違和感がある。
「ほれほれ〜!止まってると置いて行っちゃいますよ!」
不思議な廊下を前に呆然としていると、俺の手がまたグイッと引かれた。ヒーニアだ。さっき鏡の件もそうだけど、こいつは色々説明不足すぎる。事前説明をよこせ事前説明を。
「……ここは?」
やけに上機嫌なヒーニアを半眼で睨んで、先ほどの疑問をぶつける。すると、ヒーニアが勢いよく振り返った。顔にはニヤニヤとしたイタズラな笑みが浮かんでいる。
「おやおや〜!気づきましたか、ここが先ほどとは異なる場所ということに!」
異なる場所……。どうやら違和感は正解だったらしい。
「ここは、神であるフーリ様が権能で創造した幻想空間。今通ってきた鏡はこの幻想空間と現実空間をつなげるトンネルになっているんです!」
「ん?フーリってこの第八教区の名前だよな?」
「いい質問ですねぇアキナ!教区の名には、その地に降り立った神の名が冠されているんですよ!ここ、第八教区の土地に降り立った神はフーリ様なのでフーリ。他にも第一教区はクレイア様が降臨されたのでクレイア。こんな風に土地を神の御名にすることで神への信仰心を示しているんです!」
幻血獣に対抗するための祝福を授ける神。それが教区ごとに存在するということは、
「つまり、神は八人いるってことか」
教区はフーリを入れて八つ。教区の名に神の名前が使われているというのならそういうことになる。しかし、俺の言葉が間違っていたのか、ヒーニアの顔は若干曇っていた。困ったように笑いながら、ヒーニアがポリポリと頬をかく。
「う〜んと……神様は八人ではなく八”柱”です。教区内で神を軽んじた発言は禁物ですよ。特に、外では」
なんだか含みのある言い方だ。まるで何かに怯えているみたいな。
「……りょーかい」
「うむ、分かればよろしい。では目的地までレッツゴーです!」




