幻血種
皆さんは絶叫系アトラクションといえば何を思い浮かべるだろう。
レールの上を急加速して、降下や一回転などの多様な芸を繰り広げるジェットコースターだろうか?それとも紐と鎖”だけ”に命を預け、自ら身を投じるバンジージャンプ?あとはそうだな……自分をコマのように回して、酔いを楽しむコーヒーカップとか?いや、それは少し違うか。
ともかくだ、馬鹿な人類が「安全」という言い訳のもと、金を払って浅い恐怖と爽快感を味わうその娯楽たち。ではその娯楽から「安全」という言い訳が無くなった時、人は何を感じるだろうか?
恐怖だ。動かないはずのバーが上がり、頑丈であったはずの命綱が途切れた時。楽しむはずであった浅瀬の恐怖体験は、すぐさま深海のような底の見えない死の恐怖に様変わりし、爽快感は不安感と絶望感に塗り替えられるはずだ。
そして今俺は、そんな「安全」が保障されていない絶叫系アトラクションに強制乗車させられていた。
「最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ────」
「うっせぇ!!いつまでブツブツ言ってんだ!!」
「し、仕方ないだろ!初めてなんだよ────ヤギに乗るのなんて!!」
切り立った崖に挟まる、灰の道。そこを俺たちは、二匹の毛深いヤギの背に乗って移動していた。
ジェットコースターのようにクルンと一回転した角を持つそのヤギは、二メートルはある大柄な体躯で灰を蹴っている。明らかに普通のヤギじゃない。現に速度が違う。速すぎる。80kmは出てるんじゃないか?
「チッ、綺麗好きな冒険者ならこれくらい慣れてんだろうが」
振り落とされないように腹に腕を回して、情けなく背を丸める俺に、ヴィルが悪態をつく。もう出発してからしばらくはこの状態だ。
ヤギが灰を蹄で掬い、後方へ蹴り上げる。その度に生じる激しい揺れが、恐怖と酔いをさらに加速させていく。バカでも分かる。この速度……少しでも体勢を崩せば────死だ。
「アキナってば本当にな〜んにも覚えていないんですね。まるで別の世界から迷い込んできた人みたいです」
何気なくヒーニアがこぼしたその言葉に、俺の心臓がドクンッ、と強く鳴った。吐き気は引っ込み、不安と焦燥で喉がヒリつき始める。
冗談だよな……?
「いやいや、そんなわけないじゃん」
なんとか平静を保ちながら笑って否定する。つられるようにヒーニアも口元を綻ばせた。
「もちろん冗談ですよ。そもそも別の世界から人を連れてくるなんて芸当、できるわけありませんからね。できるとしても神様ぐらいのものです」
別の世界から人を連れて来られるのは神だけ……。だとしたらクリムトは神?……ないな。有り得ない。あいつは神ってよりも悪魔の方がしっくりくる。
「んじゃちなみに、そういう人間がいるとしたら……どうなんの?」
「どうなる……う〜ん、まあ殺されるか良くて一生牢の中じゃないですか?」
「まじ?」
「まじ」
中々容赦ないことを言っている割に、ヒーニアはさも当然かのように頷いた。すると手綱を握るヴィルが吐き捨てるように、
「そもそもそんな話誰も信じねぇよ。ただでさえ今、大陸中がパニックになりかけてっから余裕ねぇし、くだらない冗談だと思われて終わりだ」
そうこぼした。ひとまず別の世界の人間だとバレることはなさそうだ。
そう、ほっと息をついた時だった。上空から金切音のような鳴き声が聞こえた。
「キキッ!キキーーッ!!」
「……?」
その方向を見上げると、蒼かった空は、いつの間にか無数の白い影で覆われていた。触手のように流動的な動きを見せる純白の影は俺らを追っているように見える。
「なんだあれ……」
「枯蝙蝠の群れですね。想定内です」
ヒーニアは澄ました表情をしている。
「早めに終わらせんぞ」
山羊を止め、上空を見上げるヴィルにも焦りは見れない。影に目をこらしてみると、羽を羽ばたかせ二対の牙をのぞかせるそれは、蝙蝠に見えた。しかし、デカくて白い。
地球の蝙蝠と比べても体は三回りほども大きく、体毛は真っ白、空飛ぶ雪男って感じだ。しかも、それが見たかぎり何百体と群れをなして飛んでいる。恐怖映像だ。ちびりそう。
「キキキキーッ!!」
その時、突如として上空の白い影が様相を変えた。帯状に整列していた群れが、まるで統率の取れた軍隊のように一斉に広がったのだ。
空の色を塗り変え、膨張していく蝙蝠の絨毯。と、その直後、俺たち目掛けて牙を剥き、急降下を始めた。ジェット機ばりの速度。甲高い風切り音が近づいてくる。
逃げないとやばい……!
