あらぬ疑い
「────だからあんたも魔物なんて食べるんじゃないわよアキナ。わかった?」
鏡を通り抜け、現実世界のギルドの中に戻ったレフィが振り返る。だが、そこに秋那の姿はなかった。
「ねえシャルあいつは?」
「ん?」
続けて出てきたシャルも振り向くがしかし、後ろには闇が渦のように蠢く鏡があるだけ。真っ黒な喪服に身を包んだ幸の薄い男はいない。
「いない」
共に大図書室を出て、廊下を歩いていたはずの秋那の姿がないことに、二人は小さく首を傾げた。
「あ……レフィ、シャル」
自分たちを呼ぶその声に二人は振り返る。
聖堂のような作りをしたフーリギルドの現実空間。その部屋の中央に据えられた、物が散らかりっぱなしの長机に三人の姿があった。
長椅子に座って何やら落ち込んでいる様子でこちらを見るヒーニアと、頬杖をついて苛立ったように貧乏ゆすりをするヴィル、そして足を組んで態度悪く酒瓶を煽るギルドマスターのバーゼリアがそれぞれ一定間隔の距離を保って座っている。
空気は重い。肌にまとわりつくような緊張が流れていた。その雰囲気に気押されながらも、レフィが訝しげに尋ねる。
「ヒーニアちょうどよかった。あんた、アキナっていう人間連れてきた?」
「アキナ……アキナ!?なぜレフィがアキナのことを知っているんですか!?」
不意にアキナという名前を聞いて、弾かれたようにガバッ、と顔を持ち上げたヒーニア。その反応はどこか大袈裟なようにも見えた。
「あいつ、大図書室を魔術の練習でめちゃくちゃにしてやがったのよ。それで問い詰めたらヒーニアの名前が出たから確認のためにこっちに寄ったんだけど……どこ行ったんだか」
「そ、それで!アキナはアリスの鏡は通ったんですか!?」
ヒーニアが立ち上がった拍子にガタンッ、と椅子が音を立てて倒れる。
「さあね。でもこっちに来てないってことはまだ通ってないんじゃない?」
レフィは闇色の鏡を一瞥した後、落ち着いた口調で答えた。その時、ヒーニアの表情が明らかに曇った。
「いえ……それなら多分、通ってます……」
落ちるような声。一層沈んだ顔になったヒーニアは、椅子に座り直した。その異常な様子にレフィとシャルが息を呑む。
「一体なんなのよ……」
「アキナ、何かあった?」
「トラップだ」
ヴィルが投げやりに言った。怒りに震えるその瞳は、なぜかバーゼリアの方に向けられている。
「バーゼリアがアリスの鏡に、通過者を幻想空間の闘技場に転移させるトラップを仕掛けやがった。対象をホームメンバー以外の人間に絞ってな」
「はぁ……?」
「どうして?」
レフィが意味不明と言わんばかりに声を漏らし、その横から、シャルが首を傾げた。
その場の全員の視線が、静かに酒を飲んでいるバーゼリアに注がれる。すると、その張り詰めた空気の中、バーゼリアはコンッ、と酒瓶を置いてヒーニアの方を向いた。
「あれは綺麗好きな冒険者だと自称していた。そうだったなヒーニア」
「……はい」
ヒーニアが視線を落とし、奥歯を噛む。
「それは私たちも聞いたわよ」
「他のホームの人って、言ってた」
「ああ。だが私が確認した限り他のホームの構成員名簿にはナナオリ・アキナの名前は存在しなかった」
「ちょ、どういうこと!?」
「汚染域で見つけたんじゃないの?」
「ああそれは間違いねぇ。だが、構成員名簿には載っていない以上はホームの人間てのが嘘ってことになる」
レフィたちの疑問に、ヴィルも同様、奥歯を噛み締めながら答えた。
「このことから私は”あれ”に対して三……いや二つの可能性を考えた」
言いながら、バーゼリアが指を2本立てる。
「一つはどこかのホームが加入者を隠していた可能性。祝福を授けられた者を世界調律機関の管轄に置かれる前に匿い、私兵とする輩がいてもおかしくない」