本能がそう訴えてくる。だがヴィルは、迫る恐怖の白い影を見つめて静かに言う。
「ヒーニア、”縫え”」
そのヴィルの指示に、無言で応えたのはヒーニアだった。おもむろに手綱から右手を離したと思えば、その手に光の針を生成し、
「────天衣無縫」
右手を振り上げた。直後、急降下していた蝙蝠の群れが空中で凍りついた。まるで時が止まったようにピクリとも動かない。
続けざま、ヒーニアが針を振り下ろす。すると、硬直した蝙蝠の群れは見えない糸で引っ張られたかのように、一塊の白い球体と化して宙に固定された。ヒーニアがヴィルに目配せする。
「ヴィル」
「言わなくてもわーってる────煉腕」
ブワリッ、と熱波が顔を叩いた。ヴィルの言葉を合図に虚空に出現したのは、巨大な青い炎の腕。青く、黒く、陽炎すら焦げ付くほどの揺らめく炎で形作られた、15メートルほどの筋肉質の両腕が、蝙蝠の塊に伸びる。そして、
バンッ!
蚊をつぶすように、あるいは神への祈りのように、炎の腕は球体にまとめられた蝙蝠の群れをいとも簡単に押し潰した。炎の中から蝙蝠たちの断末魔が響いてくる。
「「「「ギャギャァ────ッ!!」」」」
あの蝙蝠たちに逃げ場はない。ただ縫われ、焼かれ、焦げていくのを待つだけ。ヒリヒリとした熱気がここまで届いている。炎の中がどれほど高温なのか、想像もつかない。
やがて、役目を終えた炎の腕が、音もなく霧散していった。もう原型を留めている蝙蝠は一匹もいない。
一分にも満たない、一瞬の出来事だった。しかし、ここが異能が当たり前の異世界だと再認識するにはそれだけで十分すぎた。
ふと、俺はクリムトの最後の言葉を思い出した。
『汚染域の中央にいる七織小春を見つけるためには、まず綺麗好きな冒険者になるのが手っ取り早い』
手っ取り早い?冗談だろ。俺にこんな力、使えるわけない。
「アキナ!」
唖然とする俺の肩を、ヒーニアが叩いてきた。振り向くと、なぜだか手の平をこちらに向けている。手相でも見て欲しいのだろうか。
俺が無言で首を傾げると、ヒーニアはニコリと口角を上げた。
「討伐成功ですっ!ハイタッチしましょう!」
「俺はなにもしてないけど」
「いいんですよ!こういうのはその場のノリですから!ほれほれ〜」
最初から感じていたけどこいつ、すごいグイグイくるな。もし俺に小春がいなかったら、自分のことが好きなんじゃないかと勘違いしていただろう。まあ悪い気はしないし、ノリってやつに付き合ってあげよう。
「ほい」
「ふふっ、討伐成功です!!いぇい!!」
俺が差し出した手のひらを、ヒーニアはぺちっと軽く叩いた。ヒーニアが満足そうな顔になったことを確認して、空を見上げる。
蒼く染まる空には、焼かれた骸が灰となってシンシンと舞い落ちている。
「さっきの蝙蝠の群れ。来ることが分かっていたのか?」
思えば、蝙蝠は突然現れたにも関わらず二人は落ち着き払った様子で対処していた。ある程度の予測がなければ不可能だろう。
「あいつらの縄張りはここら辺だからな。低級の幻血獣の行動なんて大体予想がつく」
「幻血獣?」
オウム返しに投げると、ヴィルが山羊の手綱を打って走り出した。
「こいつみてーに汚染域だけに生息する魔物のことだ。お前の記憶がないのも多分、こいつらにやられたんだろ」
このヤギ、やはり普通じゃなかったか。流石にモンスターだとは思わなかったけど。
「汚染域外のモンスターと違い、汚染域に生息する幻血獣には特殊な生態や異能を持つものが多くいます。例えば……」
ヒーニアが上空を指差す。見上げてみるが、火山灰のように降り注ぐ蝙蝠の骸と、宝石みたいに蒼く輝く月があるだけ。特別おかしなモンスターがいるというわけじゃない。だが、次にヒーニアが告げた内容は、にわかには信じられないものだった。
「上空に浮かぶ蒼い月が見えますよね。あれ、実は幻血獣なんです」
・・・・・・・・・・・。
「……ちょっと待って」
「待ちます」
「ありがと」
えーっと、落ち着け。月が生物?んなバカな。でかい蝙蝠の群れと動く彫刻が生物だってのは、まあギリ理解できるが、星が生きているってのは流石にスケールが違いすぎないか?
「……おっけ、落ち着いた。続けてどうぞ」
「では遠慮なく。あの空に浮かぶ月の名は蒼き月。第一層の絶対的な階層支配者であり、最も人間を殺した幻血獣です。蒼き月の月光には、生物を灰にする放射能が含まれていて、第一層の灰は全てその放射能によるもの。第一層が墓場と呼ばれる所以はそこにあります」
「でも俺たちは灰になっていないじゃないか」
「私たちは入域時に神血を纏っておいたので影響を受けずに済んでいます。アキナもきっと記憶がないだけで纏っているはずですよ」
「神血……」
どういうことだ?そんなもの纏った覚えないぞ。
「もちろん私のおかげさ」
「うおわっ!」
耳元で感じた生暖かい吐息で体が跳ねた。言わずもがな、犯人はクリムトだ。いつの間にか俺の後ろのヤギの背に腰を下ろしている。
「おいなんかあったのか?」
ヴィルが振り向いて様子を確認してくる。だがやはりクリムトは見えないらしく、これといった反応はない。
「いや……ちょっと落ちそうになって」
「ったく、気をつけろ」
「そうですよ〜。落ちてぐちゃぐちゃになっちゃったら、流石に祝福でも助けられませんから」
「悪い……」
(おいクリムト……いい加減それやめろ!心臓に悪い!)
「良〜い間抜け声だったな。秋那のそういう反応、私大好き」
(趣味悪すぎ。てか、蒼き月の月光が効かないのは、本当にお前の仕業なのか?)
「秋那の体の表面に保護膜を張ってやってるのさ。あれだよ、お前の世界で言う、え〜と……そう!日焼け止めだ」
そんなのいつの間に……。いや、聞いても無駄だな。
「しかし、なんとも綺麗なものでしたね〜」
横からヒーニアがひょこっと顔を出して感慨深そうに口にした。
「何が?」
「動く彫刻、誘いの天使の死体ですよ。二体とも傷口が綺麗に真っ二つ!とんでもない速度で斬られたに違いありません!あれをやったのはアキナでしょう?」
誘いの天使。俺の胸を切ったあの幻血獣か。そいつを切断したのは俺ではなくクリムトなのだが、そのことを知らないヒーニアは、どうやら俺がやったと勘違いしているようだ。
ここは無理に否定するより適当に頷いておいた方が良さそうだな。
「覚えてないけど多分そうかな」
「記憶はないようですが、アキナは相当に出来る綺麗好きな冒険者だったようですねぇ、ふむふむ……」
「ま、今は灰山羊にも乗れねぇ雑魚もやしだけどな」
ギャハハとヴィルの品のない笑い。誰が雑魚もやしだ。
一時間ほど山羊に揺られていただろうか。尻が悲鳴を上げ始めた頃、ヒーニアが前方を指差して叫んだ。
「あっ!未汚染の草原です!フーリは近いですよ!!」
ヒーニアの指の向こうを見ると、灰の大地はそこで途切れていた。
境界線の先で風に揺れる草。真っ白な雲が流れる青い空。色のある世界だ……。なんだかとても懐かしい。