バーゼリアの中指が下ろされる。そして、声のトーンを著しく落としたバーゼリアは、重く、鋭い口調で言い放った。
「二つ目が……あれが新種の幻血獣である可能性だ」
残る人差し指がついに降りる。思わぬ可能性にレフィとシャルが「え……」と息を漏らした。
「汚染域に一般人が入ることは固く禁じられている。その理由は神血を纏っていない人間が入域するとまるで体内の異物を取り除くように振りまかれる各階層支配者の免疫機能によって、即座に死に至ってしまうからだ。ここまではいいな?」
「そんなの知ってるわよ!だからってなんであいつが幻血獣ってことになんの!?」
「階層支配者の免疫機能、同種には効かない……」
レフィの叫びの後、シャルがはっとしたような表情でこぼした。バーゼリアが頷く。
「そう。アキナは蒼き月の免疫機能の月光でも灰にならなかった。だが、その身分は神血を纏う綺麗好きな冒険者ではない。とすると、”効かない”のではなく、”排除の対象に入らない”。つまり、アキナが同じ幻血獣であるなら……階層支配者もアキナを拒絶する必要はない。そうだろう?」
「だからそんなもんありえねぇつってんだろ!!」
バンッ!とヴィルが乱暴に机を叩く音がギルド内に響き渡る。空気がビリビリ、と小刻みに揺れた。
「何匹幻血獣を殺したと思ってんだ……!人間と幻血獣の区別くらいつくんだよ!!墓場でぶっ倒れていたのを助けてからフーリに戻ってくるまでの間、ずっと近くで見ていたがそんな素振りはなかった!!そうだろヒーニア!」
「……ええ!アキナがもし幻血獣なら、私たちを殺すタイミングなんていくらでもあったはずです……!!」
力強く否定を口にした二人の鋭い視線を浴びたバーゼリアは、無言のまま酒を一口。その表情は、もう聞き飽きたと言わんばかりに涼しげだ。
「で、でもアキナが本当に幻血獣なら、汚染域の外に出れるのはおかしいじゃない!あいつら、汚染域の中でしか生きられないはずでしょ?」
幻血獣が汚染域の外には出られない。レフィが口にしたそれは、この世界の常識だった。
「うん。それに、会話だって、できてた」
続けて、シャルも静かに言ってバーゼリアを見やる。
「お前らの言う通り、幻血獣には発語可能な知性も汚染域外で活動できる自由もない。だが、そんな不自由から脱しようとするのもまた、生物の常。集団形成、変態、繁殖、あるいは進化。方法は様々だがいずれにしろ、そういう個体が生まれていてもなんら不思議ではないということだ」
全てを聞いた後で、バーゼリアは手元の酒瓶をクルクルと弄びながら、そう切り捨てた。
「でもアキナ、シャルのこと、助けてくれた」
「シャル……」
どこか寂しそうな声で俯くシャルの背中をレフィがさする。
「お前たちには悪いが、私はこの教区を守る義務がある。疑いがある以上、これは仕方がないことなのだよ」
「だからってなんで闘技場なのよ」
レフィの瞳が長細くなる。それは、アキナを襲った時にも見せたあの目だ。
「上の”失敗作”と戦わせる。もし奴が幻血獣であるならば、そこで必ず本性を表すだろ?」
「失敗作って……まさか!」
「そのまさかだ。私が半殺しにしてその正体を暴いてやっても良かったんだがな、邪魔が入りそうだったんで、こうして回りくどいことをしているんだよ。まったく、面倒なことこの上ない」
酒を煽るバーゼリアは、チラリ、とヒーニアとヴィルを見やった。
「もし違ったら!?下手したら本当に死ぬわよ!?」
「その時はそれまでの男だったと割り切るさ。始まるぞ」
バーゼリアが闇色の鏡を指差す。そこには、円形闘技場のど真ん中で倒れているアキナの映像が映っていた。




